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2022/09/23 家・竜・アニメ

クリーニングとかに行こうかと思っていたけど雨が降っていたので断念。買い物も断念してスパゲッティを茹でる。めっちゃ寒くなったと思ったら今日またやや蒸し暑いぐらいになっている気がする。秋分の日ということは、これからは冬になる一方らしいのだが、そう聞くとなんだか全く冬に向かうのだという気がしておらずに、もうそんな時期なのかと驚いてしまうな。

あろなチャンネルで運動会の話題が公開されたけど、チアヒビキがガチでエッチだと感じて、イラスト眺めるたびに「ヤバいだろ」って声に出てしまってわりと困っている。

竜そばロードショーってことで、まあまああれこれ言われている作品という認識だったので、実況TLに初見で突っ込むのも微妙かな、と思いやや先行してアマプラで見る。思いっきりハードルを下げていたので、思いの外素直に良かった、というのがまず正直なところ。
今となっては現実と仮想ということで、表裏一体どちらが真実かというのも曖昧なところではないか、と個人的には感じているインターネットの空間を徹底的に肉体の生きる現実世界の従者として描いているのは興味深く、だからインターネットのアバターはタイトルまでなったそばかすを反映したデザインになるわけだし、インターネット上では救いを求める人にも手が届かないから実際に住所を特定して乗り込むしかない……という一貫性がある。そういうこともあって、なんだか徹底的に現実のほうがパワフルだよな、という印象がある。Uのデザインに関しても個人的には”いかにも”で”それっぽい”みたいな域にとどまっている感があり、美女と野獣にアメコミヒーローですよ、なんて雰囲気は現実とのギャップによって映像の刺激になっているのは間違えないとはいえ、そこまで魅力的に感じなかった。一方で現実の描写は細田さんの得意分野ここにありきといった風格があり、背景の美しさはもちろん、季節や天候、昼と夜による色彩の変化だとか、日常描写の細やかさとか、そういうのはすごく映像として魅力的に描けていたなと思った。すずちゃんにしても、ちゃんとそこまで美人じゃないみたいなデザインになっているのに、思いっきり愛嬌を感じる上手さだなあ、と思う。

主人公・すず個人の内面の話として良かった。川の事故によって母を亡くしたすずにとって川(水)というのは悲しみの象徴のようであって、冬の回想のシーンでは川をわたりきることができずに中央から嘔吐してしまうわけだし、ほぼ一回しか通して見ていないからちゃんと一個一個を読解できているわけではないが、とにかく川の近くのカットが多く、常にその悲しみに寄り添っている感があった。竜というのも古来から川と接続されがちなモチーフなんだよね。細田さんは俺と同郷の富山県の出身なんだけど、富山県には大きな川が多くて、そのせいか――まあ珍しいものでは当然ないのだろうけれど――竜伝説みたいなものもよく聞くことがあったような覚えがある。親との不和による悲しみの共感、みたいなものって、竜とすずの間のつながりなわけだから、やっぱり竜と川というのも繋がりのあるものとして採用されていると思う。
クジラに乗ったりと、Uの空間もその川という個人的なところから発展した海のようで、インターネットの海なんていうのもよく言ったものだけれど、ちらほら水生生物っぽいデザインのアバターもちらほら見られたように思う(クリオネも海の生き物だ)川から水が海に流れるように、ここでもインターネットはあくまで現実と繋がる場所としての描かれ方だった。竜の子に会いに行くときに降りる駅は「多摩川」だし、水にまつわる雨のシーン。ラスト近くのタタキは、魚を食べるということで、食事という肉体的なシーンでもあるし、悲しみを飲み込むということだよな。
こうしたすずの抑圧された悲しみみたいなものが、インターネットという現実から少なくとも多少距離を持てる空間で、歌として開放される、みたいなのは気持ちよくて好きなアニメとしての作りだ。Uでの身バレから歌を歌うシーンはこの作品随一のカタルシスを感じるシーンだったと思うし、ここで悲しみを乗り越えるとともに母の想いを知ることで見ず知らずの他者(インターネットの向こう側にいる人)に手を伸ばすことができるようになる。虐待絡みのシーンはあれこれこう大味なのは自分も思うところがあるし、さっきのインターネットと肉体の一貫性のシーンがここに至るまで一貫されており、現実で精神的な傷を与えるやつは肉体の傷を与えることもできない臆病者、みたいになっちゃうのはちょっと飛ばしすぎじゃないか、なんても思うわけだけれど。ただやっぱりすずの内面の話としては、母親のように手を伸ばすことができる……っていうので綺麗な終わり方なんだよね。

とにかく一貫性があって良かったんだけど、インターネットの描かれ方がとにかく舞台装置的で、都合の良さがいささかある。実際にアバターって、もっと自由なのがインターネットのあり方として、少なくとも日本では一般的だから自身の顔ありきなのは感覚と違うなとか。逆に日本以外の話として見ると、当然インターネットだから世界規模の話のはずなんだけど、知り合いの人が中心に動く変なスケールの小ささが同居している印象が強くて、インターネットで人の温かみを描く時はその近い距離の内側になっちゃうことが多いから、その壮大なスケールの設定とちぐはぐな感じがあったり。だからこうすずのためのアニメーションとしてはかなり良かったと思うんだけど、バランスの悪さもかなりあるよね、という感じで、やや評価が難しい部分もある。まあでもマジで思ってたよりずっと楽しいアニメだったな~という感じだね。かなり大きな要素のBelleのデザインとかがあんまり好みじゃなかったから、なんか感想よりも思ったより夢中になってないな、みたいなところもあるけど。
インターネット論でブルリフRの5話が挙げられていたのを記憶しているんだけど、たしかにブルリフR5話のこと思い出したくなる。自分としては「触れなくても触ろうという意思があるだけでそれは触ったことになるだろう、だってそこにはちゃんと人の意思があるんだから」みたいなブルリフRの方が頷ける感覚ではあり、身体性に重きを置いた竜そばは「モニター越しに手が触れる」という繋がりを(良し悪しという話ではなく)やれないだろうな、と思う。虐待の話もあったから、なんかおもったよりも接続できる部分はあるな。

アニメ

ブッチギレ12、シャドハ12、プリマ12。

ブッチギレ最終回。いかにも傾いたアニメをやりますよ、という雰囲気に対して思ったよりかなり地味だなという印象はあり、話の運びも丁寧というよりかはやっぱり地味だなという印象が強かったわけだけれど、12話見ると替え玉新選組にも結構愛着が湧いていて、楽しかったなという気持ちが結構あり、良かった。赤と青の1号2号感、ベタだけど良かったな、砂時計で手と刀を縛って「助けた人間一人目」はかなり良かった。弟が自らの切腹で終わって、母の回想と共に「切腹を強さとして描く」のも、新選組っていう農民上がりの武士を題材にした幕引きにおいてちゃんといい構図が作れていたと思うし、いい最終回だったよな、と思う。

シャドーハウスも最終回。まあ一段落したといえばしたんだけど、原作が続き物のアニメでひとまず締めをどうするか、ということの難しさを感じつつ、Cパでちょっと総括っぽいことを言う以外はイマイチその締め感を感じられなかったので、最終回としてはイマイチという印象ではある。2期、悪くなかったし原作でこっからおもろい! というマリーローズ戦はよかったけど、正直他はかなりふわっと見ちゃったな~という感じがある……。

プリマドール最終回。恐ろしいぐらいに視聴者を泣かせようとしてくるシーンの連続で、すごい。灰桜ほかの萌えぶりに正直気持ちよくなってきたので、ここにきて徹底的に泣かせようとしてくるのは視聴者のそういう心地よさすらも燃料に焚べている感覚があり、しかも別に泣きのシーンを求めているわけでもなく物語に没頭しているわけでもないから、なんだかかなり微妙だ……なんでこんな面白くもない泣きのシーンのためにみんな悲しまないといけないんだ、みたいな気持ちになる。萌えにしろ泣きにしろ妙にシステマチックというか、ここでその要素回収しとくか、みたいなドライな感じがあり、その上で泣きを盛りまくってくるから不思議なアニメだったな……という印象は大きい。歌の力を信じているといえば聞こえはいいけれど、歌っとけばいい感じになるだろ、みたいな雰囲気がある。戦争の中の日常だとか、機械の心だとか、そういういかにも俺が好きそうなテーマを選んでおいて全く上手く転がせていないということにも言いたいことはあるが(肉体が覚えているだとか、いくらなんでも機械に不真面目すぎると思う。別にこのアニメが熱心に機械をやりがっていないのはわかるのだが……)令和BRSといい、なんだかアニメのテンポ感とかそういうのが全然好みではなく、ここ2作楽しんでいないわけでもないがイマイチな作品が続いたので、天監督はマジでもうしばらくいいよって気持ちが、正直ある。

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