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20241031
夏が始まり暑さが本格化する少し前、小さな命が私に宿っていることを知った。それはあまりにも望んでいたことで、幻のような奇跡のような、そんな出来事だった。これまで都市伝説なんじゃないかと疑っていた2本がくっきりと見えた時、私が??本当に???と信じられない気持ちが強くて、よく動画で見るような夫と泣きながら喜び合うことはできなかった。
高校生の頃から酷い生理不順だった。むしろあれが生理だったのか、ただの不正出血だったのか分からないほど、28日周期で訪れるという女の子の日なんて一度も無かった。放っておけば半年こないこともザラにあった。それでも親にも相談できずに過ごしていると、一度母親に婦人科を勧められた。その時は腰痛で悩んでいて、婦人系の病気の可能性もあるからという理由で通院を勧められたけれど、今思うと母も私に生理が来ていないことを心配していたのかもしれない。その婦人科で卵巣嚢腫が見つかった。高校3年生の時だった。そこまで腫れ上がっているわけではないため、様子を見ながら2年後の20歳頃に手術をした。生理不順も、もしかしたら卵巣嚢腫のせいかもしれないね。という医師の意見を聞いて、「ふうん、そんなもんか。まぁ来たら来たでめんどくさいなぁ。」なんて思った。その頃の私は子どもが苦手で、子供は絶対に欲しくない、と周りにも公言していた。だから余計に生理がこない身体でもどうでもよかった。4年付き合った彼氏には、やっぱり子どもが欲しいと言われ別れた。振り返ると子どもが欲しく無かったんじゃなくて、『この人との子どもは欲しくない』という気持ちだったことに気づいた。
社会人2年目の春、マッチングアプリで出会った現在の夫と付き合い始めた。夫は大の子ども好きだった。まだ単に子どもはいらないと考えていた私は、不安になった。でもそんな心配は見事に打ち消された。付き合い始めてすぐに、夫の優しさやあたたかいところに触れ、すぐにこの人との子どもが欲しいと思った。むしろ、この人の子どもに産まれたかった、この人の子どもとして産まれてくる子はなんて幸せなんだろう、とふと思ったのだ。まさに青天の霹靂だった。この私が子を欲しいと思うなんて。さぁ、そうなればすることはひとつ。婦人科に行かなければ。
卵巣嚢腫の手術後、相変わらず生理が順調に来ることはなかった。3ヶ月に1回、少量の出血があるのみ。これでは絶対に妊娠できない、、、。やっと婦人科に通うことにした。そこでまた卵巣が腫れていることが分かった。2度目の卵巣嚢腫である。また血液検査の結果、ホルモン値が低く、排卵しにくい身体であること、もし妊娠を望む時が来たら自然妊娠は難しいため不妊治療をオススメする、と告げられた。こんなんじゃ妊娠できないよね〜あはは、とぼんやり考えてはいたが、医師にはっきり言われるとなかなかにこたえた。そうか、医療の力を借りないと妊娠できないのか。そこからとりあえずピルで周期を整え、卵巣の機能を一定にすることから始めた。ちなみに卵巣嚢腫は翌年手術した。入籍した翌日から入院し、ハードな新婚生活が始まった。
2度目の手術後、相変わらず生理不順は続いていた。それでも結婚式を控えていたため、今妊娠したらなぁ〜困っちゃうしなぁ〜と思い、少し目を逸らして過ごしていた。でもこういう時に限ってできちゃうかも!それはそれでいっか!なんて考えていたが無事妊娠せず結婚式を終え、遂に本格的に妊活に踏み出すことを決めた。以前、婦人科に通っていた時に基礎体温が大事だと聞いたので、オムロンの婦人用体温計を購入。やる気満々である。体温は数秒で測れるうえに、毎日決まった時間にアラームが鳴り、データは携帯に自動転送されるという高性能ぶり。やるからにはモチベーション高く取り組むために投資は惜しまないぞ、と高級体温計を手にした私は、そこから毎日基礎体温を測った。とりあえず3周期分ぐらいを記録してから、婦人科に乗り込むことを決めた。
婦人科への通院が始まってからは大変だった。とりあえず卵巣嚢腫は再発しているし(2年ぶり3度目である)、排卵は起こっていないし、男性ホルモン値が高いし、風疹の抗体も足りなかった。まずは風疹のワクチンを接種し、2ヶ月の避妊期間を設け、やっと妊娠可能性の高い時期を狙ってタイミングを取る、という方法で私の不妊治療は始まった。とは言え卵胞が育たないから排卵も起こらない体質のようで(PCOS:多嚢胞性卵巣症候群)、排卵誘発剤を飲み、卵胞の育ちを診てもらう。週に2回ほどの通院は卵胞の育ち次第なこともあり、仕事の都合を調整する必要もある。通院の日は普段より早めに出社して、その分早く退社した。上司にも伝えていなかったから、ただ通院のため、、、と言って急に何度も時差出勤する私はさぞ不審に見えただろう。迷惑をかけてしまう、という気持ちはもちろんあったけれど、わたしの人生の責任を取れるのはわたししか居ないのだから、と割り切って通院した。これまで排卵していなかったのだから、排卵したら妊娠できるんじゃ?と考えていたが、やはりそこまで甘くはない。ワクワクしながら妊娠検査薬を使ってみても、1本線しか現れない。結構がっくりきた。1回目で何を言っているのか、という話だが、期待してしまうとその分落ち込む。そこから毎月、ワクワクとがっかりを味わうことになる。もうひとつのガッカリがある。それは卵胞が育たないことだ。排卵誘発剤を飲んでも、卵胞が育たず強制リセットになった時は流石に落ち込んだ。スタートラインにすら立てないことがこんなにも辛いんだと知った。自分の身体が欠陥品のように思えた。先生は若いから大丈夫と言うけれど、これから先妊娠できる保証なんてない。それでも夫との赤ちゃんに会いたかった。体質改善でもなんでもやるしかない。藁にもすがる思いでお寺にお参りに行ったり、体を温めることが大事と聞きサウナや岩盤浴にも行った。
PCOSは血糖コントロールがうまく出来ていないことも原因のひとつであるから、できるだけ糖質は摂らずおやつは小魚ナッツ。納豆は遺伝子組み換えでない国産のものに変え、リンゴ酢がいいと聞けば毎日飲んだ。18に満たなかったBMIは、たくさん食べることで人生で初めて基準値に達した。とにかく原因は自分にあるのだから(夫ももちろん検査済で、標準よりかなり良い数値を叩き出していた)、良いと聞いたことは全部試したかった。今思うとあそこまで頑張れた自分を褒めてあげたい。
そんなこんなで過ごした6月。排卵予定日が近くなってもおりものはカラカラで、排卵する気配がない。嫌な予感がするなぁと思いつつも診察に行くと、やっぱり卵胞が育っていないと言う。その先月、卵胞が育たず強制リセットをして、排卵誘発剤を1日2錠に増やしたばかりだった。薬を増やしてもダメなんだ、、、。こんなに食事に気をつけてもダメなんだ。ネガティブなことばかり頭に浮かんだ。先生は念のためまた来週診てみようかと言ってくれた。1週間、出来ることをやってみようと思い、暑くても腹巻きをして、シャワー浴から湯船に浸かることにした(そういえばシャワー浴にしたとたん卵胞が育たなくなったことに気づいた)。そうして過ごすうちに白いおりものが出るようになった。排卵が近いのだ。ワクワクとしながら診察を受けると、やはり卵胞がやっと育ち排卵しそうだと言う。診察台の上で、心の中でガッツポーズをした。そうか〜君はあたたかいのが好きだったんだね、とおなかを冷やしてごめんという気持ちになった。そのまま排卵を促す注射を打ってもらい、もう一度タイミングを取ることに。無事夫とタイミングが取れて、その後排卵も確認できた。あとは黄体ホルモンを補う薬を飲み、妊娠判定を待つことに。排卵が済んでから大体14日ほどで生理が起こる。それが起こらなければ、妊娠の疑いがある。14日間、ドキドキしながら過ごした。今回でタイミング法は5回目、ダメだったらそろそろ転院とステップアップ(体外受精や顕微授精)を検討しよう。そう思っていた。
そして、生理予定日から5日前、友人と遊ぶ予定があったため、生ものやカフェインを避けるべきかを判断したくてフライング検査をした。ドキドキしながら検査薬の窓を覗くと、1本線、つまり陰性だった。この頃にはフライングでも陽性の線が出たという人の話を聞いていたから、少し期待していた。あ〜今回もダメだったか。そうだよね、そんな簡単には妊娠できないよね、と切り替えて友人と遊びに行った。当時、生理前なのにどうしてか生理中のようなお腹の痛みがあった。初めての症状だったが、妊娠してないうえに今回の生理重めなのか〜、、、と思った。2日後、近くの神社に子授けのお守りをもらいに行った。その夜、やっぱりこのお腹の痛みはおかしいと思いもう一度妊娠検査薬を使った。尿をかけてじわじわと測定が進む。終了の線が出る。ああ、やっぱり一本か、そりゃそうか。眺めていると、陽性のところにうっすら一本の線が入る。望みすぎて、ついに線まで見えるようになった??それともこれは本物??しばらく置いてみると少しだけ線が濃くなった。初めて陽性の線が出た。これって陽性の反応出るんだ、なんて当たり前のことを思った。嬉しいよりも信じられなくて、期待してしまうのが怖くて、一旦箱にしまって深呼吸。でも心の中にじんわりとあたたかいものが込み上げてくる感覚があった。もしこれが誤りであっても、今だけは喜ばせて、と。夫にはすぐに言えなかった。ちゃんと確認ができるまで、ぬか喜びはさせられない。そこからフライング検査魔となった私は生理予定日まで毎日妊娠検査薬を使った。少しでも薄く出た日には気が気でなく、お願い薄くならないで!と祈った。そして何とか迎えた生理予定日、婦人科の通院日だった。扉を開けると生理来た〜?と先生。来ていないと告げると少し驚いた顔をして(期待していなかったのか?)、尿検査に回された。そのまま尿検査で妊娠反応が出ていることから、妊娠確定の診断をもらった。嬉しかった。家で散々やってきたことと同じなのだからそりゃあ妊娠反応が出るのだろうけど、やっと実感が湧いた。
妊娠6ヶ月を迎えた今、妊婦生活は不思議だと感じる。自分の中にもうひとり人間がいて、それは私ではなくて別の人間であること。ポコポコと動くたびにそのことを思い起こさせる。私の中で育ち、産まれてくるのに半分は夫の遺伝子で、と言うことはもちろん夫の父母にも似ている可能性もあって。当たり前のことに今更ながらいちいち驚いては、生命の尊さを感じる。それはそれは辛い悪阻と共に妊娠初期を過ごし、安定期に入ってからやっとそんなことを感じられるようになった。今はただ毎日元気に居てくれよ、と小さな人に声をかけて、会える日を心待ちにしながら迎える準備を行うだけだ。