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電車でプチ遠出した話

今日は電車を使ってプチ遠出した。
家から高速を使えば30分程度で行けるところだったが大雪の予報があったり、何しろ運転中は1人カラオケ以外何もできない。
電車であれば移動中読書などに時間を使えるということで電車移動に決めた。

前日、カバンに道中に読むビジネス書を詰め込んでみるとハードカバーなうえに分厚くなかなか重量もあるのでスマートな文庫本がいいなと思えた。
しかし読み途中の文庫本もなくせっかくなら新しい本を買おうということで少し早めに家を出て駅前の本屋に寄って本を買った。
ビジネス書を買うときは内容を試し読みできれば熱心に読んでレビューなども見て、次はこれだ!となったものを買うようにしているが
小説は作者だったり本屋で表紙やあらすじを読んで気の向くままに買うことが多い。
そして今回手にしたのは新美敬子さんのフォトエッセイだ。

エッセイ自体あまり選ぶことはないが
今回は初のフォトエッセイ。
背表紙の「猫とわたしの東京物語」というタイトルに惹かれて手に取った。
タイトル通り猫に係るエピソードが大半だが
そこには必ず人との会話がある。
猫が人と人を繋いでいる。
そんな印象だった。

フルカラーの写真がふんだんに掲載され
淡々と語るエッセイはさくさく読み進められたが
遅読の私は片道40分の道中でも読みきれず
家に帰ってから残りのページを一気に読んだ。

人生うまくいくことばかりではないけれど
猫がそこに温度と希望を与えてくれる。
心があたたまるエッセイだった。

こうやってゆっくり時間を使える電車の旅もいいなと思った。
混まない時間帯と路線というのは重要であるが。
また遠出する機会があったらまた電車を選んでみようと思う。


肝心の出先では久方ぶりに恩師にお会いした。
変わらずお元気そうでよかった。

東北人は授業中発言しない。何も感じてないかと思えば、感想を書かせるとこんなに考えていたのかっていうほど書いてくる。内に込めているだけでよく考えているんだ。
会話の中で恩師がおっしゃった。
確かにな。
感想を書かなきゃということで絞り出すというのもあるかもしれないがそれは感じていなければ出ないことでもある。
つまり東北人は"言語化"が苦手なのか。
いま流行りの言語化。
(東北人って括りは個人の見解です)

言語化の指南書を買って言語化の練習を実践してみたが3日でやらなくなってしまった。
日々の継続が力になるのに。
日記も続かないのでダメである。
なのでこうして定期的に(なればいいが)
文章を書くのは言語化の練習である
と思っている。

ちなみに私はスマホのアプリでこの文章を書いているのでPC版で読みづらかったらごめんなさい。

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