【ショート・ショート】静かな夜明け
お題
「最高の出会いを考えよう」
本文
実家での用事も終わり、疲れた体を夜の羽田空港のベンチに埋める。後はさっき予約したバスに乗り遅れなければ最寄り駅まで直通だ。忘れないように、出発時刻の15分前にスマホのアラームを掛ける。コレで一息。
緊張がほどけてきたのか、ようやく周囲の情報を僕の脳が拾い始める。様々な旅のおしゃべり、足音、キャリーケースの車輪、かすかに聞こえるピアノの音。
ピアノの音?どこから?
そこで気づく、これは生で演奏している音だ。なにかのイベントだろうか?せっかくの遠出したついでだ、ちょっとだけ覗いていこう。僕は荷物を手に取り立ち上がり、その音がするほうへ歩き出した。
そして僕はそれを見た。だれでも自由に弾けるように置かれたピアノと、それを弾く一人の少女を。
少しうつむいた顔は、手元を見ているのではなく、目は閉じられていた。夢の中で音の一粒一粒と戯れ、残響とじゃれ合っている。夜明け、朝日を待ち望む子どものように純粋な、そしてそんな可愛らしさを慈しむような温かさが伝わってくる。その演奏に僕は惹きつけられ、目を離せなくなっていた。
気づくと彼女の演奏が終わっていた。音数が少なく、派手なメロディーラインもないためかギャラリーはほぼおらず、椅子から立ち上がった彼女と目があってしまった。
こういうとき時どうするんだ?一瞬パニックになりかけたが、なんとか拍手のジェスチャーを送る。恥ずかしくて拍手の音はほとんど鳴らせなかった。少し驚いていた様子だった彼女も、なんだか気恥ずかしそうに微笑みながら「ありがとう」と声を出さずに言った。
不意に僕のスマホがバスの時間を告げる。僕は慌ててポケットからスマホを出してアラームを止める。
僕は「それじゃあ」と会釈すると、事情を察してくれたのか彼女は「バイバイ」と胸の前で小さく手を振り替えしてくれた。後ろ髪を惹かれつつ、僕はバスのりばに向かう。その体はなんだか少し軽い気がした。
あとがき
このショートショートは「最高の出会いを考えよう」というチャレンジ企画の中で創作したものです。創作の裏話をしておりますので気になる方は覗いてみてください。