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88歳の父が抱えているコンプレックス


こんにちは
 
セカンドオピニオン税理士で未来書き換え自分年表認定講師の宮崎貴美子です。
 
 あけましておめでとうございます。
2024年はどんな年にしたいと思っていますか?
2023年はコロナ禍前の日常には戻らず、常識も価値観も崩壊したと感じた年でした。
過去にとらわれた感情も思考も断捨離し「私らしくいきたい」を貫く、そんな年にしたいです。
 
 そのために、父が抱えているコンプレックスについてお話したいと思います。
 
 88歳の父は、頑固で、九州男児を絵にしたような人です。
かなり認知症が進んでいて、今、話したことも忘れてしまうんですが
孫のことは忘れたことはなく、県外で働く息子の帰省の機会に
両親も一緒に食事をとることにしたんです。
 
 大晦日に食事をとっていた時のことです。
久しぶりに会った息子に、何歳になったのか、どこで働いているのか、
と壊れたレコードのように繰り返すのに対しても、丁寧に答えていた息子が
彼女ができたと報告したんです。
 
 すると息子に対し、父が言ったんです。
「彼女は頭がいいのか?頭がよくないと生まれてくる子どもが可哀そうだ」
「賢い人と結婚しなさい」としつこく言い出して、驚いたんですね。
 
 良かったね、じゃなく学歴?賢いってなに?
学歴コンプレックスがある私は、怒りが湧いてきました。
 
 親が良かったと喜んでいるのに、なぜ、素直に喜んでくれないのか?
私の頭が悪く、父の望む子どもでなかったから、孫にそんなことをいうのか?
賢さよりも、優しさが大事じゃないのか?などの言葉があふれだし
一瞬にして、心が真っ黒に染まったんですね。
 
 もちろん、せっかくの食事に怒りを爆発させることはなかったのですが、
父からの聞きたくない言葉に息子以上に自分がショックを受けていたことに驚いたんです。
 
 父は地方公務員だったんですが、
生まれてすぐに戦死した父親のせいで、戦後に勉強する環境もなく育ったと聞いていました。
そして、小学校の先生だった母と結婚したのは、自分よりも賢かったからで
兄を医者にしたことが自慢でした。
 
 兄は県外におり、年1回会いに来ればいい方で
そんな兄に対しては、医者は忙しいから、迷惑はかけられないと言うんです。
 
 
それに対し、入退院の世話をし、施設からの電話に対応し
父の好きなお菓子、果物や日ごろ必要なものをもってくる私には
娘だから世話するのが当たり前だと思っているらしく
その対応の違いに憤りを感じ、不満に思っていたんですね。
 
 
そして、介護を理由に、時間だけでなく、経済的にも精神的にも負担を強いられ
両親の価値観に縛られ、やりたいことができないもどかしさ
私らしく生きられず、幸せを実感できないことだったり
 
 どんなに頑張っても完璧主義な母の期待に応えられなかった学生時代や
親に引かれたレールから降りることが許されなかった私の人生が思い出され
ドロドロした気持ちが渦巻くのわかりました。
 
 施設に入り、温かい食事を三食いただけて
掃除も洗濯もスタッフがしてくれて暖かい部屋で過ごせていて
充分に幸せな老後を過ごしているはずなのに
88歳になってもなお、忘れられないコンプレックス。
 
 父の人生は、賢くないことでそんなに不幸だったのだろうか
認知症が進んで、嬉しいことも悲しいことも忘れてしまうのに
自分のコンプレックスから生まれる感情は消えないと思うと
可哀そうに思える一方ちょっと怖く感じたんです。
 
 そして、父の苦しみと私の苦しみは同じだと気づいたんですね。
私にも医者になった兄に対する強い劣等感や
幼少期から完璧主義な母にできないことで強く叱咤されたことが
ちょっとしたことをきっかけで、亡霊のように蘇ります。
 
コンプレックスが刺激されると
チャレンジをしようとしても「できない私」が制限をかけてくるんです。
 
 今となっては、学生の頃の「できない私」はいないし、
できないことを叱る人もいない、
誰かと比較する必要もない
 
 ただ、やりたいことをやればいい、と言い聞かせ、
頑張っている私を褒めようとしても、「できない私」が邪魔し
どうせ出来ない、またで傷つくよと囁き
チャレンジできずにグルグルしてしまうんです。
 
 そんな私から卒業したいと思っていました。
変わりたいと苦しんだ5年間。
カウンセリングで心の奥底に隠れていた「できない私」が見えた時に
自分と向き合うことへの怖さを感じました。

そしてなかなか、自分で変わることができずに
藁にもすがる気持ちで「未来書き換え自分年表作成講座」を受けた時に
幼少期から母に叱られないように、父に褒めてもらえるようにと努力していたことが
自分の長所になっていることを気づかせてもらった時に、やっと怖さがなくなったんです。

そして「できない私」が出てくるのは
失敗した時の恥ずかしさや、みじめさを味わいたくないからで
チャレンジをしない理由にして逃げていたことに気づいたんです。

私から見た父は、数字に強い人でした。
世情に詳しく、政治の話からスポーツまで幅広い知識があり
偉ぶることなく、誰にでも優しく、手を差し伸べることができ
沢山の人から慕われ、尊敬されていました。

でも、父は自分の良さに気づくことなく
父の賢さを意識することもなく88歳になってしまったんです。
コンプレックスを手放せなかったことで、苦しんでいる父の姿が
心にささりました。

そして父は「賢くない」と思ったことが深い傷になり
自分のようになって欲しくないという思いを
私や息子に伝えたかったんだろうなと思ったんです。

そこには、認知症になってもなお子ども、孫のことを心配し
自分のように苦しんで欲しくないという思いを伝えたい
その思いが痛いほどにわかったんです。

生きていく上で賢いことは大切だけれども、
それ以上に認知症になっても消えない
父の優しさや深い愛情を受け取ることでき
私は感謝の気持ちでいっぱいになりました。

賢く育った息子に会いたいとも言えない父
賢いことが人として絶対だと信じている父
もう、賢くないといけないという価値観に縛られる必要はないのに
それでも、コンプレックスが消えずに自分の思いを伝えようとする父

認知症が進み、色々なことはどんどん忘れていくのに
コンプレックスは忘れられず、教訓として、伝えたいと魂がいっている
と思えた時に、コンプレックスは悪いことじゃない、と感じたんです。

コンプレックスをそのまま抱えてマイナスな思考でいるよりも
思いを乗せて伝えることで、コンプレックスは長所になる。
私にもあった父と同じコンプレックスは、優しさと、勇気をもらったことで
手放すことができました。

もう「できない私」と思い込んでいる私と別れよう。
不要な価値観に縛られことで、自分らしくいられないなら
手放なし、自分で良い方に書き換えればいいんです。

賢いことと学歴はイコールではなく
自分なりに賢く生きることは何かをしっかり考えて生きる
結局は自分がどう生きるのか
どういう選択をしたら、幸せなのかなんです。

自分と対話し、書き換えることで
コンプレックスは長所になり、コンプレックスではなくなります。
この考え方は万能でいつでも、自分が変われたことを実感できたことで
コンプレックスによる制限から解放されることがわかりました。

認知症が進んでいる父には
どんなに父の良いところを並べても忘れてしまいますが、
私たちは、制限となっていた親の価値観を書き換え、長所にすることで、
いつでも自分らしく生きられるようになることを伝えたいと思いました。

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