静寂の歌 1-5
五
「先生の家、硫黄くさいね」
座敷に上がると、開口一番にそんなことを言われた。今年で六歳になる、みのるである。彼は目が不自由だが、手先が器用で、頭の回転が速い。それは生意気な口調からも知れるだろう。
僕は微笑を浮かべて襖を閉めると、座卓の前で正座した。
「すみません。僕の飼い猫が、もらしたんです」
生徒たちは大きな声で笑い出した。座卓の下で丸くなっていた八枯れに、膝を引っかかれた。それを無視して、顔を上げた。
「さて、今日は新しい子がいましたね。ああ、そう。君だ」
ぐるりと座敷内を見渡して、左奥のすみっこで、小さくなっている男子を見つけた。その視線を追って、数人の生徒たちが新参者を見つめた。
「では、せっかくですから。一人ずつ自己紹介がてら、新しい子にこの私塾について説明してみせてください。僕は何も言いません」
うすく笑みを浮かべて両手を広げると、座椅子の背もたれに体重をあずけた。座敷内で、ざわめきが起こる。真っ先に、つっこみを入れて来たのは、十五歳になる純一だった。彼は左の太ももから先が、生まれつきない。国や時代に関係なく、詩を読むのが好きな文学青年だ。
「自分がしゃべるの面倒だからって、そう言うのずるくないですか?」
「そう言うのって?」
「先生だけ楽をして」
「そうでもないです」
微笑を浮かべ、淡々とつぶやくと、純一の隣に座っていた大学生のさゆりが、くるくるに巻いた茶髪をゆらしながら、嘴をつっこんできた。彼女は、生まれつき強い霊感を持っており、僕の家にいる魔も、見つけることができる。
「ずるくはないですけどお、お粗末?」
「粗末になんかしていません。さあ、ぐだぐだ言っていないで、協力しあってわかりやすく、彼に説明してあげてください。さあ、早く」
語気を強めて、面倒くさそうに頭をぼりぼりとかくと、生徒たちはあわてて、口をつぐんだ。一度、静かになったところで、はい、と最初に口を開いたのは、十二歳のななこだった。彼女はあざやかなブロンドヘアをゆらしながら、灰色の瞳を細めて笑った。
「ななこです。イギリスと日本のハーフです。見ればわかると思うけど、この私塾には、さまざまな人たちがいます。どの人も、それぞれの事情がありますが、卑屈っぽい子はいないと、思います」
「それじゃあ、全体性がわからないじゃないか」と、言って続けたのは、十五歳の純一だった。黒い短髪をかきながら、おほん、と一つ咳払いをした。
「純一です。僕は片足がありません。(そうして左足を指さした)この私塾では、決められた学問などは、行っていません。つまり学校教育の内容は、ここでは教えていないのです。火曜と木曜の週二日で、時間は、昼から夕方にかけて。そのため、授業料も基本的にはありません。でも、そこで悠然と腕を組み、僕のことをにやにやしながら眺めている、坂島赤也大先生は、もし渡したいと思ったら、渡してください。と言って、戸棚の奥に箱を置いています。必要なら、どうぞそちらへ」
ため息をついて、次に続いたのは六歳のみのるだった。色素のうすい髪の毛は細く、目は開かないが、いつ見ても人形のような顔だと、思う。眉間に皺をよせると、純一よりも貫禄のある表情になるのだから、世も末だ。
「純一さん、ちょっと論理的じゃないですね。教科内容、日時、と来たのは良いですけど、なぜ授業料がないのか、前後の脈絡をもっと、うまくつなげてください。でなくちゃ、ただでさえわかり辛い情報が、余計に混乱します」
この反論に、純一は表情を歪めて、みのるをじっと見据えた。
「お前は神経質すぎる。こんなもん、イメージさえつかめれば良いんじゃないか?」
「ぼくたちにとってこんなもんでも、彼にとっては重要なことかもしれませんよ。純一さんはいつも感覚だけで動くから、他人には伝わり辛いんですよ。説明下手を、もう少し自覚してください」
純一は、ぐっと、押し黙ってしまった。こいつはいかんな、と口を挟もうとしたが、大学生のさゆりが、大きな笑い声を上げたので、場が一気に白けてしまった。
「おもしれえ!六歳に負けてるし」
僕は苦笑を浮かべて、前髪をかきあげた。ここは、彼女に任せてみようと、前傾になった姿勢を元の通りにした。さゆりは、左耳に開けているピアスをいじくりながら、みのると純一を交互に見比べ、歯を見せて笑った。
「あ、さゆりです。あのお、ちょっと思っただけなんですけどお。みのる君や純一くんの言ってることってえ、ここに入っちゃったら、みんなわかることじゃないですかあ。そんなら、いまここで、くどくど言われたって、それこそ、ねえ?困っちゃいません?」
「ここに入るかどうかわからないのだから、なるべく多くの情報を客観的に知らせてあげることが重要です。そうした意味では、純一さんの説明も論理的ではありますよ。ただ、少し細部が気になっただけです」これはみのるだ。思わぬ伏兵に、純一を庇った形になる。
「いやあ、それこそ大きなお世話でしょう。こっちはいつも通りにやってえ、それをどう受け取るかは、新人くんの思慮に依らしむるところでございますよう。それが自立ってことでしょう。少なくともお、あんたらはこの子の保護者じゃないんですからあ。それとも、親切にしなくちゃいけない何か理由でもあるの?」
「つまり出しゃばりだと言いたいんですか」
「まあ、そうだねえ。出しゃばりにさせたのは先生なんだけどねえ」
さゆりは、にやにやと笑いながら、みのると純一の顔を交互に眺める。そのあとで、じっと僕のほうへ鋭い視線を投げてよこして来た。まったく狼のような娘だ。と、肩をすくめる。
みのるは、瞼を閉じたまま「なるほど。それもそうですね」と、言って小さくうなずいていた。純一は、腕を組んでうつむいている。どうも、我が強いからか、この二人はよく衝突する。しかし、もめ方が錦と八枯れによく似ているので、そんなに心配はしていない。
最後に、新しい子の一番近くに座っていたななこが「いつも、こんな感じ。もうわかったですね」と、言って終わらせた。うまいことまとめたものだ。と、感心すると同時に苦笑を浮かべた。