『葬送の仕事師たち』抜き書き→キリストの死からの復活の希望

『葬送の仕事師たち』抜き書き

  『葬送の仕事師たち』井上理津子著 新潮社 2015(平成27)年


『葬送の仕事師たち』の『亡くなった方』への態度・死生観

(サン・ライフ代表取締役会長・竹内惠司氏)「ご家族も世話役もお坊さんも、それぞれ立場は違うが、亡くなった人を尊重する気持ちに変わりはないと気づいたんです。」(同書P.27)

  (高橋朋弘氏)「遺体そのものは全然怖くない。だが、遺体を前にしていると、『やがて自分もこうなるのだ。死ななきゃいけないのだ』という思いにからめとられる感覚に陥っていったのだそうだ。自分の死への恐怖。自分が死んだら無になるのか、死後の世界はあるのか。」… 「『死という根源的な恐怖があるために、宗教があるということ。』」(同書P.66)

  (堀井久利氏)「(生後一週間の女の赤ちゃんが亡くなったお葬式)…。「花の弔いの終わり、喪主の挨拶となったとき、お母さんが突然、棺から赤ちゃんを引きずり出した。胸に抱きしめて、離さない。お父さんも挨拶が出来る状態ではない。」…「言葉の神様が僕のところに下りてきた。それが口をついて出たっていう感じです。…『今日はみなさん、確認のためにお集まりになりました。○○ちゃんが確かに親族の一人であることを。○○ちゃんは、皆さんに愛されながら早く旅立たれました。○○ちゃんに敬意を表してください。これから○○ちゃんを、空に、夢に感じ、心で○○ちゃんと共に生きてください』みたいな内容。話しながら、こみ上げる思いを押し殺せなくなって自分も泣けてきて、終わりのほう、ぐずぐずでした。葬儀屋は泣いたらアカンのですけど、身内になったような気持ちでした。」(同書P.69〜70)「…もっといえば社会的地位のある人もない人も、死を迎えたら結局みんな平等やなと思えるんですね。このごろ」(同書P.76)

  (虎石薫氏)「自死した知人を担当したとき、遺体に『私たちがちゃんと洗っていますからね。見ていてください』という思いになったという。いつにも増して気が張り詰めた状態での作業となった。『そのとき、仕事中は涙を飲み込みましたが、すべてが終わってから大泣きしてしまいました。』」(同書P.96)「生意気なこと言いますけど、死にふれ、死を考えることは、生きるということを考えることだと思えるんです。」(同書P.99)

  (水野未千佳氏)「(今所属する葬儀屋さんが、)『亡くなった方を、人として大切にすること』に共感した。」「苦しそうな死に顔だった方がきれいになり、ご遺族が顔を見てお別れできるようになる。お金をもらっているほうが、『ありがとう』と言ってもらえる仕事って、そんなにないでしょう?」(同書P.117、P.118)

  (木佐貫俊郎氏)「木佐貫さんは、自分は今も怖がりだという。一人で作業中、遺体に『やたら話しかける』ことによって、恐さを克服しているのだそうだ。『こんにちは。木佐貫です』と挨拶し、…。」「うまく言えませんが、亡くなられた後も『人』であることに変わりないと思うんですよ」(同書P.118〜119)「追いつめられて、周りが見えなくなるから自死するんだと思う…。死にたいという人に、僕は、その前にちょっとでもヨコを見てくださいと言いたいんです…。…一人じゃないんだって思えて、踏み留まれると思うんですよね」(同書P.129)

  (宇屋貴氏)「自分と同世代の人を立て続けに二人、施術したことがあったんです。一人は長い闘病の末にやせ細って亡くなった人、もう一人は自殺した人。二人とも、たぶん僕と同じ音楽を聴いたり、同じアイドルを好きになったり、…同じ時代の空気を吸って生きてきたんだと思うと…たまらなかった。気がつくと、闘病の末に亡くなった人には『すごく頑張ったなあ。えらかったなあ』、自殺した人には『なんでもうちょっと頑張れなかったんだ。生きたくでも生きられなかった人もいるんだぞ』と、施術しながらぶつぶつ言っていました。生きるって、死ぬって、どういうことなんだろうといろいろ考えさせられたんです。」『それまでは、人は生きていることが当たり前で、死ぬのが特別なことと思っていたんですが、逆に、生きるってすごいことだ、ありがたいことだと思うようになったんです…。僕らがエンバーミングしているのをご覧よって思う…。少なくとも、エンバーマーはこの人のことを必死で考えているんだ、この人は一人じゃないでしょ、って。人はいずれ死体になるのが当たり前だから、生きることがどんなにありがたいかわかるよって』『お葬式で一番大切なことは、遺族が大切な人と過ごす最後の時間だということ。葬儀社はその時間をつくって提供する“総合演出業”だと気づいたんです。』(同書P.147〜148、P.152)

  (嵯峨英徳氏)「今なお偏見の目で見られる職業だということに違和感を禁じ得なかったですし…」(同書P.184)

(森田和彦氏)「一口で言うと、生活のためと割り切ってしてきた仕事ですが、人の最後の瞬間に立ち会う非常に大切な仕事だと思うようになりました。とりわけ身寄りのない方の場合、自分が最後の最後に立ち会うたった一人の者だと思うと気が引き締まるんですよ。近ごろ特に」(同書P.189)

  (亀山徹氏〈仮名〉)(火葬中に)「『ご遺体を人やと思ってたら、自分の気持ちがもたないですよ…。うまいこと言われへんけど…、みんな、どんな家に生まれるか選べずに生まれてきて、人生がはじまる。そして、辛いことも楽しいことも経験して一生が終わる。その人が火葬炉の扉を越えたら、家柄も血筋も辛いことも楽しいことも、全部一緒に過去になる。お金持ちも貧乏人も、名声のあった人もなかった人もみんな平等にすべてが無になる。骨になり、灰になるって。…僕ね、もういいや、人生やめよ、と思って片道切符のつもりで東北へ行ったことがあるんですね。三十七歳の時やったか。でも、恐山で、人のためになることをしてもう一回生き直そうと決意したんですよ。で、火葬場に勤めようと』『恐山の入り口を入って、…ふらふらと歩いて行くと、…散策路があって、その前に石碑が立っていた…。正確な文言は覚えていないけど、〈生きている間、自分は存在しない。死んで、生きている人の心に入ってから、生きていたと世に証明される〉。そういう意味の開祖の言葉やった。読むなり、僕、全身に衝撃が走ったんです。今、自分から死ななくても、死はいつか必ず向こうからやってくるーーみたいな。』(同書P.198〜201)


遺体の状態

 (高橋朋弘氏)「警察から連絡がきて、自死されて相当時間が経ったと思える遺体をマンションの部屋へ引き取りに行くこともよくありますが、臭いが半端じゃない。いなり寿司が腐ったような、鮒寿司のような臭いが、たとえば換気扇の窓がちょっとでも開いていたら三十メートルも手前から漂ってきます」「…臭いで目がやられて、泪目になっちゃうんですよ。…部屋中至るところに蛆虫が折り重なっていて、ザーッザーッとざわめいているんですよね。掃除機で蛆虫を吸い取りながら進んで、“道”を作らないと遺体までたどりつけません。…何度立ち会っても臭いが耐えられないですね」(同書P.61)

  (安齋康司氏)「『死後の時間やご安置の状態によって、ご遺体は微妙に変化します。…温度が上がると腐敗は早くなる。内臓が腐敗すると、腹部が緑色に変化し、さらには全身が真緑になっていることもあります』」(同書P.104)

  (木佐貫俊郎氏)「モザイク状とは、損傷が激しいため、透明のビニールの納体袋を二重にして入れてから納棺し、棺の窓から覗くと顔にモザイクがかかったように見える、という意味だった。」(同書P.127)「(九日前に車の中で一酸化中毒自殺をした三十代の男性)(発見されたのが死後四日目、自殺遺体は検視と解剖があった。遺族の都合でさらに五日間自宅に放置)…色はご覧のとおりで、顔も体も表皮の下の真皮が出ていて、ジュクジュク。全身が水っぽい感じで、所々に虫の卵が湧いていましたね」(同書P.126、128)

  (木佐貫俊郎氏)(東日本大地震の直後)(遺体安置所)「棺の中も泥だらけで、全身がつながっているご遺体はほとんどない。欠損していたり、砂が皮膚に入り込んでいたり。木の枝とか鉄の棒とかが突き刺さったままのご遺体もあった。無惨な姿ばかり。それに、重油の臭いなのか海水の臭いなのか。人の臭いじゃない、例えようのない強烈な悪臭。もう、どろどろ。ご遺族が次々と着の身着のままでお身内を探しに来られるんですが、見つかるのは稀。」(同書P.130)

  (宇屋貴氏)「『亡くなった瞬間から、バクテリアや細菌などが繁殖する条件が整うんです。そのまま放置しておくと、翌日にはトリメチルアミンや硫化水素の作用によって、腐った玉ねぎや卵が入り交じったような臭いと、アンモニア臭が発生するのが自然なんです』」「人の体は細胞が集まってできている。細胞は70パーセントが水分で、次に多いのが蛋白質で20パーセント。筋肉…などほとんどの臓器に蛋白質が存在する。蛋白質は『無数のアミノ酸が鎖でつながっている』が、生命を維持する必要がなくなると、自然に鎖が一つひとつ外れていく。バクテリア等もそれを助長する。」(同書P.142)

  (森田和彦氏)「ご遺体の臭気になれるまで、私は時間がかかりました。車から降ろした瞬間に、臭うご遺体は臭うんですよ。水死体や腐敗が進んで傷んだご遺体ですね。形容のしようのない腐乱臭が館内に蔓延します」「『傷みのひどいご遺体』は行旅死亡人、つまり行き倒れや孤独死など、遺族に弔われない遺体に多いという。」(同書P.185、186)


葬送に関わる生業

エンバーマー

 エンバーミング(「死体防腐処置」「遺体衛生保全」)は、アメリカ南北戦争で亡くなった兵士の遺体を、長距離搬送で遺族に戻すために広まった。「遺体の一部に小切開を施し、端的に言うと、動脈に衛生保全液を注入し、静脈から血液を排出することにより、遺体の腐敗を遅らせる。さらに、損傷した顔のパーツを元どおりにするなど修復処置をして、生きていたときの姿に極めて近い容貌に甦らせる技術のことも指すらしい。」(同書P.37)

  (碑文谷創氏)「エンバーミングは、解剖学の遺体保全技術が葬儀に応用されて、変化して出来た技術です」(同書P.134)

  「葬儀社のエンバーミング開始」「1988年3月のアルファクラブ武蔵野が最初だ。」(同書P.135)

  「エンバーミングは、薬液を使用する『保全』を主に指すが、顔の『修復措置』(復元師のいう「復元」も含まれる。)」(同書P.136)

  (稲部雅宏氏)(エンバーミング)(処置室にて)「まず全身を水で洗い、髪を洗い、顔を整える。そして、数種の薬液を調合する。鎖骨の下の部分、…にメスを入れて二センチほど切開する。切開の深さはわずかで、皮膚とその下の組織だそうだ。その中から動脈を露出させ、金属製で筒状の『キャニュラ』と呼ぶ道具を刺して、ホルマリン液などを二、三パーセントに水で薄めた薬液を注入していく。」「人間の体の中に流れている血液って、およそ四、五リットルなんですね。…動脈から薬液を入れていき、その圧力で押し出し式で入れ換えるんです。六リットルから八リットルの薬液を入れ、血液の60〜70パーセントが交換される形です。エンバーミング施術は、一体平均3時間。『その間、ご遺体と一緒にいるんだという妙な連帯感がある』という。」…『動脈が細い、血栓ができているなどの理由で、薬液が全身にきれいに回ってくれない人もいるんです。足に回らないなとわかると、薬液をもう一か所、鼠蹊部から入れさせていただきます。』…「小切開した部分は丁寧に縫合する。胸水や腹水が溜まっている人には、その箇所にチューブのついた大きな針『トロッカー』を差し込み、抜く。白装束あるいは遺族が持ち込んだ洋服に『お着替え』をさせ、顔の修復に入る。」(同書P.140〜141)

  (宇屋貴氏)(エンバーミング)「『体の中のタンパク質を固定し、まだ繋がっているアミノ酸の鎖の力を強めるのが、エンバーミングの薬液の効果です。防腐、殺菌、修復の三つの効果ですね」」(同書P.143)

  (野杁晃充氏)(エンバーミング)「長い闘病でなくなり見るに忍びない姿になった故人様を、生前のきれいな姿で送ってあげる意味は大きいと思います」(同書P.167)


湯灌師・納棺師

(虎石薫氏と主任)「故人を二人で抱え、浴槽に張ったネットの上に寝かせる。バスタオルで体全体を覆い、衣服を脱がせる。そして、体の担当と頭の担当がそれぞれの場所に膝をつく姿勢となり、シャワーのぬるま湯で洗っていく…。浴槽の後ろ側に座っていた虎石さんが『私は主に頭髪のシャンプーの担当なんです』と膝歩きの形で浴槽の脇に移動したとき、不意を突かれた。…あまりにも動きが『滑らか』だったのだ。」(同書P.94)「ご遺族は私たちの手元を見ていらっしゃいますから、指先をまっすぐ伸ばすとか、どういう所作が美しいかとか常に考えています。」(同書P.95)「湯灌後は白装束を着せてから、多くの場合『血色メイク』を施す。顔の肌は時間の経過によって表皮剥離が起きがちで、乾燥が激しいと『スモークチーズのように』なる。乾燥の度合いを手で確かめて、保湿クリーム、コンシーラー、ファンデーション、パウダーなどを塗るのだという。」(同書P.98〜99)

納棺師・復元師

 (安齋康司氏)(東日本大地震の納棺)(年配の夫婦からの依頼は、)「亡くなったのは、高校を卒業したばかりの十八歳の孫娘だった。夫婦の娘夫妻(孫娘の両親)も見つかっていなかった。夫婦の希望は『全身の復元』だったが、手に負えるレベルを越えていた。納体袋から出すと、遺体は惨い状態だった。全身がガスでパンパンに膨張している。胴体にも手足にも顔にも表皮はなく、真皮が剥き出しだったそうだ。安齋さんは、自分も泥だらけになりながら、砂や泥を一つひとつ取り除き、濡れタオルでひたすら拭いた。触れるだけでぼろぼろと崩れる箇所も少なくなかった。…写真の彼女は、はちきれんばかりの若さだ。…この先に続くはずだった『輝かしい未来』がすべて奪われたのだと、痛感した。安齋さんは『せめてお顔だけは』と、血の塊を取り除き、コーティング剤をかけ、損傷した箇所を直していった。パテで鼻をつくり、頬のふくらみを形成し、渾身の力で復元を重ねたのだという。3時間以上かかった作業が終わり、彼女に着せたのは、真新しいスーツ。…四月の入社式に来ていくのを楽しみにしていたというものだった。着衣ができたとき、夫婦は『やっと孫に会えた』と、肩を小刻みに震わせ、嗚咽した。安齋さんは、作業中ずっと張り詰めていた心がほどけた。涙が止めどなく頬を伝ったという。『私自身も壊れそうでした。グリーフとかグリーフケアとか、簡単に使える言葉じゃない』」(同書P.108〜9)

復元納棺師

  (水野未千佳氏と木佐貫俊郎氏)「(著者)ある朝、急に、…霊安室に入室が許された。」「(遺体は)、血の気が完全に消え失せた青白い顔で、白目をぎょろっとむき、口もだらりと開いていた」「近づくと何とも形容しがたい悪臭がじわじわと漂ってくる。…白髪で痩身のおじいちゃんだった。」「遺体は、胸に肋骨の形が一本ずつくっきりと浮かび上がっていた。肉がまったくと言っていいほど付いていないのだ。」

 「木佐貫さんが消毒した綿花を使って体を拭き始めた。隅々まですこぶる丁寧に。」「(遺体の顔)水野さんは、先端に綿花をくるくると巻いたピンセットを右手で持ち、『おじいちゃん、ちょっとごめんね』と言うや否や、左の親指と人差し指で右の瞼を少し持ち上げた。瞼の裏側と眼球に少しの空間ができる。…その中に、綿花をはさんだピンセットの先を滑り込ませた。」「『そうよね、おじいちゃん。待っててくれたのよね』と、水野さんは遺体に話しかけた。」「手を休めず、綿花の入っている瞼の表面を、右手人差し指の先で軽くつついて、ふくらみを安定させる。」「穏やかに眠っているような目元に大きく変貌したのである。」「『次、口行きますね』上下の唇を大きく開けて、口の中を覗き込む。歯は一本もなく、歯茎はやけにきれいなピンク色だが、ずいぶん嵩が低いと感じた。水野さんはプラスチックの容器から釣り糸のような糸を通した太い針を取り出した。『おじいちゃん、ちょっと痛いの、ごめんね』と言ったかと思うと、上の歯茎、続いて下の歯茎に針をぐいっと指し込んだ。…、血は一滴も出ない。上下双方の歯茎から出た糸を結んだ。」「(水野さんが、)『毎回ではないですが、この方の場合はこうしないとどうしても口が開いてしまうんですね』」「その後、目のときよりもかなり多量の綿花を、微調整しながら三回にわたって、やはりピンセットで口に入れていった。頬の下から顎の上までふっくらした。そして、指先で左右の口元や頬をつつく。あれほど開いていた上下の唇がくっついた。…温和な顔になった。」「水野さんは、スプレーしたシェービングクリームを顔の上に綿花で適量ずつ付けて、大型のI字型剃刀で髭を剃り始めた。…途中で剃刀を三回換え、耳毛、鼻毛剃りを含め、八分近くかかって顔全体を剃り終えた。」「…(遺体の顔に)オイルを塗り、パレットで色目を調整したファンデーションが重ねられる。」「頭髪をドライシャンプーし、櫛でとき、さらには美容師がするように逆毛を立てた。」「同時に作業していた木佐貫さんも全身を隈なく拭き終えていた。」「局部には綿花を当てて、その上に紙オシメをささっとつけ、二人で白い仏衣に着替えさせる。足袋、手甲脚絆を付け、六文銭と白頭巾を入れた頭陀袋を胸元に収めて棺に入れ、『おじいちゃん、ゆっくりお休みくださいね』と所定の冷蔵庫に戻す。」「全工程で四十分ほどだった。」(同書P.110〜115)


火葬の歴史と現状

  「人が亡くなった後、法律的に『しなければならない』のは、七日以内に役所に死亡届を提出して火葬許可証を受け取り、火葬することだけである。」(同書P.173)

日本における火葬は、「唐で玄奘三蔵(三蔵法師)に師事した後に法相宗を伝えた奈良の元興寺の僧・道昭(629〜700年)」が、遺言により、荼毘に付されたのが最初とするのが定説である。(同書P.175)「鎌倉・室町時代に一般庶民に広まった。」「寺の境内…、人里離れた窪地などで、薪や藁、木炭で野焼きされたという。」(同書P.175)「前者(寺)では僧または坊守(ぼうもり=寺や坊舎の番人)、後者(人里離れた窪地など)では集落内の人たちだった。」「明治政府は1873(明治6)年、廃仏毀釈を背景に火葬を禁止したが、…(都市部の)土葬用地不足と衛生面の問題から、わずか二十二か月後に解除した。」(同書P.175、176)

  (嵯峨英徳氏)「火葬炉の中にバーナーは、一本だけなので、そのままでは火が回っていかず、きれいに焼けないんです。炉の裏側に付いている小窓から、デレッキという長い棒を炉の中に突っ込んで、ご遺体の位置を整えながら荼毘に伏しているんですね。ご遺体の状況によって、四十分もかからない人もいれば、2時間近くかかる人もいらっしゃいます。」[注:『デレッキ』とは、オランダ語で、先端部分がL字に曲がった鉄の棒のこと。]「最初の十分ほどで棺が焼けて、ご遺体がむき出しになります。バーナーが頭の上にあるので、先に頭部の方から火葬が進むんです。炉の中を火が回りますが、下半身のほうの火はどうしても弱いので、頭の側にある小窓からデレッキを入れて、ご遺体の脇の下に当てて、手前に持ってくるんですね」「火葬炉には、棺を台車ごと炉内に入れて高さ十センチほどの五徳の上で焼く『台車式』と棺のみを入れて高さ三十センチほどに足場を組んだ鉄格子の上で焼く『ロストル式』の二種類があるとのこと。」「小窓を覗き込んで猛火の中の遺体と対峙し、『きれいに焼く』努力をしているーーということなのだ。」(同書P.182〜183)

(森田和彦氏)「炉前で点火スイッチを押すとき、遺族に『人殺し』と叫ばれた同僚もいる。森田さん自身も、骨上げのとき、『なんで喉仏がないんだ』と立腹をぶつけられることもたびたびある。」(同書P.188)

(亀山徹氏〈仮名〉、吉田氏〈仮名〉)(乳児さんの火葬)「若い夫婦と、それぞれの両親であろう四人が到着する様子が、詰所のモニターに映し出される。…モニターには、お母さんが棺にへばりつき泣き崩れる画像が映る。わずか五メートル先のドアの向こうに最愛の赤ちゃんを亡くした家族がいるのだと、胸が締めつけられた。」「『点火もうすぐやから、こっちへ』…、炉裏(ろうら)[『火室』のこと]へ行った。…台車ごと炉内に入れて五徳の上で焼く『台車式』の火葬炉だ。…燃焼機械の手前に、…タッチパネル形式の『操作盤』があった。点火後何より驚いたのは、小窓を覗いて見えた炉の中の炎の強さと音だ。オレンジとも赤ともつかない鮮やかな炎が轟音を立てて燃え上がり、縦横無尽に伸び、そして前後左右に動く。…渡された『遮光眼鏡』をかけて凝視するうち、中央に小さな物体が見え隠れしはじめた。もう一方の小窓から火葬炉の中を凝視していた亀山さんが、突然『ごめん』と私を制し、燃え盛る炎の中にデレッキを突っ込む。ドライアイス、花、ぬいぐるみなどの副葬品を除けたのだと、あとで知る。…『いいですよ』の合図で、私は再び小窓を覗く。目を皿のようにしてやっと赤ちゃんらしき姿を確認できた。…赤ちゃんの火葬温度は大人より低いと聞いていたので、主燃焼炉が『30分、530度』を示していたとき『この温度がピークですか』と聞く。押し黙った後、『いや。温度計は主燃焼炉と再燃焼炉の間に付いていて、炉内温度(空間全体の温度)は違うので。バーナーの先の温度はたぶんもっと高いし』と説明してくれた。やがて炎が小さくなっていくにつれ、小さな骨が見えるようになってきた。約五十分で火葬は完了した。」「…三十二歳の女性の時は、少し見慣れてきていたからか、頭蓋骨が焼け落ちていく様、黒い塊の脳がむき出しになって燃える様、体の皮膚が焼けただれていき、分断された肉片となっていく様、内臓が露出してくる様、火が付いた肉自体がひとりでに焼けていく様(自己燃焼と言うそうだ)などがおぼろにわかった。…森田さんに聞いた『焼けていく経過』どおりだった。…吉田さんは、『内臓が焼けにくいんよね。そやから、ある程度全体が焼けたら、内臓をバーナーに当たり易いように持ってくるんよ』とデレッキを小窓に入れて作業した後、操作盤でバーナーの角度を調整した。…火葬時間は、一時間ほどだった。…火葬完了後、吉田さんは台車ごと『前室』と呼ぶ、炉前と火葬炉の間の空間へ移動させた。…骨に触れても火傷しない程度を目安に、十分ほど自然に冷ますのだという。『熱っ』という感じでなくなると、台車上の五徳を取り除き、散らばった骨を火箸で拾い集め、人体標本のように整えた。『整骨』というのだそうだ。…遺族には、その後に、『火葬が終わりました』と告げられた。」(同書P.191〜195)

  (鈴木悟氏)『点火した瞬間から、中にいらっしゃるのは人間じゃない、仏さんだと思って、仕事しています』(同書P.203)


著者後書きより

  「私は関西の出身だからかもしれないが、取材中、かつては被差別部落の人たちが担った職業とされたことが頭の片隅にあった。しかし、取材を終えた今、その次元のことに言及する時期はもう過ぎていると思う。火葬場職員の亀山徹さんが『差別の目を持った人こそ、かわいそうだ』と言った。この言葉がすべてだ。」(同書P.252)


葬儀を整えるために、労されている『葬送の仕事師たち』の皆様に、『お疲れ様です』とお礼を申し上げたいです。今この時も、黙々と仕事をされていることでしょう。

この『葬送の仕事師たち』を読み、心に重いものを感じた。自分自身が、現在71歳であるからであろう。すなわち、『死』がそんなに遠いものではないからである。[追記:今から五、六十年前は、当方の出身地の山奥の田舎では土葬中心であった。]

『葬送の仕事師たち』の皆様の働きは、ご遺体、すなわち生きていた人が、呼吸を停止して、この世界の活動を停止した人を、丁重に取り扱い、次の世界に送り出すことである。

そこから、見えてきた事を、抜き書きの形で、上記に記した。特に感じたのは、時間の経過とともに進む遺体状況である。すなわち腐敗という事である。様々な形のご遺体がある。東日本大地震で死亡された方、事故死の方、行き倒れの方、孤独死の方、自死された方等のご遺体は、時間が経過して腐敗も進んでしまうと言われる。そのご遺体に接して、『葬送の仕事師たち』の皆様が、その方々の最後を看取っているのである。頭の下がる大変な生業である。

 『葬送の仕事師たち』の皆様は、ご遺体を次の世に送り出している。次の世は、漠然としたものである。当方にとって、この点をどう考えるかが、重要になってくる。つまり、死後の世界の事である。だらか、井上理津子氏の『葬送の仕事師たち』の記述された内容とは、離れてしまうことをお許し願いたい。

 当方も、二十代前半ごろ、自殺を考えたことがある。しかし、自殺の苦しみ等を考えると自殺はできなかった。そこから、宗教を考えた。当時、自分には、死後の世界を考えた時に、キリスト教の墓地等のイメージが明るいのを感じた。そして、キリストを求めることになった。 

① キリスト教では、死は、自然ではなく、不自然なものである。聖書は、最初の人アダムが、神の戒めを破り、違反した結果、罪が入り、死が入ってきたと説明している。私たちを創られた神との関係が断絶してしまい、死に直面する存在となった。その死とは、肉体的な死、霊的な死、そして永遠の死である。

② 私たちを創られた神は、アダムを神の戒めを破り、違反した状況に放置されなかった。もう一度、神との関係を修復する道を提供された。アダムを誘惑した蛇に対して、創造主は、「彼は汝の頭(かしら)を碎(くだ)き、汝は彼の踵(くびす)を碎かん」(創世記3:15)と語られた。「彼」は、女の子孫から生まれるメシア・救い主であり、救い主イエス・キリストである。キリストは、十字架にかけられて殺されたが、死から復活された。「汝」は、蛇すなわちサタン・悪魔であり、救い主イエス・キリストを十字架にかけて殺害した。ユダヤ教の大祭司やサンヘドリン(最高法院)と総督ピラト等が正当な理由もなく、救い主イエス・キリストを十字架につけて殺害した。

③ 死から復活されたイエス・キリストは、『我は復活(よみがえり)なり、生命(いのち)なり、我を信ずる者は死ぬとも生きん。』(ヨハネ11:25)と十字架につけられる前に語っておられた。イエス・キリストは十字架に付けられて死んで葬られた後、三日目に復活された。だから、『我〈救い主イエス・キリスト〉を信ずる者は死ぬとも生きん』(ヨハネ11:25)と語れているごとく、キリストが死から復活された〈復活の体〉の様に、キリストを信じる者も新しい復活の体が与えられて、よみがえるのである。この点に関して、疑問を持たれるかもしれない。キリストを信じても、信じた者も死ぬではないかと。確かに、キリストを信じていてもこの世では、肉体の死を免れることはありません。しかし、死と復活の間に『中間状態(=パラダイス)』が存在する。人間の体は、死後ちりに帰り、朽ち果てるが、「霊魂(たましい)はこれを賦(さづ)けし神に帰る」(伝道12:7)。霊魂(たましい)は、死ぬことも眠ることもしない不死の本質なので、パラダイスでキリストとともに過ごし、救い主イエス・キリストが再臨される(再び来られる)時を待つ。死後の『中間状態(=パラダイス)』において、キリストを信じる者の霊魂は、成長し、学習し、役目を果たしそして向上し続ける。それらの活動は、喜びであり、本質的に神に捧げられるものである。その『中間状態(=パラダイス)』で、救い主イエス・キリストの再臨を待つ。キリストの再臨の時に、キリストを信じる者は、新しい復活の体が与えられ、よみがえる。ただし、キリストが再臨される時、生きている信者は、新しい復活の体に変えられる。この望みは、救い主イエス・キリストが、十字架に付かれ、死んで葬られ、三日目に復活された事実に基づいている。

④ 以上のように、救い主イエス・キリストを信じているゆえに、この世では、肉体の死を経験するが、死後に、霊魂は『中間状態(=パラダイス)』で安らかに過ごし、キリストが再臨される時に、新しい復活の体が与えられることを待ち望むのである。

⑤ キリストが、この世に来られて、わたしたちと同じような肉体を取られたのは、『(a.)死の権力(ちから)を有(も)つもの、即ち悪魔を死〈十字架の死〉によって亡(ほろぼ)し、(b.)かつ死の懼(おそれ)により生涯奴隷となりし者どもを解放(ときはな)ち給(たま)はんためなり。』(ヘブル2:14、15)[注:(a.)、(b.)は、当方の挿入。](a.)キリストの十字架は、悪魔を滅ぼすこと、(b.)キリストを信じる者が死の恐怖に囚われている状況にあるので、その恐怖から解放するためであった。当方は、この事が本当である事を信じているし、キリストを信じていた方の死は、臨終の時に天国にいるのではないかと思わせるような雰囲気を感じさせる事があると聞いている。


伝道の書3:1〜2

『天(あめ)が下の萬(よろず)の事には期(き)あり、萬の事務(わざ)には時(とき)あり

生るゝに時あり死ぬるに時あり』

(お読みくださった皆様にお礼申し上げます。

ご在天の父なる神様。御名を崇めます。この記事をお読みくださったお一人お一人に、救い主イエス・キリストの祝福を与え、聖霊なる神様をお注ぎください。御名によってお祈りします。アーメン

ありがとうございました。)

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