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2022/05/30 犬・酔・アニメ

犬王を……見た!

なんとなくCMで聞いていた通りロックミュージカル的な作品だった。内容のことは全然調べていなかったため、かなり平家物語に絡む話で、平家ブームが来ているともっぱらの噂のわたしとしてはタイムリーな作品で驚いた。サイエンスSARUの近い作品とはいえあまり『平家物語(アニメ)』と絡めて話をするのもどうかとも思うが、同じ『平家物語』の題材のためか、栄華を極めつつも誰にも知られず没することの諸行無常、というところで共通点を感じる。『犬王』の舞台は室町時代のため、既に平安時代末期の平家は今を生きる存在ではなく、呪いや伝説としての距離がある。この距離というものは、現代と室町時代にもあるわけで、だいたいざっくり500年ぐらい、平家と現代の中間地点に犬王があるわけなのだよなあ、などとどうでもいいことを考えていた。

ロックミュージカル的作品ということもあってか、やはり音の使い方が気持ちいい。全編通じてロックシーンでないところもギターの音色が目立ったのは、琵琶同様の弦楽器で、更に当然ロックの象徴としての音色だからだろうか。
個人的に、もはやマジョリティもいいところのロックを反抗の旗印にするのは現代にそぐわないだろう、という気持ちがあるが、それでも舞台が室町時代であればその真新しさに感心するほかない。流石にダンス・ミュージックなどを流すのは(琵琶でエレキの音を鳴らしてみる以上に)無茶だろうし。観客の熱狂などにロックライブの原初の興奮みたいなものを生真面目に描いていた印象で、この一体感の興奮がライブの良さだよなあと、ロックファンの顔つきにもなった。手拍子に合唱、観客のダンスと、一緒になってやることの楽しみが強調される。であれば、この作品で友の存在が強調されていることにも納得感がある。友というのは一緒に同じ場所に立ってワイワイやることだからだ。

一緒にワイワイと楽しむ大衆文化は政治の権威とは結びつかない。終盤にあっけなく犬王と友有の伝説は幕府によって断ち切られてしまうが、ラストに現代で二人は再会する。現代での再会は、室町と現代の時間をぴょんと飛び越えて、ライブの熱狂が我々に届いているかという問いかけでもあるように思える。ライブの熱狂の中にあるのは知識ではなく、ビートによる原始的な一体感だ。そうしたパワフルさを、映画体験として感じられる作品だったと思う。
友魚は盲目で、犬王は仮面を被っているから、映画のカメラとは違った一人称の視覚のシーンがちょくちょく目立っていた気がする。これがどういう演出効果をもたらしていたかはまだ今一つ答えが出せていない。あとは横のパンのシーンが多かった気がするな。横に長い舞台を意識したものかと思ったが、ステージからの目線だったりもするのだろうか。
肝心のライブシーンが一部少々冗長だった気もするが(それら場面の曲調が少ない印象があるからだろうか)とはいえショーとしてのパフォーマンスはやはり見応えがあった。
個人的に、この前の『スパークス・ブラザーズ』でこうした音楽を全面に打ち出した作品ってアニメだとなかなかやりにくいんじゃないだろうか、と思っていたので、犬王がこうして音楽テーマで一本描いて見せたのは、なんだか雑なことを思って申し訳なかったな、と反省している。『kimono my house』なんてピッタリのイメージのタイトルだよなあと、『犬王』と並べて流行の映画やアニメの名前や話題が”似たような作品”としてインターネットで出されていることにちょっぴり抵抗を覚えつつ(他の作品を踏み台にして作品を語る時、そこに見る人の幻覚がどうしてもあるということは自覚すべきであると最近は思いがちで、実質論ではなくどこに共通点を見出したかということベースで語らないと雑な論で終わってしまうだろうと思ってしまったりするが)似たような行為をちょっとしてしまう……。

先日思いっきり酔って大丈夫かと思ったが今日は健康診断。思った以上に早く終わったため、その後に約束もあったがサクッと映画を見ることに成功して気分がいい。その後そこそこ酔いながら帰宅。まあでもほどほどな感じで良かったかな……あとは健康診断でなにもないことを祈るだけ。

アニメ

ヒラガ9、境界21。

ヒラガ、久々の医療回だ。医療回は医療の理屈は描かないが、行為を描こうという意志を非常に感じるため否応なしに緊張してしまう。今回は師匠がリードしていたが、その実力を十二分に感じられるイメージ映像で、こういう表現も面白いなあと感じた。やはり抜群に良いアニメだなと思う。


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