【考察】出会って4光年で合体 -物語と現実をつなげるタヌキが仕掛けた罠-
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はじめに
こんにちは、イナガキです。今回は成人向け同人誌「出会って4光年で合体」についてお話ししたいと思います。
(作品へのリンクが貼れなかったため、検索してみてください)
この作品は本当に傑作で、まだ作品を読んでない方はこの記事を読むのを今すぐ止めて作品を買って読んでください。たった千円で人によっては人生の宝物になる可能性もある作品です。タヌキに化かされたと思ってぜひ読んでみてください。
ここからは既にこの作品を読んだことがある方向けのお話です。この記事では物語の"外側"の仕掛けをお話ししますので、物語の内側を味わった後にご覧ください。それでは本編に入っていきたいと思います。
最後まで解けなかった謎
私が解きたいけれども、どうしても解けなかった謎があるんです。それは大樹の下で天狗の隠れ蓑をもらう時に、
「はやととくえんは一言一句同じ願い事をできたのか?」
という謎です。
くえんは婚婚のお札を無くしたと言いつつ何かをお賽銭箱に入れてるし、
はやとのお願い事は長すぎる。そんなこんなありつつ最終的には天狗の隠れ蓑は降ってくる。
これをどう読み取るべきなのかずっと悩んでいました。この謎がついに解けたと思います。そしてここにはとんでもない仕掛けがあったんです。
これを理解するためにはこの物語が書かれた理由から考えてみる必要があります。ということで今回は、
この物語は何を目指しているのか?
そのためには何が必要なのか?
それを達成するためにこの作品が仕掛けたこと
の順番でお話ししたいと思います。
途中、人によっては興味がない内容だったり、もしかしたら聞きたくない内容があるかもしれません。ただちゃんと大樹の下に戻ってきます。そして何より皆さんが楽しんだ「出会って4光年で合体」をある意味もう一度体験できる内容にもなっています。
長い旅になりますが、無理せず最後までお付き合いいただければ幸いです。
この物語は何を目指しているのか?
それでは早速この物語が何を目指しているのかからお話ししたいと思います。これを理解するために、あの頭が良くて何でも解決してくれる万能とも思える真男。彼が作中唯一と言っていいほど言葉よりも感情が先行してしまったシーンを見てみましょう。
荼枳尼天と理趣経が結びついて髑髏と交わる教団を指して真男が
という箇所です。
真男が「勝てないですか?」と言っているのはどの場所でしょうか?その前にある「鬼気迫る理論立てがあって、言ってしまえば感動的ですらある」
の部分でしょうか?私は感情が先行してしまった後の部分で語っている部分が気になります。
の部分です。
宗教や経典の領分を考えてみると、今現に生きている人、この人の苦しみを受け止めて救うこと、という役割があると思います。だとすれば真男が言っている「勝てませんか?」は「ポルノには今現に生きて苦しんでいる人を受け止められませんか?苦しんでいる人を救うことはできませんか?」と読めることになります。この作品の読者の視点から言い直すと
「ポルノでは"キャラクターのはやとのように"現実で苦しんでいる人は救えませんか?」
と言ってるんですよね。作中、はやとが31歳の時に妙にリアルで孤独な生活しているのは、このためなんじゃないかなと思います。
出会って4光年で合体はこの目標に正面から立ち向かっている。だから成年向け同人誌でありながら、まるで経典に対抗するように様々なロジックを絡めながら400ページにも迫るボリューム感、生命の誕生から多様性の獲得までの壮大な物語が綴られているんじゃないかな?と思います。
そのためには何が必要なのか?
では苦しんでいる人が救われるためには何が必要でしょうか?
この物語で苦しみから救われた人から考えてみましょう。一番最初に思いつくのははやととくえんです。でも今回お話ししているのは「読んだ人を救う」ことでした。この点で見直すと「幼少期や卒業後のはやと、彼がリアルな社会を生きている時の苦しみ」が救う対象なんじゃないかなと思います。そしてこれを救ってくれたのは何か?作中それは島での生活だと思うんです。
島にいる時のはやとは、幼少期や31歳の生活とは打って変わって幸せに暮らしています。これはくえんがいなくなった後のモノローグからも分かります。くえんを失ってしまった欠落感以外は、
と感じてるんです。つまりこの島に来てからのはやとは社会的な苦しみから抜け出せていることが分かります。
ではこの島には何があるんでしょうか?明確なのは、この島の環境にはカセドラルの意図が入っているということです。これは網野が言ってます。
ではカセドラルはどのようなことを考えているんでしょうか?これはカセドラルの一員であるC(カンパネラ)の口から語られます。
またこの思いは行動にも表れています。最効善の計画(P.23)は途上国への寄付をいかにロスなしで大規模に実現するかという計画ですし、 穀物提供プロジェクト(P.161)も実施しています。つまり「困っている人は助ける」これがカセドラルなんですね。
そして方言がなくなったことを見れば、島の人たちの行動にカセドラルが一定の影響を及ぼしていることがわかります。では島に住んでいる住人の価値観を見ておきましょう。おまる切腹で性的興奮を覚える渡辺稲。彼女のモノローグです。
ここに彼女は悩んでいます。そして、はやとに「お前は捨て子だ」と言ってしまった人がいると聞いた猪野の反応です。
そしてこの「捨て子」発言自体も実は言葉の綾だったと言うことがラストの方でわかります。
どこまでカセドラルの影響かはわからないですが、島の人たちは善悪を区別できていることがわかります。「カセドラルが人で実験しているのは悪いことじゃないか」とか「外からの圧力によって埋め込まれた善が本当に善と言えるのか?」等の話はあると思いますが ここでは深入りしません。この記事の範囲内で重要なのは、島の外で生きているのが苦しいはやとが島の中にいるときは幸せになっていることです。
ただ現実にはカセドラルはいません。そして何よりこの作品の目的はこの作品を読んでいる人を救うことでした。なのでもう一段深いところに降りる必要があります。困っている人を助けたいと思う気持ちはどこから来るのでしょうか?
実はこの作品、はやとと似た人物がもう一人いるんですよね。その人物は島の外でリアルな生活に苦しんでいました。そう新生児であるはやとをトイレから拾った谷川です。
彼はあの事件後に仕事に就き結婚し子供ができています。少なくとも当時の最悪な状況から抜け出すことができています。島の外にいる谷川はどうしてその状況から抜け出すことができたのでしょうか?ではあの事件を振り返って谷川が何と言っているか見てみましょう
新生児であるはやとの下にはタオルが敷かれていた。その事実が彼の心にずっと残っていたのでした。では谷川はこのタオルに何を見たのでしょうか?お待たせしました。ここから大樹の下の話が絡んできます。
大樹の下ではやとが願ったお願いは
でした。あのはやとの下に敷かれていたタオルは、これに似た思いが乗っか
っていたんじゃないでしょうか?
本当に生み捨てるだけだったら何も敷かなくても良いはずです。出産の汚れを拭うためだったらその辺にタオルをほっぽり出しても良いはず。産んだことを隠すためだったらタオルを上から乱雑にかぶせた方が発見が遅れるはずです。
でもそうじゃないんです。新生児であるはやとの下に敷かれていたんです。
あのタオルには、はやとの幸せを願う気持ちが乗っていてもおかしくないんじゃないでしょうか?少なくとも唯一現場を目撃した谷川の心を動かしたことは間違いありません。
つまり苦しんでいる人が救われるためには何が必要なのか?これに対する答
えは
「誰かの幸せを願う気持ちを”受け止める"こと」
となります。
それを達成するためにこの作品が仕掛けたこと
では読者が「誰かの幸せを願う気持ち」を受け止める仕組みはどうなっているのか?
実は谷川の件を見れば、はやととくえんが大樹の下で願い事をしているシーンを読むだけでも達成している部分はあります。でもここで終わらないのがこの作品のすごいところです。
それでは最初の謎に戻りましょう。「大樹の下ではやととくえんは一言一句同じ願い事をできたのか?」という謎です。はやとの願い事は先ほど言ったとおり、「隣の人がちゃんと幸せになりますように」でした。はやと自身もこれが一言一句一致するのは至難の難易度だと後悔したほどの長さです。
また個人的に一番わからなかったのは、くえんが何かお賽銭箱に入れていることでした。結果的にラスト3ページでこれは千円札であることが分かります。発売した直後から「この千円はこの作品の値段だ」と指摘している方もいらっしゃいますした。最初この指摘を聞いたとき「なるほど、ここも仕込んであるんだな。すごいな」という感想でした。だけどこの作品の目的から見ると違う側面が見えてくるんです。どういう意味でしょうか?
私たちの千円をくえんがお賽銭箱に入れていると考えたらどうなるでしょうか?
そう考えた場合、我々はくえんの目線で見るように誘導されていることになります。つまりあの場のくえん=私たち読者と見立てることができます。そうするとどうなるでしょうか?
はやとは読者の幸せを願っていることになります。
この作品はキャラクターが読者の幸せを願ってくれて、読者もそれを受け止める仕掛けが入っていたんですね。すごいです。
ここまでで「はみ出したものを何かが受け止めるなら、その領分をやっぱり
頑張る姿が見たいぜ」に対する全力の表現が物語の外側として組み込まれていることがわかると思います。すごすぎます。
でもちょっと待ってください。
この作品の表紙で著者名から"た"が抜けているように、この作者もまたタヌキなんです。だからこれだけの誘導では終わらないんです。
さて、くえんは「はやとと同じお願い事を一言一句間違わずにできたのか?」という回答がまだです。この答えはどうなるでしょうか?
先ほど言ったように、今くえんはあなた自身です。だから
あなたがくえんとなって、はやとと同じお願い事をしてくださいね。
という意味になるんです。
読者を救いつつ、読者が他の誰かを救う可能性を作っている。これが本当にすごい。
物語の中で、真男は三つのくじの例えの中で誘導や暗示のことを「情報が不十分な段階で一度決断させた」ことがこのくじの肝だと説明しました。
これは恐ろしいことです。あの大樹の下の出来事を見せつつ最終的に幸せな結末まで提供します(そして多くの人の心を動かしました)。そして本当にラストで千円札を見せて、後追いでもいいからちゃんとはやとの幸せを願ってねと言ってるんです。
くえんである読者がはやとの幸せを願わないとこの作品は大樹の下から先には進まない。もしくはこの物語があなたの中で嘘になってしまうよという仕掛けになっています。本当に怖い仕掛けです。恐ろしい。
ということで、読んだ人が誰かの幸せを願う気持ち、これを受け止める仕掛けは、「読者とくえんを同期させることで、はやとからのお願い事を読者が受け止められるようにしていた」ことになります。ただしその裏側には、読者がくえんとなって、はやとの幸せを願う仕掛けも入っていたということになります。
本当にこの作品、本当に一筋縄ではいきません。最高です。
おわりに
ということで、出会って4光年で合体の物語の外側の仕掛けをお話しさせていただきました。面白かったよという方は高評価、今後もこういう話が聞きたいよという方は、ぜひフォローをしてお待ちいただければ幸いです。
それでは次の記事でお会いしましょう。以上、イナガキでした。