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Vol.15 歩いて大阪まで
そういうムカつく行程を経て、十五日目になんとか播州明石まで着いた。
朝にまた船が出発するとなったんやけど、もうこいつらと船旅するのも限界やったし、大阪までどのくらいか聞いたら六十キロくらいていうから
「ほな、それやったらこっから大阪まで歩くわ。ここまでの船代は中津の蔵屋敷まで取りにきて。俺の荷物は船に乗せたままにしとくし」
て言うたんやけど、船頭が全然許してくれんくてさ。
「いやいや、ここで全部払っていけ」と。そんなん言われても、金もないしさ。一応、高めの着物を持ってたから
「これ、売ったら、飯代くらいにはなるやろ。刀もあげたいとこやけど、それは無理やし、大阪着いたら蔵屋敷に来てくれたら払うし」て言うても、全然あかんねん。
「中津の蔵屋敷は知ってるけど、お前が誰か知らんし。まぁとにかく乗っていけよ」と。
こっちが下手に出てお願いしてるのに、全然聞いてくれへんから、だんだんムカついてきて、ちょっと口論になったら、一緒の船に乗ってた下関の商人が仲裁してくれて
「こらこら、お前もあんまり頑固なこと言わない。この人は侍やし、お前を騙すつもりもなさそうやん。もし騙したらその分は俺が払うから」と。
そしたら船頭も納得して許してくれたんや。わしはこの商人にマジで感謝して、何回も御礼を言うた。ほんま神対応やで。
そこから大阪までの六十キロは、泊まることも出来ひん。なんせ金がないから、とにかく歩いた。途中、酒を二合と筍の煮物を食べたけど、そっからはひたすら歩いた。神戸あたりも歩いたんやけど、もはや全く覚えてない。
大阪までくると川がやたら多くて、何本も渡ったけど、侍やからっていう理由で船代タダやったんはよかったわ。
大阪は治安が良かったんやけど、それでも夜道を一人で歩くんは怖かったのを覚えてる。中津までは幼少の記憶で、「大阪の玉江橋までどうやって行ったらええの?」て、ひたすら聞いて、なんとか夜の十時くらいに中津屋敷に着いた。
兄貴とも無事会えたんやけど、ほんま足痛かったのを覚えてるわ。
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