6月の終わりに思うこと
まだ公務員だった頃、6月の終わりは、次、どこでどんな仕事をするのか、引っ越しする必要があるのか、誰と仕事をするのかと、気もそぞろになる時期でした。
そして、地方局だからこその不公平不平等感を感じることがありました。
私は子育てを優先させ勤務地を優先した希望をかなえていただいていたので、引っ越しや、子どもの転校をしなければならない人からみたら不公平不平等だと文句を言われる対象でした。
その声を直接、間接に聞くと、だから一生懸命に仕事をしよう、誠心誠意人にも優しくしようと心がけていても、他人が私と同じ気持ちで、仕事や人と係っているわけではなく、ギスギスした関係になってしまうこともありました。
介護や育児で仕事に制限がかかる人、心の病気を抱えている人、誰もが沢山の事情を抱えて仕事をしている中で、働けない人の分は誰かがその人の分も働けばいい、という上司がいて、その言葉にモヤモヤすることもありました。
2人分の仕事を1人ですることはできないことは当たり前にわかっていても、誰かが無理をして働いている状況を沢山みてきました。
そして、私も同じような環境で誰にも文句を言えずに辛い思いをしたことがありました。
辞める決心をした時は、母が入院し、父の認知症が進み、独りで生活してもらうことが心配でした。
娘も手術後に体調が戻らず、卒業も危ぶまれる状況でした。
そんな状態がいつまで続くのか、子育てみたいに手がはなれていくことがない介護への不安を抱えたまま、仕事との両立を諦めるのに時間はかかりませんでした。
私のせいで誰かが辛い思いをすることに耐えられない、なんのために働くのか?誰のために働くのか?お金では満たされない感情が生まれた瞬間、もうこれ以上、自分も家族も傷付きたくない、これ以上働けない、私の代わりは沢山いる、そんな気持ちになったんです。
そんな私の決断に対し、私を守るよう背中を押してくれた家族がいてくれたおかげで、29年間の公務員人生に感謝して辞めることができました。
仕事は知的好奇心を満たしてくれる場所でした。
そして、勤務していた頃に味方でいてくれた人の存在は大きく、退職してからも交流が続いている方が数人いますが、何年たっても、熱く語り合える関係は、本当にありがたい存在です。
コロナ禍の中、会えない時間があっても、お互いに自分が大切にしているのと同じくらいに気にしてもらい、大切にしてもらっていることがわかり、心から嬉しく、もっと大切にしたいと思うことがありました。
人との出会い、仕事との出会い、切るのも、繋いでいくのも自分次第。
7月はいつも始まりを意識します。
考え方も人との付き合い方も環境も毎年変わっていきますが、自分も他人も大切にした先にある喜びや満たされた気持ちを知ると、また新しいことへのチャレンジができそうな気がします。
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