ショートショート『心をみる男』
ぼくが小学生の頃にはわからないことがあった。ぼくにはとても恐ろしい顔にみえるのに、おかあさんや友達は可愛いという同級生たち。だけど、中学生の頃にはわかりかけてきたのだ。ぼくには人間の真実の姿、心の姿をみているのだと。
だからいつもおなじ姿にはみえない。おかあさんの顔がゴリラや鬼のようにみえることもあれば、その日によって観音像みたいな姿にみえることもある。基本の顔立ちそのものはそれほど変わらないから誰なのかはすぐにわかるのだ。
絵も友人の話ではとても美しい風景画だというのだが、描いた人の思いによって恐ろしい絵画にみえてしまう。
また、以前から気づいていたことだが、ぼくは人の肉体の姿ではなく、精神年齢での姿もみているようだ。
先日もこんなことがあった。ぼくが自家発電機器の会社の入社式に出席した日のことだった。話をしている社長が中学生くらいの子供にみえたのだ。実際は四十代で、前の社長で現在は会長になった父親のあとを継いで社長になった人だった。
ほかの新入社員はとみれば、どうみても小学生や老人にしかみえない人もいる。相手の実際の年齢はわからないが、大学の新卒者が入社試験のさいの条件だったので、ぼくと同年代の人たちばかりのはずなのだ。
外では子供たちがスーツを着て歩いているのをみかけるし、テレビをみれば政治家たちの何割かが幼児のような顔で言葉だけの議論をしている。青年や壮年姿の政治家もみえるが、まだ新人議員だから来年になればその姿もどうなるかわからない。実際、三年議員をしていた政治家が、やたらと若くなり、幼児のようにみえて失望したことがあるからだ。これでは日本の未来はないのではないかと心配になってくる。
そんなぼくにも彼女ができたのだ。彼女の実年齢は二十二歳だ。格闘技が大好きで、毎日トレーニングをしているらしい。みんなは彼女のことを不細工だというが、ぼくにとっては絶世の美女なんだ。そりゃ、ときには凡庸な女性にみえるときもあるけれど。彼女の姿は比較的安定をしていた。
「雅夫ってイケメンだよね」
彼女がときおりぼくに言ってくれる。鏡でみた自分自身は年相応の二十三歳の男にみえる。だが、どうみてもイケメンではない。おそらく、ぼくは、自分の目でみないとほんとうの姿がみえず、撮影したものや鏡ではみんなとおなじような姿がみえるのだろう。どうやら彼女の美醜の感覚がぼくとはちがうようだ。
彼女は交際が進むにつれてしだいにわがままになってきた。ときには些細なことで笑顔でぼくの頬をぶったりもするようになったのだ。おかしい。どうみても彼女の姿は美しいままだ。それどころか、ますます美しい顔立ちになってきている。そのうえ、ぼくからなんどもお金を借りるのだが返すそぶりをみせないのだ。ぼくはもうお金は貸せないと彼女に告げた。その夜のことだった。彼女はぼくの住むマンションに訪ねてきた。なんでもいままで借りていたお金を返済したいのだという。いつにもまして輝くような笑みを浮かべて彼女はやってきた。
「雅夫ごめんね。やっとまとまったお金ができたから返しに来たよ」
心なしか、ますます彼女が美しくみえてくる。ぼくが彼女の入れてくれたコーヒーを飲むと、急に睡魔が襲ってきたのだ。目を閉じるとなにやら息苦しくなってきた。目をあけると、女神のように神々しい姿をした彼女が微笑みながらぼくの首を締め上げているではないか。意識が遠ざかっていく瞬間、ぼくのみてきた姿とは、みえている姿とは真逆の姿だったのかもしれないという思いが脳裏を横切った。
(了)
トップ画像・クリエイター『tome館長』さんの作品です。
「タイトル・丘へ続く小道」ありがとうございます。