ボーっとしていてもいいじゃない。
小説を書いていて思うのは、やはり私は、物語が好きだということだった。
よく、リアルの世界では、「はあ、小説をね」と失笑されることも多いのですが、正直そういう嘲笑は、最近どうでもよくてですね。
もちろん、私の作品を好きで読んで下さっている方も中にはいるので、その失笑はそういう方々に対して、非常に失礼だな、と思う時はありますが。
日々、現実を生きていると、私の脳みそはですね、だんだん行き詰ってきて、息苦しくなってくるんですね。
それを、小説という小宇宙に没頭させる時間を作るとですね、脳が落ち着くというか。
ぐるぐると回っていた脳が、少し満足するというか。
なんというか、そういう状況を、実は医師とかには説明できていないのですが、それが所謂アウトプットというものなんですかね。
障害特性と関係あるかはわかりかねますが、ともかく、自分と外との境界がはっきりできて、楽になるんですよね。
まあ、そんな訳で、結局自己満足的に小説を書いていることは否めないのですが、そんな制作物を誰か一人でも読んでくれて、面白いと思っていただけたら、それはこの上の無い幸せだな、と綺麗ごとじゃなく思うわけですよ。
こればかりはね、金銭じゃ買えないものというか。
なんていうんですかね。
私が私であるために、必要な世界と私をつなぐツールのようなものというか。
よく、夢想している人を見て、遠くから、「あの人やばいよね」って笑う人とかいますけど、私はその夢想組なので、「一体なにがやばいのか」と、根拠を問いたくなるのですがね。
誰にも迷惑かけず、一人、黙然と紙と向き合っているだけなんで、笑われる意味も、怒られる必要性も感じないんですよね。
人には理解されないことかもしれませんが、自分にとって大事な作業って、誰もが持ってますよね。
ただ、それだけなんじゃないかと思うのですよね。
だから、案外、嘲笑してる人って、夢想できることがうらやましいのかね、と思うのですよ。
まあ、人のことはどうでもいいや。(笑)
ともかく、小説って書いてて楽しくて、これからこの物語は私をどこへ連れて行ってくれるのかな、と、いつもわくわくしながら、書いています。
そういう意味では、私はたぶん、ずっと幸せなんでしょう。