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3月5日 夜間救急に行く

 その日はとても天気が良く、暖房なしでも事務所の中がほわほわと暖かかった。電気を消してブラインドを開ければ、手元を見るには十分すぎるほどの日差しが差し込んだ。今日は事務所に私ひとり、團さんも篠宮も、中西課長をはじめとする協力業者のメンバーも全員いない。私以外の人は、皆セミナーに出かけていた。セミナーの参加権は私にはない。そんな中で、面倒見の良い中西課長は私のぶんの仕出し弁当も注文してくれて、團さんがお昼にセミナー会場を抜け出してお弁当を届けてくれた。ブラインド越しに差し込む暑いくらいのひだまりの中、一人で食べた仕出し弁当は病院食のようによそよそしく、優しかった。

 十八時、大きな箱にどっさりの資料を抱えた篠宮が事務所の引き戸を肘であけ、後ろに同じく資料を抱えた協力業者の若手である土村、大川が続いた。
 一番最後に事務所に入ってきた團さんが、がいがいがいでやっといて、と遠くに投げるように言った。團さんの言う「がいがいがい」は、福岡県筑後地方の方言で、それを標準語に直すのは難しいし、篠宮たちに伝わったかも怪しい。しかしながら、その表現がふさわしいような慌ただしさで、若い彼らはがいがいがいと荷物を片付け始めた。

 急に土村と篠宮が、違いますって、と強めに言った。がいがいがい、の中で何かが中西課長の目に止まって注意されたらしく、いつもの言い合いが始まっていた。今時珍しいほど心が熱く、あらゆることに目敏い中西課長に対し、岩手のおおらかな青年である土村と、あけすけで隙の多い篠宮。言い合いは、いつもギリギリの不謹慎さを含んだ軽快な若手いじりに発展する。中西課長のいじりのレパートリーは今の時代に則したらかなりまずいものも含んでいるが、彼らはもう三年も現場を共にしており、若手も愛情表現と受け取っているのが現状だ。中西課長自身も、自分がいじられるのを待つような開き直りがあり、傍目には日常コントである。

「ほんまにかあ、怪しいなあ、おどりゃ土村あ」
「だから、なんでですか!ちょっと勘弁してくださいよ!」
「おどりゃ言い方が分かりづらいんじゃ、なんでかって聞き返すやつがいつも怪しいんじゃけの」

 軽い取っ組み合いが始まり、團さんはひいひいと目を細めながら、篠宮と私はワッハッハと豪快に笑った。他に事務所にいる人も、取っ組み合いに加わったり、効果音のような高い笑い声をあげている。

 その時だ。

 ピキッと右肩に違和感が走り、首筋の少し下、鎖骨のあたりが痛くなり、ぼんやりと肩こりのような重さがする。思わずうずくまって、収まらない笑いを咬み殺した。
「おいお前どうしたんか、腹痛いんか、わはは」
中西課長が続ける。
「はは、なんかちょっと、筋やっちゃった、かもしれないです」
手に汗握り、背中に脂汗をかきながらやっとの思いでこたえる。大丈夫、小学生の時に捻挫したときの痛みに比べれば、靭帯を切った友達の痛みに比べれば、大学三年性の時にベトナムで腸炎になったあれに比べれば、事故を見てしまった團さんの心の痛みに比べれば。今までに感じたり目の当たりにした痛みの記憶を総動員し、不謹慎にも、最後に事故直後の團さんの疲労の色を添えた。ごめんなさ。
 痛みは肩こり、首こりのようにぼやけた重みでずっと続いた。時折、右上の鎖骨のあたりもピキピキと痛む。やはり、大笑いした時に筋肉を少しおかしな方向に捻ったのだろう。痛い痛いと思っていると、だんだん頭痛にまで発展してきそうだから不思議だ。帰ったらたっぷりとした湯船に浸かり、湿布でも貼って、晩御飯も食べずにすぐ寝よう。半分くらいは帰ることを考えながら、エクセルのます埋め、図面上の線を整理し、右肩を撫でながらなんとかやり過ごした。

二時間

 痛みは増す一方で、だんだんと吐き気がしてくる。篠宮とその周辺の仲間が向こうの島で、姉さんちょっと、と呼ぶ。私が帰ることばかり考えながら作ったデータに、不備があったようだ。立ち上がってそちらに向かおうとするが、足を引きずってやっと進むことができた。
「姉さん、足どうかしたんですか」
篠宮が大きな目をさらに大きくして、眼鏡の向こうから問いかけた。いやちょっとね、と答えようとして、自分の息がずいぶんあがっていることに気付いた。なんとなく苦しく、少しでも声を大きくしようとしたら咳き込みそうな気配すらする。二時間前に大爆笑してから、何かがおかしい。

「だん、さん」
「はいはい、どうしました」
「体調 悪いんで、 帰り、ますね」
「あら。お大事に、何かあったら言ってね。家、同じなんだから。」
「あ、す、みません」

 大慌てで事務所を出て車に乗り込み、ドアを閉める。社用車はハイエースなのでガバン、と大きな音がしてその衝撃で吐き気がして、嗚咽が漏れた。上向きでスマートフォンの検索窓に「夜間救急」と打ち込み、出てきた最寄りの病院に確認の電話だけ入れて向かうことにした。大急ぎで病院に向かうために高速道路を使うにも、先ほどドアの衝撃に嗚咽が誘発されたのもあって、道路同士のつなぎ目を越えるのが怖い。やはり、ああ言ってくれたのだから、團さんに送ってもらったほうがよかっただろうか。
 病院についてからすぐに、酸素濃度計測と心電図にまわされ、されるがまま、ストレッチャーに横になるしかなかった。久しぶりに暖かい日だったせいか、自分が感じているより疲れていたようで、肩こりよりも乾いた眠気でくらくらとし始める。酸素濃度と心電図を見た看護師や技師から、本当に運転してきたんですか、などと聞かれたような気がした。はい、と答えようとして「は、」と絞り出し、小さく頷くのがやっとだ。

 おしゃれな靴を履いている以外は、限界状態にあるような初老の医者がカーテンを開けて私を見ていた。彼はずっとそこに居て私が目を覚ますのを待っていたのか、彼が入ってきた時点で私がたまたま目を覚ましたのか。考えていたら、なんだか慌てた気持ちが一瞬かすめた。
「自然気胸ですね、まね、軽度ですけどね。初めてだし若いんでね、手術はしません。再発したらね、考えますけどね。まあしばらく安静にね。」
ね、が口癖なのだろうか。

 昼間あれだけ暖かくて明るくても、三月初旬の夜の病院は暗くて寒く、廊下が長い。どんなに小さくても、肺に穴が空いたという事象に大きく打ちのめされ、右肩を左手で控えめに撫でながら車に戻った。團さんに迎えにきてもらいたいが、自分で運転してきた車に乗って帰らなければ。

 ハイエースの運転台に座って、ハンドルにもたれかかると息が少しだけ楽になる。團さんに、気胸でした、とだけメールをし、下道でなるべくゆっくり帰ることにした。帰る先はハイツみずほ、三月一日に入居したばかりの、まだ布団以外何もない古アパート。空っぽの古アパートで、右肩を撫でながら、柔らかい布団にくるまって眠るんだ。

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