静寂の歌 3-8
八
「バラバラの被害者について、くわしいことを教えてくれないか」
足元で丸くなっていた木下は、ゆっくりと顔を持ち上げて、目を細めた。
「そっちは外されたって言ったじゃないか。問題なのは、歌のほうだよ」
「物事ははじまりから考えてゆくべきだ。バラバラの犯人を挙げることが、歌の解決につながるかもしれない」
木下の腕をつかんで立たせると、膝小僧にこびりついた土を払った。「わかったよ、ここまで来たら全部話す」と、言って隣に腰かけると、空を見据えて遠い記憶を思い出すようにして、ゆっくりと話し始めた。
「今回、足立区で見つかった死体は、高橋陽一のものだった。君に写真で見せた前の四件は、高橋陽一の友人である都築隆、陽一の息子の通う学校の担任だった馬橋由紀子、同クラスの沢田光太郎、同クラスの田中裕子の四人だった。だから、高橋陽一を警戒していたんだが、ある日、失踪したんだ」
白い煙を吐き出すと、灰を下に落とした。
「高橋陽一を警戒していた理由は?」
「解剖学者だったんだよ」木下はようやく落ち着きはじめたのか、縁側の上で胡坐をかくと、顎をかきながら続けた。「あまりにも突飛な研究が過ぎて、問題を起こしたんだ。高橋は、ゼミの学生の一人に実験を行おうとした。それが問題になって、大学を追われたんだ。部屋は、研究資料と、実験動物や虫であふれかえっていた。聞き込みで、家の中をちら、と見た時に、君に言われたことを思い出してね。彼は、ネズミの解剖なら、麻酔を使わなくとも十分で仕上げていたんだそうだ。人間なら半日でできる、と」
それまで黙って聞いていた八枯れが、突然ピン、と両耳を立てると「見てみたいな」と、つぶやいた。僕は眉間に皺をよせて、そいつの尻尾を軽く引っ張った。
「高橋陽一が失踪したのはいつだ?」
「実は、君と会った日なんだよ」
僕は一瞬、思案して「ああ」と、小さくうなずいた。
「先月の火曜か」
「まだ高橋陽一のことが、くわしくわかっていなかったからね。君とバラバラの話しをしていた時は、僕も念頭になかった」
木下は、両手を足の間で軽く組んで、庭に植わっている楓の木を見上げた。
「君と会った次の週に、近隣住民に聞き込みをしていた。高橋陽一の家に行ったら、陽一の息子が出て来てね。父親は不在だってことと、さっき話した内容を、そのまま教えてくれたよ。それで、少しだけ中をのぞきこんだ。そしたら、たくさんの水槽と、瓶が並んでいる棚が見えた。あと、本や研究論文などで、足の踏み場も無かったな」
「コンビニ袋や、インスタント食品の食べカスなども、無かったのか?」
「ああ」木下は眉間に皺をよせて、左上を見つめた。高橋陽一の家の様子を思い出しているようだ。「そう言えば、その手のゴミはあまり無かったね。埃と、紙と、本ばかり、床に落っこちていたかな。あと、黒いビニール袋」
僕は、ハッとして顔を上げた。八枯れもそれに気がついたのか、にやにやと笑みを深くして、木下の顔をじっと見据えていた。
「ビニール袋?それが、玄関のそばに置いてあったのか?」
「うん、あまり大きくは無かった。猫が一匹入るくらいだね。僕がそれを見つめていると、研究資料のために、カエルを拾ってきたんだとかで、袋から二三匹取り出して見せてくれたが、あんまり臭かったから、すぐしまってもらったよ」
「息子の名前は?」
「それは君のほうがよく知ってるんじゃないか」
「どういうことだ?」
「つぐも君だよ。さっきまでここに居たろう」
木下は袋の中の匂いを思い出しているのか、顔を歪めて舌を突き出した。僕は、徐々に結ばれてゆく思考の糸に、自然興奮を覚え、ぶるぶると震え出した。左手で、ぐっと右肩を押え込むと、一度大きく息を吐きだした。八枯れはにやにや笑いながら、つぶやいた。
「だから言ったろう。わしと同じ匂いがするとな」
「どういうことだ?」木下は眉間に皺をよせると、八枯れを見下ろした。
「なに、わしは同種喰いでのう。他のものは、同じ魔や妖怪を喰うのだけは嫌がっていたが、わしは妖怪の肉や心臓が好きでな」
嬉々として語り出したその言葉を、木下は怪訝そうに遮った。
「同種喰いって、誰が」
「その小僧じゃ」
「小僧?」
「ええい、鈍い奴だな。高橋つぐものことじゃ」
苛立ちながらはっきり言うと、木下の顔からどんどん色が無くなってゆく。僕はため息をついて、鬚を引っ張った。八枯れはきっ、と睨んでくる。「本当のことだろう」と、言って怒った。
「お前は、話しのスピードを上げ過ぎなんだ」
「回りくどいことが嫌いなんじゃ」
「短気なだけだろ」
八枯れはなんでもはっきりと言う。僕でさえ、口にすることをためらわれることでも、何でもないように言うのだ。
「おそらく、小僧の父親はその黒い袋の中にいたんじゃ」
「ばかな、あんな小さな袋にどうやって」
「貴様は何年経っても、鈍いのう」
八枯れの呆れた視線を手のひらで覆い隠して、仕様がないなと、眉間に皺をよせ、じっと木下を見つめた。
「バラバラにしてから、より細部にわたって解体しやすいよう、部分的に腐らせていたんだ。中のカエルには、湧いた虫でも食わせていたんじゃないか?おそらく、冷蔵庫で内臓を保存し、骨に近い部分はそうやって腐らせて、観察、解剖。で、ロースやカルビあたりは、食ってしまったんだろう」
しばらく逡巡していたかと思ったが、おえ、と胃液を吐き出した。八枯れはそれに表情を歪めて、「向こうで吐け。馬鹿もの」と、文句をたれていた。
僕はその光景を眺めながら、頬づえをつくと「自分の親父を殺した日に、のうのうとここに来るとはね。なんて奴だ」と、苦々しくつぶやいた。