『WORLD'S END』 lyrical school
『MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない』という映画を観た。
いわゆるタイムトラベル、とりわけタイムループをテーマとした本作。とはいえタイムループが起こる舞台はあくまで普段のオフィス。いつもの日常と思っていたら実は何故かループしていた1週間の生活から抜け出せない主人公とその同僚たちの混乱と奮闘を描く。
幾度も繰り返される短い時間の中で少しずつ運命を変えようと試行錯誤するストーリーは、劇中でメタ的に言及される『オール・ユー・ニード・イズ・キル』『ハッピー・デス・デイ』あるいは『恋はデジャ・ブ』と確かに共通する要素がある。サクッと鑑賞できるボリュームの割には確固たるメッセージがあり、日常×SFの構図からは、日々仕事に追われる現代人が忘れがちな価値観を思い起こさせてくれる。なるほど、面白い。
で、前述の通り他作品へのオマージュなど小ネタも散りばめられた本作だが、特に心を掴まれたのは"リリスク"ことlyrical schoolのフィーチャーであった。
lyrical schoolの知名度は如何ほどだろうか。ヒップホップアイドルユニットという呼称の通り、ラップ・ダンス・ボーカルをマルチにこなす音楽ユニットである。劇中では、主人公の同僚社員である森山の推しのアイドルグループとしてそのまま登場するのと、いくつかの重要なシーンで彼女たちの楽曲が劇伴として流れており、作品を彩るのに不可欠なピースを担っていたように思う。何よりフィクションの世界で突然リリスクの名前が発されたときは、不意を突かれて思わず声が出た。
『MONDAYS』公式noteにも楽曲提供に関するエピソードの記載がある。
主題歌および劇中歌として用いられた楽曲は「Fantasy」、「LAST DANCE」、「TIME MACHINE」、「WORLD'S END」の4曲。どれも筆舌に尽くしがたい名曲なのだが、それぞれが映画のテーマともどこか繋がっている。
「Fantasy」「TIME MACHINE」はいずれもタイトルから分かる通り、本作で描かれるファンタジーの世界観にピッタリの楽曲である。特に後者の歌詞は奇しくも映画のメインテーマと強く共鳴するものがある。
「LAST DANCE」はタイムトラベル映画の金字塔『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のキャラクターであるドクとマーティを歌詞に登場させたり、当該作品のワンシーンをMVで模倣したり、その他にもSFに留まらない映画愛に溢れた楽曲。この曲が再度映画の劇伴で逆輸入されるのは堪らない。
劇中歌が流れるタイミングも絶妙。
そしてエンドロールで流れる「WORLD'S END」。
前置きが長くなったが、『MONDAYS』とリリスクのコラボが良かったことは言わずもがな、映画を観たことであの時リリスクの楽曲を聴き込んでいた記憶が蘇ってきたのが今回のきっかけ。本記事で特筆したかったのは、この曲と同名タイトルのアルバム『WORLD'S END』についてである。
リリスクを推した季節
アルバムの中身に入る前に彼女たちの活動遍歴を簡単に紹介しておくと、令和のアイドルらしくメンバーの入れ替わりはやや激しい。下記の通りWikipediaにもメンバー加入と脱退の年表が記されている。この年表のスタイル、どっかのバンドのwikiでも見た。
元々は女性のみであったが現在は男女混合8名のグループとなっている。正直、私が彼女たちを推していた期間はそこまで長くない。活動初期でも現在でもなくその間、年表で言うところの2017年から2022年までだろうか。5人組女性アイドルユニットであった期間だ。
きっかけはBase Ball Bear×RHYMESTERの「The Cut」のカバーを聴いたことだった。当時まだ高校生であった石野理子(現Aoooボーカル)が所属していたアイドルネッサンスというアイドルグループと、5名体制だったリリスクが期間限定のコラボでカバーした楽曲。
敢えて辛辣に言うなら、RHYMESTERと比較してしまえばラップスキルは一部のメンバーのスキルは到底褒められたものではない。当時も正直聴くに堪えないパートもあるなと思いつつ、曲自体の良さに後押しされて何度も聴いており、特に落ちサビで石野理子と2人で並ぶminanの凛とした歌唱から耳が離れなかった。
このカバー曲を発表した矢先、2017年2月にメンバー3人が脱退、新たにメンバー3人が加入し再度5人体制となる。この2017~2022年の5人体制こそが特に彼女たちの音楽を聴き込んでいた期間だった。
歌唱パートでのキメが美しくフロウも驚くほど滑らかで聴き心地の良いminan、"ラッパー"として本来纏うべきアンダーグラウンドな風格漂うラップが特徴のhime、一方で"アイドル"全振りパフォーマーのhinako、ハスキーボイスでクールネスとポップネスを使い分けるrisano、minanと並ぶボーカルながら幼気さと精悍さを兼ね備えるyuu。この5名でラップを繋いで歌声を重ねるそのバランスは見事なものだった。
作詞作曲はさすがに彼女たち自身ではなく外部からの楽曲提供であることがほとんどだが、提供者にも名だたるコンポーザーやリリシストが並ぶ。メンバーのスキルや個性はもちろんのこと、彼女たちをイメージして歌わせようとした曲群のクオリティもまたハイグレード。
そして新たな5人体制になってから1年と少し経った後で、新体制初となる表題アルバム『WORLD'S END』がリリースされたのだった。
一貫性と連続性
ようやくアルバムの中身の話をすると、本作は非常にコンセプチュアルな作品であり、その最大の魅力は"物語"にある。作品のコンセプトは明確で一貫性があるのに加えて、曲間の繋がりが美しいミクロな連続性、それから作品全体を通して時間経過や世界の移り変わりを感じるマクロな連続性を有している。
具体的なコンセプトは、"私"と"君"との2人だけの世界。期待と高揚感に満ちたダンサブルなサウンドを中心に据えながらも、作品を聴き進めるにつれて文字通り世界の終わりに向かっていくような、希望と絶望を一遍に味わう感覚が素晴らしい。
作品の冒頭は恒例のskit、M1「-PRIVATE SPACE-」で幕を開ける。笑いを誘う寸劇のような掛け合いながらも、一聴して宇宙船に乗り込む非日常を感じる。実は次作にてこのskitのタイトルをそのまま冠した架空の映画作品のCMが流れるのだが、テーマはまさに「明日、急に世界が終わる可能性があるなら」。この一言が本作のテーマにも繋がっており、M1から自然な流れで続くM2「つれてってよ」冒頭の一節でもある。
「つれてってよ」は先行シングルの1つだが、この曲こそがアルバムを形づくったと言っても過言ではない。コーラスで現れる"異空間"、"地球のスピン"、"銀河"といった宇宙感溢れるワードに反して、ヴァース部分では"電車"、"部屋着"、"イヤホン"のような生活感が滲み出るオブジェクトが度々現れる。つまり普段と変わらない生活の中で少女が夢見る空想世界への旅を意味している。
アイドルラップと聴いてパッと思い浮かぶのは目まぐるしくパートが変わりノリとテンションで乗り切るような楽曲だが、この曲は深く腰を下ろしたトラックの上で各メンバーのフロウをじっくりと聴かせるスタイル。スチャダラパーやRIP SLYMEを彷彿とさせる、たっぷり8小節で繋ぐマイクリレーはアイドルに歌わせるヒップホップとしては珍しいのではないだろうか。それゆえに、前述したメンバーの個性が存分に発揮されている。
寝室で夢見る光景からそのまま夜明けに移り変わりM3「消える惑星」へと続く。「つれてってよ」と同じように星が瞬く遠い空間に思いを馳せながらも、終盤に進むにつれて段々と"いつも通りの喧騒"に向かっていく構成からは、微睡を覚ますような日の光を感じる。
アイドル/ヒップホップの往来
喧騒に入ったM4「High5」、M5「夏休みのBABY」では、明朗かつスピーディにマイクを渡していきながら随所にキメのフレーズを差し込み、これぞアイドルラップという形を見せる。時間の移り変わりとして朝から昼をイメージしていることは言わずもがな、季節も明示的に夏へと遷移している。
特に「夏休みのBABY」は新体制になってから初のシングルということもあり初々しく、青臭い。若干テンションの高さが過剰にも感じるが、この過剰な熱気やアジテーションこそが後の作品としての寂寥に繋がることになる。
続くM6「常夏リターン」もまた夏をテーマにしつつ、アイドル然としたスタイルからかなり遠ざかっているが、クレジットにスチャダラパーとかせきさいだぁが名を連ねていることで合点がいく。夏ソングと呼ばれる立ち位置の曲は毎シーズン更新し続けている彼女たちであったが、2018年のこの年はその期待を良い意味で裏切るような変化球な楽曲がリリースされたのだった。
個人的にはこの曲はリリスクに限らず世の中の夏ソングの中でも相当上位に位置する楽曲で、"陽"の者ではなく"陰"の者としてダウナーに歌われる夏は自分の人生とも通じる部分があり共感できる。
夏の夕暮れを歌うM7「オレンジ」も屈指の名曲。曲単体では日が暮れる切なさを全面に感じる曲だが、「常夏リターン」からの繋がり、それからこの後に続くM8「CALL ME TIGHT」を見据えると、夜に向かって再びテンションを上げていくような印象も受ける。
言葉数の少ないコーラスで聴かせるメロディの良さと、一方でヴァース部分ではまたも各メンバーが長尺を担当しており、作品の中でも最も均整がとれた楽曲だと思う。
ライブ映像からもアイドルらしく僅かではあるが振付を踊っている光景が見て取れる。後に、このアイドル×ヒップホップという立ち位置の難しさや苦悩もメンバー自身から明かされることとなるのだが、少なくとも当時の彼女たちはどちらの要素もふんだんに取り入れて、楽曲ごとにその表情を起用に変えて見せる唯一無二のポジションを確立していた。
望んだ世界への到達
ここでシーンにはまた夜が訪れる。「つれてってよ」との両A面シングルとしてリリースされたM8「CALL ME TIGHT」は、アッパーなサウンドに加えて"君"との交信を表すリリックでまさに"君とランデブー"する光景を描く。
日常的な風景を味わった後で、再び星空のもとで宇宙感に浸っていく感覚。やはり物語の核となるのは"二人だけの世界"である。
このまま更にヒートアップしていく流れかと思いきや、M9「Play It Cool」で一時のクールダウンを挟む。"メトロ"という表現からは現実世界での情景を鮮明に感じるため、「CALL ME TIGHT」で"飛んでいきたい"と願った結果、「Play It Cool」では平静を装いながらも"君"に会いに向かう真っ最中と捉えるのが自然だろう。
夜へ急いだ先に満を持して本作きってのキラーチューン、M10「DANCE WITH YOU」の登場。体を揺らしたくなるミドルテンポのビートから、アイドル然としたラップで目まぐるしくパートが移り変わりながら、コーラスに向けて徐々にボルテージを高めていく構成が至高。コーラスでのリフレインに見える威勢もこの世界に"君"しか見えていないことを暗喩している。
"今夜の2人次第で世界は終わるかもしれない(とか言っとく)"のリリックは作品タイトルにも繋がるキーフレーズだが、ここではポップネスに倒したrisanoから発せられることで、あくまで今この瞬間のダンスホールを楽しむための冗談であると捉えられる。様々な時間と季節の移り変わりを経てここまで来た少女が、最終的には"君とダンスを"踊る空間に到達している。
曲中幾度も繰り返される"lock on"は終盤で"we go on"に形を変えて、まだまだこの瞬間を続けようという願いが出てきたところでM11「Hey!Adamski!」へ。このラスト三曲の「DANCE WITH YOU」「Hey!Adamski!」「WORLD'S END」の流れがクライマックスとなる。
BPMは高めでありつつどこか異彩を放つトラックで、作品冒頭の「-PRIVATE SPACE-」で見た宇宙船が再び現れるよう。曲名に含まれるAdamskiの名に恥じずサイエンスとギャラクシーをたっぷり含んだリリックでクールに魅せながら、最高潮を迎えたボルテージが冷めないように"夢なら醒めないで"と繰り返す様はどこか切なさも感じる。
訪れる"WORLD'S END"
作中には何度も"祈り"や"願い"が現れる。
「つれてってよ」「夏休みのBABY」「CALL ME TIGHT」に見る"二人だけの世界"への切望であったり、「オレンジ」「DANCE WITH YOU」「Hey!Adamski!」に見る"今が永遠に続くこと"への想いであったり。この作品の主人公を一人の少女と仮定すると、彼女は物語の多くのシーンにおいて、純粋無垢で素直な願いを空に向けて放ってきた。
そこで最後に待ち受けるのが「WORLD'S END」である。蓋を開けるとPixies の「Where Is My Mind?」へのオマージュで始まる自由闊達であっけらかんとしたサウンドは一聴して拍子抜けするような"世界の終わり"だが、聴き進めると物悲しさを感じる"神様ごめんね"のリフレインへと展開していく。この展開が美しく、作品全体を通して陽気と陰気を行き来した流れが最早この曲に集約されていると言っても過言ではない。
解釈の仕方は何通りもあるだろう。例えば「世界の終わり」は夢オチで、また作品の冒頭に戻って現実と空想の境目が揺らいだ日常をループする結末も面白いと思うし、例えば現実に世界が終わることはないけれど「明日何が起こるとしても、"君"との今を思う存分に堪能する」という率直なメッセージとして受け止めても良いと思う。
一方で私は、少女が神様へ「"私"と"君"だけの世界を作り出すこと、その世界が永遠に続くこと」を祈った結果、その祈りが叶ってしまった上に収拾が付かなくなった、そんな絶望と悲哀に満ちたバッドエンドが待ち受けているという解釈をしたい。少なくともこの作品の最後に「WORLD'S END」を聴いて感じるのは、残された一縷の希望を言葉にしながらも本心では絶望を受け入れるしかないと悟った諦念と、全ての引き金を引いた自分自身への悔恨である。
ひいては、本作の構図である「美しい煌めきを放ちながら意外にも呆気なくその幕を下ろす」運命は、皮肉にも当時の彼女たち自身と通ずるものがあるのも確かだ。ヒップホップというリアルとアイドルという偶像を重ね合わせる前衛的かつ革新的な試みは、短い期間ながら彼女たちを輝かせることに成功した一方で、更なる爆発のポテンシャルを秘めつつ最終的には彼女たちに離別の道を辿らせることとなった。
誰も予想だにしなかった疫病の流行はまさに"神様のアドリブ"だが、渦中に開催されたリモートライブはSFさながら物理的に遠い距離に居ても活力と気力を感じられた。神様に抗うように放った煌めきは、今こうして昔聴き込んだアルバムを思い出せるように、世界の終わりが来たとしても脳裏に鮮明に焼き付いている光景だろう。
冒頭に触れた映画で引用された「WORLD'S END」だが、『WORLD'S END』というアルバム自体もまた一つの映画を観ているような気分になれる、そんな徹底した物語性を感じる傑作である。