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2022/06/13 映画(高木)・アニメ

映画(高木)

久々の天気の良い日。自転車で映画館まで行く。

良かった! 明らかに画面がゴージャスになってて、冒頭に普段っぽいからかいバトルシーンがあり、そのあたりは「オイオイ豪華だな~」って笑ってたんだけど、気がついたら涙ぐんでしまっていた。

TVアニメから地続きの話として、高木さんは「からかい上手」ではあるけれど、それ故に気持ちをストレートに伝えられない「コミュニケーション下手」という側面がある。今回もやはりそんな感じで、「チョキで負けたらキス」とか「水中で好きって言う」とか、もうここまで見た観客目線ではストレート球もいいとこなんだけど、でもこれは最終的に「からかい」に収束しちゃって進展しない。だから映画の高木さんは何度か願掛けというかおまじないというか、そういう呪術的なものに恋心を何度か託そうとしている。それが「ホタルを見たら恋が叶う」ということだったり、マーガレットから名前がついた猫のハナだったりするんだけど、これが全く最終的には上手くいかない。で、アニメでもちょいちょいそうなんだけど、西片くんもいいやつだから、照れながらもむしろ高木さんよりちゃんと積極的にアプローチをしている。結局今回の映画も、西片くんによって高木さんが救われる、という構成だった。猫に関しても西片くんは「ユキ」って夏の先の冬を見てるんだけど、高木さんは「ミィ」って今が続けばいいのになっていう願いがにじみ出ちゃってると思う。その上で引取先が見つかっちゃったら引き止める優等生っぽさの悲哀が高木さんにはあった。猫との別れは当然それ自体が悲しいものというのは当然だけど、物語的には西片くんとの夏休み中の縁もなくなり、初恋(マーガレット)が遠ざかって行くっていうもう一つの別れを連想させるものだった。
西片くんルームに「現状維持」の張り紙があって笑っちゃったけど、結局のところそれが正解だったんだよね。この映画は西片くんと高木さんがついに付き合うっていうところにカタルシスを持ってくると当初思っていて、それは間違えではなかったんだけど、決してそのシーンで出てくるのは「好き」とかそういう言葉じゃない。実際の「これからも高木さんを幸せにしていく」っていう言葉にあるのは結局のところ現状維持で、結局今の関係が楽しいからそれを続けていこうっていう着地をしたのは、なんだか凄くいいなって思った。西片くんが普段より美形に見えたけど、高木さんビジョンってことなのかも。これは完全に自分の趣味というか価値観的な話なんだけど、人間の関係の本質にあるのって恋愛のセンセーショナルさよりも、一緒にいることの時間の良さっていうか、そういうものにあるんじゃないかなとか思うことが多いので(これは緑性かも)結局のところ、高木さんのまじないの成否に関わらず、二人で過ごした時間は大切な記憶になるわけじゃないですか。アニメを見ながら「これで付き合ってないは無理があるだろ!」とかよく画面の向こうにヤジを飛ばしていたけれど、なんかそういうシーンを経てこうなったってことに感慨深さもある。
去年の夏祭りと大して変わっていないわけだけれど、カップルっていう自認はあったりして、そういうちょっとした変化を見せるのも良い。ラストで高木さんがストレートな言葉で「これからも幸せにしていく」って言葉を返すのも良かったね。未来の話は必要だよなと思う反面ちょっと蛇足かなと思っちゃうところはあるんだけど、ここで「からかい」が家族のコミュニケーションとしてしっかりと既に成立しているのがめちゃくちゃ良い。結局のところ、信頼関係っていうのはそういう前提を互いに持てるか、というところにあるんだと思う。

映画の核は当然この二人の話なわけだけど、他の人々がカメラに映ることも多い。テレビアニメからちょいちょい別のカップルだとかグループの話になることも結構あったけれど、映画という短い尺でもそれをすることによって、話にバリエーションが生まれるということに留まらず、作品そのものに群像劇っぽさが感じられるようになっている。映画で絵的なエネルギーがあるから、シーンのメインの人物が話している裏でずっとモブが話したり動いたりしている、みたいな学校のシーンが多かった。高木さんと西片くんっていう二人の主人公がいるんだけど、それ以外の人も生きているんだよなっていう場を描くことができていたと思う。
この映画のテーマの1つは高木さんと西片くんの関係の決着なわけだけど、もう一つは学校の卒業であり、子ども達に迫りくる変化の時、というところなんだよね。これに関しては、終わりの時が近づいているから、関係の進展のしなさに高木さんがある意味では追い詰められるっていうところにもかかってるんだけど。そして同時に、アニメでもよく登場してたミナ・ユカリ・サナエの仲良しグループの話も大きく関係している。サナエが陸上で都会にいくかも、となって、ずっといっしょだと思っていた仲良しグループが、卒業っていう時間の経過によって逃れ得ない変化に直面する。ここでのサナエの描き方が超良くて、ミナが寂しいから「夏休みに面白いこと100個やろう!」って言うんだけど、普段寡黙なサナエが普段の様子のままでムチャクチャアイデアを出しまくるんだよね。高木さんが西片くんに虫送りに誘われるシーンでムチャクチャ嬉しそうに電話かけてくるのとか、登場人物の感情みたいなものを生き生きを描くことが上手くできていた映画だったなあと思う。
子どもたちの世界、という意味では島というロケーションが凄く上手く機能しているなと思った。あまり今までテレビシリーズを見ていても島というロケーションに関してそれほど意識していなかったのだけれど(フェリーに乗る回とかもあったけど)今回はそこを強く感じた。比較したわけじゃないけれど、小豆島ってはっきり書かれた場所とか、普段以上に舞台を意識させるフィルムになってたんじゃないかと感じた。で、子ども時代の終わりを感じさせることと島っていう狭さが上手くマッチしているんだよね。ミナ・ユカリ・サナエが進路の話をしている時に、巨大なフェリーが横切るのが上手い。外の世界の巨大さを否応なしに意識させる。ここの手を振るシーンも良かったな~。
結局こちらのグループも「現状維持」になるわけだけれど、子どもなんだから現状維持でもいいじゃない、という目線がとても優しげだなとやっぱり思う。「50年後でもこうしてるわけにもいかないじゃん」ってセリフがあるんだけど、別に50年後じゃないからね。別に俺は50年後でもいいと思うけど(その1つとして、高木さんと西片くんの家庭があるわけだし)ここに関しては赤城監督の『ひなろじ』で感じられた子どもたちへの目線につながっているよな、と思う。『ひなろじ』の子ども絡みで言うと、やっぱり周囲の大人が子どもを優しく見守っているというのがこの映画でも感じられて、多分普段のテレビシリーズ以上に意識的に出していた要素なんじゃないかなあと思った。コワモテの先生も、虫送りのじいちゃんも、屋台のおっちゃんも、あと太田さんも、限りある子ども時代を満喫している子どもたちを見守っている感じがすごくある。

エンディングで1期からの名シーンが流れるわけなんだけど、こんなことあったなぁとか、今見ると1期の絵の感じ全然違うな~とか、なんだかんだアニメとしては3期まで追った作品だから感慨深かった。星を見る話とか、高木さんがジュースいっぱい渡しちゃうシーンとか、すごい好きなんですよね。鑑賞に行った一番のモチベって銀幕で「監督 赤城博昭」の文字が見たかったからっていう感じだったんだけど、映画も凄く良かった。
ツバキを見てるから山賊になっちゃうんじゃないかと心配したけどそんなことなかったね……っていうかツバキも最新話よかったよね……。

アニメ

ヒラガ11、境界23。

ヒラガ、サメのイメージが花になるとは。ただ困難に飲み込まれるが、その経験も成長の礎……というのがサメに飲まれ花になり蛹で羽化するのはかなり納得感がある。こういうところをイメージ演出で驚きのものとして提供できるのはやはりこのアニメの美点だなと思う。いい回だった。ヒーラーガール終わらないで。

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