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クソガキが東京へ行くまで/2

昨日投稿できませんでした...。
残念。前回の続き、中学生編スタートです。


「捻くれ者」

前述の事件を経て、立派に捻くれ者に昇華。

人とある程度距離を置き、ネガティヴ方向に考えを煮詰めていくようになり、自分を責めるようになりました。

ただ表面上は深刻ではないよ
という顔をしながら学校の子、友達と、親と関わっていました。ただし、心は見せようとしない。

そんな行動を取っていたので、結果若干壁を感じる、何を考えてるかイマイチわからない子が出来上がりました。
(顔や態度に出ていて隠しきれていなかったとは思いますが...。)


「捻くれ者の歪み」

前述の通り、心を人に見せない僕でしたが、
一方で人を信頼したい!頼りたい!という思いから相手の心は聞き出すように話を仕向けたりしてました。

今思うと中々ヤバイことしてましたね。
本当に歪んでました...。

ビビり」の名残もあると思います...。

この時、運良く皆んなの悩みを聞き出し、相談に乗れていたので友達が居なくなることはなかったので良かったです。

「歪みから得れたもの」

当初歪んだ思いから始まったこの子どもの試し行動のような行い。

途中からは相談事を聞くのが楽しくなり、それが自分の存在理由になっていきました。

この経験は僕に人のケアに似たことができると いうある意味の成果というか、体験を与えてくれました。

ただ、この捻くれ者はこの得たものに見向きもしませんでしたが...。勿体ない。

「劣等感と焦燥感」

では、何に目を向けていたか。

勉強と部活の成果です。

良いのか悪いのか、僕の周りは頭がいい、運動ができる、もしくは両方できる人が集まってました。
なので劣等感を感じずにはいられなかったです。

当然僕は劣等感と置いていかれるという焦燥感に駆られ、心の中で「実力を上げたい」とは思ってました。
けれど一向に行動に移そうとはしませんでした。

この時、何から始めたらいいかわからないというのもあったのかもしれませんが、それ以上に「しなければいけない感」が余計に自分を動けなくさせていたのだと思います。

結果、学校の成績が「中」しか取れませんでした。

まぁそれでもゼロよりは良いと思うのですが、この時の僕、捻くれを拗らせてプライドも高くなっていので認めることをしようとはしませんでした。

そして自分を責める→出来ないレッテルを貼る→動かなくなる→テストは良くならない→そして自分を責める
この悪循環に囚われていました。

この考え方は最近までずっとへばりついていました。
ただ、最近はプライドをへし折り、へし折られたおかげで、自分を認めことができてきました。
社会の評価基準=自分の評価基準にしてたんでしょう。

良いところ一杯あったのに...。今思うと勿体ないなと思います。

「成績以外では」

当時「ビビり」がなくなることがなかったのと同様に「目立ちたがり」もなくなることはありませんでした。
捻くれていたので、なりは潜めていましたが。

具体的に何をしたこというと、主に文化祭の行事に取り組んでいました。
(運動得意じゃなかったんで苦笑)
舞台の上で三線という沖縄の伝統楽器を弾いたり、劇の主役をしたり(投票で抜擢されたので立候補ではなかったですが)
他にも作文を全校生徒の前で読む機会があったり、何だかんだで前に出ることはありました。

この機会を僕は良いようにも悪いようにも取らず、見向きもしなかったわけですが...。

本当に勿体ない。捻くれ過ぎにも程があります...。
だから今の僕があるとは思いますけどね。笑

そんな中学時代の僕、受験で第1志望の高校は通らず、適当な高校に入ります。
挫折です。
ここでまたすこーし腐りますがそこまで腐り切りません。中学時代に捻くれ過ぎたからでしょう。笑笑

そうして始まる高校生編はまた次回


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