結婚するということについて。
最近、独身貴族が増えているそうで、まあ、多様化した社会ですので、私の個人的な見解としては、「ご自由に」としか言いようがないのですが。
「結婚をしたい」と、よくキャリアウーマンの友人たちから話をされますが、大概、結婚したい理由というのが、どうも良くない。
老後のためだとか、子孫繁栄だとか、まあ、つまり相手を好いて結婚するというものではない理由が多いため、つまりは、一つのアドバンテージのように考えている女性の強がりの裏に隠されている本音を勝手に妄想したのですけどね。
大体は、今以上に評価されたいだけかなって。
まず、結婚を社会的に「良い」基準として見るのには、それなりの理由があるのですよね。
赤の他人と生活を生計してゆく、というのは、案外、口で言うほど簡単ではなく、かと言って、言うほど困難な問題でもないのですよね。
しかし、社会的にまあ、他人と家族をやろう、と考えて、実行している人達っていうのは、それなりの許容量があることが、目にわかりやすい訳ですよ。
で、まあ、実際、それなりに許容量ないと、他人と生活なんかできませんのでね。そこは、基準として見られてしまうのは、仕方がないのかなあ、とは思います。
やっぱり、家族暮らしと、独身にはない不自由さというものが生じてきますので、それを24時間お互い抱え持つ訳で、それにはそれなりの社会的な評価を受けるのは当然でしょうね、としか言いようがない。
私からしたら、ずっと独身でいられる経済力は、非常にうらやましいんですがね。笑。
会社ってほら、能力とか、経済力だけじゃなくて、結局、人間力も見ますでしょう。
人間力ってわかりやすく反映されるのって、やっぱり家庭なんでしょうね。
私生活を見る社会を古いって思うのかもしれませんがね、しょうがないんですよ。共同体が、わかりやすく個人を評価する材料としては、結婚っておいしい餌なんだから。
有能だけど、人間力が足りないのは結婚してないからだ。と、言われて落ち込む人もいるのかもしれませんが、じゃあ、誰でも良いから結婚しちゃえばいいじゃん。とか、思うのですよね。
一緒にいれば、そのうち情は沸くし、嫌いじゃ無ければ好きにもなる可能性はあるんだから、それこそ結婚してから、好きになればいいんじゃないの。とか、まあ、思っている。正直言うと。笑。
あと、結婚って結局は共同経営だからさ。
結婚ごときで、人生が大きく変わる訳ないんだよ。変わるとしたら、自分の中の価値観とのつきあい方くらいですよね。
他者の価値観を生活の中で、どう分かち合ってゆくかって話でね、出会い系とかである、「趣味が一緒」とか、「考え方が近い」とかって、あまり結婚の物差しにならんなあ、と、実体験からつくづく思うよ。
私の中で一番大事なのはですね、お互いあまり干渉しあわない夫婦でいられるか、なんじゃないかと思うのですよ。
良い言い方をするなら、お互いを尊重しあえる関係と言えばいいのかね。
そこの最低ラインさえ守れてりゃ、大体の人とは一緒になれますし、案外、その「しっくり」くる感じを見つける方が、趣味あう人探すより、たぶん難しいし、重要だと思うのですよ。
結婚することについて、あえて話すとしたら、今は「とりあえず、何回でも結婚できるんだから、とりあえずしちゃえば?」なんですよね。
バツがつくの嫌って思う人いるかもしれませんが。笑。
なんかね、結婚を車に例える人もいますが、結婚って就職と同じです。
どこでも良いから、就職して、ひとまず働いてみればいいじゃん。みたいなものかな。
あと、他にもっといい会社(人)いるかも、とか思わなければ、添い遂げられますよ。
ある友人は、「結婚は交通事故です」と、はっきり言いましたね。これには、大いに笑いました。
まあ、そうかもしれない。笑。
「結婚することについて。」