「孤独」のこと、掘り下げてみました
孤独について
この言葉にじっくりと向き合うことはなかった。
昨日参加したへいなかさんのオンライン講座は
「孤独について作文を書いてください」
という簡単な指示から始まった。
30分ほどの後
各自が提出した作文を
へいなかさんが
読み上げ、みな静かに聞き合う。
あるひとはこう綴る。
自分以外の人がいる時
その相手とコミュニケーションを取れてない時
孤独を感じる
その反対が愛。
またあるひとは
孤独が故に
他者との関わりを求めるのでは、と。
私も同じように感じていたことに気づく。次のように。
孤独
意味は一人ぼっちで寄るべなく寂しい印象。
ですが、
普段わたしが孤独を感じることはほとんどありません。
どちらかというと
孤独を感じる人に寄り添うことの方が多いかもしれない。
一人しかいない。
そういう状況は好きです。
あぁ
この世界にわたししかいないんだ。
好きなこと自由にできる!!!
孤独に寂しさを感じないのは、
きっと
家族がそばにいてくれたからだろう。
鬱陶しくなるほど構ってもらったから、
孤独=一人きりの自由
という捉えでいられるし、
鎖が外れたような清々しい気持ちになれる。
そして一人になった自分を受け入れてくれる
友達がいてくれた。
信頼できる仲間がいてくれた。
孤独は新しい繋がりを生み出すための
小休止みたいなものかもしれない。
そのせいか、
孤独で辛い、とか
かまってほしい、とか
言う人には何か面白いことに誘いたくなる。
楽しいことしようよとか、息抜きしようよとか。
そこからまた
新しい繋がりが生まれる。
孤独を受け入れたら
新しい居場所が見つかる。
孤独を感じたら
創作の世界に夢中になれる。
その時間を味わう。
でもやっぱりそこで得た気持ちは
表現したいし、誰かに見てほしい。
うん、
こうして考えてみたら
孤独を過ごした後はやっぱり寂しいに到達します。
素直に開示できたら
次の扉が見える。
孤独を抱える側が終わったら
孤独で感じた気持ちを聞く側になる。
順番の循環が、私たちの見えるところに
ひっそりと、でもちゃんと在ることは、
すごく大切なのかもしれない。
そんなことを思いました。
へいなかさんの言葉を引用すると、
ネットの発言は半ば言葉は垂れ流し状態
自分だけがもつ思いを、あえて他者に読み上げてもらい
肉声のコメントをもらう
その時初めてちゃんと立ち止まって自己を確認できる。
そして自己を味わえる。
もともと
へいなかさんは少年院の法務教官をされていた方。
そして
今回のプログラムは
実際に少年院の授業で実践されていたそうだ。
倫理
といえば難しく堅苦しく感じてしまうが
講座を受けてみるとそれは
自分の生き方を問い直すことだった。
他者の作文を聞き、
意識の相違を知ることがこんなにワクワクするのかと
小学生のような気持ちになってしまった。
もう一度テーマに戻ろう。
孤独を開示できる相手がいる。
それが
育ちの中で
生きてく中で
どれだけ支えになるのか。
へいなかさん、貴重な時間をありがとうございました。
孤独、といえば
こちらの記事も見逃せません。
洋介さん、記事をお借りします!!
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