ショートショート『魂のテープ』
星谷光洋MUSIC Ω『君を感じて』ラブソング
ショートショート『魂のテープ』
昨日、三十三歳になったばかりの男は、夜中にあわせ鏡をつかって、魔物を呼び出そうとしていた。仕事はノルマを果たせずに上司からいびられる毎日。昨日は誕生日なのに、ずっとつきあってきた彼女にまでふられてしまったのだ。
(子供の頃、鏡をあわせると魔物がやってくると聞いたことがある。魂でもなんでもくれてやるから、願い事を絶対に叶えてもらうんだ)
あわせた鏡を交互にみつめていると、鏡の真ん中に黒い粒のようなものがみえ、人のような姿になってきた。
「あんたかい、俺を呼んだのは?」
角が生えているわけでもなく、黒い服装でみかけは怖そうな女性のようだ。男は内心怯え、冷や汗をたらたらと流しながらも、
「そ、そうです。願い事を叶えてもらいたくて……」
と震え声で言った。
「ほう、いまどきめずらしい。ひとつだけなら聞いてあげてもよい」
「悪魔さま、ありがとうございます」
「私は悪魔でも神さまでもない。あちらの世界を歩いていたら、おまえがあわせ鏡にしているから、ちょっと覗いて来ただけだ。そう、精霊とでも呼んでくれ」
「どなたさまでもかまいません。ぼくの過去や未来を自由に行き来できるようにして欲しいのです」
「ほぉ、そんなことなら簡単だ」
精霊は、男の部屋を見渡し、ビデオのリモコンをみつけると、手に取ってなにやら呪文を唱えていた。
「よし、これでいい。このリモコンを使って、東に向けて早送りをすれば無限に存在している未来に、西に向けて巻き戻しをすれば無数にある過去に戻れるぞ。ただし、早送りしたり巻き戻しをした時間の記憶と経験は、おまえの魂には刻まれないがな」
「いわゆるパラレルワールドですね。そんなもの、どうでもいいんです。辛いときは早送りして幸せな時期まで行けたらそれでいいんです。それよりも、目的の時期がすぐにわかるようにDVDのリモコンにしてもらえませんか?」
「未来の世界は無限にある。おまえ望む未来の世界があるかはわからんぞ。それにだ、時間はアナログなものだからだめなんだ。そうだ、ひとつ忠告してやろう。あんまり欲張ってなんども早送りや巻き戻しをすると魂のテープが痛むから気をつけな」
精霊はにやりとすると、すっと消えていった。
男はさっそくリモコンを手にして、東に向けて早送りのボタンを押した。まわりが目にもとまらぬ早さで変化してゆく。途中で止めると、ゴミだらけの部屋で、カップ麺をすすっている自分になっていた。カレンダーをみるとあれから十年が過ぎていた。あれから結婚もせずにリストラもされてしまっていたようだ。
もっと素敵な未来があるはずだと、男は未来をなんども探し続けた。それでも自分の納得のいく未来がみつからなかった。
(くそっ、ほんとうはいちばん大切な人と出逢った六月十日に戻りたいんだが、なかなかみつからないぞ。こうなったらとことん過去に戻ってやり直すんだ!)
男は気を取り直し、いちばん楽しかった中学生の頃にいったん戻ってはみたが、中学生の級友たちとどうしてもなじめない。それでもあきらめずに過去と未来をなんども往復し続けた。
その後も自分の目指す時期がみつからずに、なんども過去と未来を往復していた。突然どこかでブツンという嫌な音がした。男の肉体と魂をつないでいる魂のテープが切れたのだ。
それでも男は懲りることなく、今度はこの世とあの世をなんども往復しはじめた。
(fin)