逢魔伝(おうまでん) 1-4
四
小学校に上がってから、ようやく僕にもいわゆる「理性」というものが理解できるようになった。しかし、それもそんなに小難しいことではないし、必要に応じて必要だと思ったからである。
「人の嫌がることはやらない」というだけのことだが、これを守るだけで、簡単に人々の中にまぎれ込むことができた。
しかし、僕のつりあがった黒眼と、細い黒髪と端麗な容姿、それとは不釣り合いな歩き方が、人には不気味に映るらしい。
友達という友達はできなかったが、僕にちょっかいを出してくる奴もいなかった。
親戚も、近所の人も、学校の人も、僕との間に一線を引きたがった。それを、僕自身はどうとも思っていなかったが、母さんがえらく心配していた。
よく、僕の頭を抱いては、悲しがっていた。
なぜかは理解できなかったが、面倒なので好きなようにさせていた。不思議と、母さんに抱きしめられている時だけ、普段なにも感じない心が、少しだけ温かくなるように感じられた。しかし、それはそれだけのことに過ぎなかった。
ある朝、僕は思いだしたように飛び起きると、こっそり家を飛び出した。「八枯れ」の容れ物を、探してやらなければならない。急に思ったのだ。
その時は、「八枯れ」が何かよくわかりはしなかったが、とにかく、いつまでも僕の周りを、ただよわせておく訳にはいかないと、考えた。
学校のそばの大通にそいつは「在った」。
車の行き交う中で、大量の血を流した黒猫の死骸を見つけた。僕はそいつを腹に抱えて、そばの児童公園まで、走って行った。
公衆便所の裏で、その死骸を下すと、僕は「八枯れ」に向かって、「この中に入れ」とだけ言った。しばらくすると、黒猫は血と糞で汚れた尻尾をぴくりと、動かした。それを見て、僕は成功したのだと、安堵した。
黒猫は黄色い瞳を見開いて、僕を睨みつけると、よろよろと立ち上がろうとした。しかし、内臓も骨もぐちゃぐちゃになっているためか、すぐに倒れた。八枯れは、小さな声で「おのれ、小僧」と恨みごとをつぶやいた。
「なぜ、活きの良い体を探さぬ。これは、もう死んでいるぞ。今まで助けてやった恩を忘れたのか」
僕はそいつに小さく微笑んで、「贅沢を言うんじゃないよ。あんまりうるさいと、うっかり、頭を踏みつぶしてしまうかもしれないよ」と、つぶやいた。すると、八枯れは、ちろりと赤い舌を見せて「貴様は、昔からそうじゃ。わしを鬼とも思わん鬼じゃ。貴様のほうがおそろしいわ」と、愚痴をこぼした。
「お前なら、そんな体、すぐに治せるだろう。それとも、僕に生きた動物を殺せと言うのか?」
「貴様なら訳ないだろう」
「そんな訳がないだろう。馬鹿な鬼だな」
そうして、八枯れを見下ろして、にっこりと笑った。
なぜか、八枯れは押し黙り、「毎日、食料を持ってこなければ、治せんぞ」とだけ言った。
しかたがないので、その日から毎日、八枯れの世話をするようになった。少しの水と、晩御飯の残りを、ビニール袋に入れて持って行った。
八枯れは、飢餓を越したもののように、よく食べた。すると、さすが鬼の回復力とでも言うのか、三日ほどで、歩けるぐらいに回復した。
「この体も、慣らせば悪くないな。ちと、小さいが」と、八枯れもまんざらじゃない様子だったので、僕はうれしくなって笑った。すると、八枯れは「次は、なにを企んどるんじゃ」と、警戒して、毛を逆立てていた。
長いこと「八枯れ」と話がしたいと思っていたが、はじめて交わした言葉はあまり良いものではなかった。それでも、これでようやく、「八枯れ」は僕の物になったのだと、満足した。
五へ続く