紅筆伝 1-12
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十二
「駄目だ」今回ばかりは、頑としてゆずらなかった。僕の言葉を聞いて、真子は子供らしく頬をふくらませた。
「なんで!いいじゃない、たまには真子だってやってみたい!」
「駄目なものは、駄目だ。そもそも、助けに行くも何も……」僕は、大きく息を吸い込んで、紫煙と一緒に吐き出した。「お前は、何の力もないだろう。こんなものに巻き込む訳にはいかん」
「なんの力もない、と言うことは無いようだよ」
タチバナは他人事のように、のんびりと、つぶやいた。僕は、彼女の方を見つめて、片眉を持ちあげる。
「お前、何か知っているのか」
「そもそも、今まで、君が知らなかったことの方が奇跡だと思うんだがね」
そう言って、ため息をついたタチバナは、手の爪先を眺めている。その黒い双眸に映る感情は、よめない。
「真子は、どうやら異様な肉体を持っているようだよ」
「なんだと?」異様。そう言われ、声が低くなったが、気を取り直して、真子の全身を眺めた。
ゆれるツインテール。茶色の大きなまなざし。清潔な白いシャツ。子供らしい黄色のスカート。程よく筋肉のついた両足。どこを見ても、異様さは見当たらない。
「見た目にはわからんよ」タチバナは苦笑を浮かべ、頬杖をつくと、あくびをもらした。のらり、くらり、と、まるで猫のようだった。件の黒猫を思い出し、そちらを見ると、尻尾をパタリ、と動かして、あくびをしていた。
こいつら。本当に。何というのか。
「ムカつくな」僕は、眉間に皺を寄せて、八枯れの髭を少し強めに引っ張った。それを見ていた真子は、「お父さん、八枯れをいじめないで」と、殊勝なことを言う。僕は、微かにため息をついて、真子の丸い頭を撫でた。
「真子。もし、君に僕と同じような能力があったとしても、僕は君を行かせたりはしない」
なんでか、わかるね?そう囁くと、真子はうつむいた。
「君は大切な僕の娘だ。君を行かせるくらいなら、僕がやるさ」
そう言って、煙草盆の中で、煙草の灰を落とした。
「ひとまず、アパートを見に行ってみるってのはどうすかね」
シン、としていた広間で、のんきな声が歌うようにつぶやいた。声の方を見ると、邪植が茶をすすりながら、にやにやと、笑っていた。
十三へ続く
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