見出し画像

『HORIZON』 レミオロメン

最近、レミオロメンの「南風」がTVCMで流れている。

あれ、この曲は冬の曲だったような、、、けど"南風"という風自体は夏の季節風だし曲調も爽やかなので合ってるか。

思えばレミオロメンというバンドの魅力は、どこかそんな違和感を覚えたり可笑しく感じたりする側面にもあったように思う。実際、「南風」のMVもコミカルだ。貫地谷しほりが緑色の公衆電話を持っている姿に時代を感じる。


私が人生で一番初めに好きになったアーティストはレミオロメンだった。現在は活動休止中だが、今でもいつだって復活を待ち望んでいる。

およそ4年前にnoteを始めたとき(それから大した数の記事は書いていないが、)2つ目に書いたのが下記の記事で、ここでも語っているように人生で初めて買ったCDも、レミオロメンの3rdアルバムである『HORIZON』というアルバムだった。

人生で累計鑑賞時間が最も長いのもこのアルバムなんじゃないかと思う。

記事の冒頭で触れた「南風」こそ収録されていないものの、自身最大とも言えるヒット曲の「粉雪」や、映画タイアップの「太陽の下」、当時のCMタイアップで一定の知名度は獲得したであろう「スタンドバイミー」「明日に架かる橋」など、J-POP然とした楽曲が並ぶ。この"J-POP然"というところが、当時の大ヒットを生みつつも、後の彼らの音楽活動に大きな影を落とす形にもなった。

レミオロメンはかなり分かりやすくキャリアの転換期を迎えながら盛衰を経験したバンドで、主観的には大きく分けて「少年期」「隆盛期」「混沌期」「再生期」に分けられる。「少年期」ではスリーピースの音に拘り、前のめりでどこかいなたいサウンドを武器に個性を確立していたが、そこから小林武史のプロデュースやキーボード・ブラス・ストリングスなどのアレンジを取り入れることによって、華美で絢爛なサウンドの楽曲が増える形となった。それが「隆盛期」。ところが隆盛期を経ると途端に、少年期の雰囲気やスタンスとは打って変わってメジャーへ迎合したことによる反動が生じて「混沌期」が訪れる。一部のファンが遠ざかってしまったことに対する暗い感情が曲の歌詞に表れていたりもした。最終的にはまた上手く開き直れたような兆しが見えて「再生期」を迎えたところで、当時の災害など様々な要因も相まって2012年に活動休止となった。

『HORIZON』こそまさに「隆盛期」のキャリアハイとも言える作品であった。それゆえに、上記のキャリアを鑑みると大ヒットの背景で賛否両論も巻き起こったのだった。


と、まあ後から振り返れば色んなことを言いたい放題なわけだが、当時キッズだった自分からすると、初めて聴いた彼らの作品『HORIZON』は「超カッコいい」以外の何物でもなかった。

作品の冒頭かつアルバムリード曲でもあるM1「スタンドバイミー」は、鍵盤と弦楽器の絢爛なイントロで始まるのだが、体言止めをひたすら並べるAメロが新鮮で、正直何を言っているのか分からない違和感も含めて好きだった思い出がある。ギターボーカル藤巻の得意なアルペジオと伸びやかなボーカルの掛け合わせが美しい。

シングルとしての最大ヒット曲「粉雪」よりは、この曲こそが『HORIZON』を形作る一番大きなピースであったと思う。

同じ手法の歌詞が、続くM2「1-2 Love Forever」の冒頭でも見られる。

レミオロメンを語る上でこの曲が触れられることはあまり多くないと思うが、個人的には彼らの歴史上非常に重要な曲である。「南風」と似た4つ打ちディスコビートでバンドサウンドと鍵盤のアレンジを(少しエフェクトが過剰な気もするが、)良いバランスで落とし込んでいる。

更には「スタンドバイミー」と近い立ち位置でアルバムをリードした人気曲のM9「明日に架かる橋」ではもっと突き抜けて、打ち込みや電子音をふんだんに取り入れている。今思えば、こうしたダンサブルな楽曲は「混沌期」以降鳴りを潜めたが、これらの曲で開けた"おバカ"さや楽観性は、冒頭でも言った通り私が彼らに感じていたコミカル面での魅力だったように思う。

奇しくも、彼らが活動休止する前に最後にリリースしたシングルの「立つんだジョー」という曲は、再度4つ打ちビートに立ち返った曲であった。この曲もコミカルに全振りしたような今でも売れそうな名曲だと思うのだが、当時の受け入れムードとしてはやはりどこか迷走感が漂っていた、というのが正直なところだろう。

そういう意味では、『HORIZON』制作当時はメジャーに迎合とは言いながら、バラード曲に終始せず「1-2 Love Forever」や「明日に架かる橋」などの楽観的でポップな曲にも意欲的に挑戦していた姿勢はやはり素晴らしかった。

楽曲のジャンルのバリエーションの話をすると、当時「ヘンテコな曲だな」と思ったものはまだまだあった。

M3「プログラム」はとにかく重厚でアンニュイ、よくこの曲を3曲目に持ってくるなという驚きがあった。展開が多いという自分好みな構成に加えて、「プログラム」という無機質な単語をタイトルにしながら歌詞は真っ当に有機的で、所々にセンスが光るメロディメイク、彼らのディープな部分を曝け出しているような曲だ。

彼らはキャリアの晩年である2011年に、ストリングスを交えた編成で、ストリングスに合う曲をベスト盤的にピックアップしたライブ「“Your Songs” with strings at Yokohama Arena」を敢行しているのだが、あまり有名ではないこの「プログラム」もセットリストに見事に抜擢されている。

いわゆる"隠れた名曲"ポジションの曲だが、同じようにM6「傘クラゲ」もこのライブのメンバー入りを果たしている。叙情的なムードと美しいメロディは言わずもがな、この曲もまた全編を通して体言止めを並べた歌詞が、もう少し何か言いたげな余韻を残していてノスタルジーを感じさせる。

「傘クラゲ」の作曲はベースの前田だが、『HORIZON』から明示的に彼がクレジットに載る曲が増えた。本作では「傘クラゲ」に加えてM8「MONSTER」、M10「紙ふぶき」の3曲を担当している。作品の全体像におけるこの3曲の立ち位置を考えると、その他のアッパーで開放的な楽曲群と比較して、ゆったりとした落ち着きのある雰囲気が共通しており、作品全体のバランスを取っているように感じる。

思えばレミオロメンというスリーピースバンドにおいても、ベースの前田が全うしていた役割は似たようなものだったかもしれない。手数の多いドラムとつんのめり気味なギターに対して、ベースは一音一音をはっきり聴かせるプレイングが印象的だった。例えば、本作のM5「シフト」のようなカッティング主体の疾走感のある曲でこそ、その役割の違いが目立つ。そんなバランスが作曲面においても上手く発揮されていたのだと思う。


先行シングル曲のM11「粉雪」、M7「太陽の下」は指折りの有名曲だが、その前に発表されたシングルのM4「蒼の世界」もまた屈指の名曲である。

総じて爽快感がありキャッチーで聴きやすい曲なのだが、イントロとAメロの何とも言えないどこか憂愁なアルペジオから徐々にバッキングで盛り上がっていき、突き抜けるようなサビのメロディ。レミオロメンがかねてから武器にしてきた四季折々の情景描写と美しいサウンド、そこに一握りの違和感を足すという、彼らのバランス感覚を体現したような曲だ。当時の自分の知識量からしたら、「世の中のポップミュージックの"完成形"はこの曲なんじゃないか」とすら思っていた。なのになんで世の中であまり話題になっていないんだろうと。

その思いが募るあまり、中学生の頃にPCを使って何か文字をタイプして印刷しましょうみたいな授業があった際に、この「蒼の世界」の歌詞をひたすら打ち込んで歌詞カードのような背景を付けて印刷した記憶がある。"痛い奴"のラインをギリギリ越えていたような気もする。

M7「太陽の下」は、代表作にして当時のレミオロメンの一つの到達点でもあったように思う。突発的にヒットした「粉雪」を越えてバラードとしての金字塔を立ち上げた。

当時は難しいことは全く分かっていなかったが、冒頭のピアノからAメロのメロディラインが心地良くて好きだった。バンドスコアを買ったりして譜面を見ながら調べていたのだが、レミオロメンの楽曲にはとにかく臨時記号が多かった。J-POPであればよく使われる手法ではあるが、いわゆる転調とは異なり、一時的に不穏な緊張感をもたらすために用いられることが多い。この曲で言うと、サビ前の「地球で踊るんだ」の部分、あるいはサビでタイトル回収をする「太陽の下で」と歌っている部分などがそうなのだが、逆にこの曲の中盤までは一切臨時的な転調はない。

だからこそ、珍しくストレートな調性の中で作られた美しいメロディと、ここぞとばかりにレミオロメン節を効かせるサビとの雰囲気の違いが新鮮で、そのコントラストに魅力を感じるのだと思う。

話はアルバム最後のM12「流星」で幕を閉じるのだが、この曲は「少年期」の素朴な音作りに、キーボードのアレンジを上手く融合させた曲だと思っている。これまで述べてきた通りテンションの上がり下がりがとても大きく華美なサウンドも目立つ作品の最後が、この曲で終わる。「スタンドバイミー」が作品の中で大きなピースの一つと言ったが、形も大きさも異なるピースを11曲並べた後で最後に糊付けしてくれるこの曲の存在が、『HORIZON』という作品を傑作たらしめた所以だと思う。

素朴なサウンドと相まって、文学的な歌詞が特に光る。もう二度と逢えないものや過ぎてゆく時、色褪せる記憶といった"失われていく何か"をTシャツに滲む汗に準える表現は天才的。最後に歌われる「そっと大人になる」という歌詞は、この世界における少年の成長を指しているのか、あるいは「少年期」から大人になっていく彼ら自身を投影しているのか。

実はこの曲と同じく宇宙をテーマにしながら、曲中に出てくる「永遠」という単語をタイトルにも含んでいる「永遠と一瞬」という曲が、1つ前のアルバム『ether [エーテル]』に収録されている。この曲では、「ありのままでいる事はこれほど難しい」と歌われているのだ。

少年期の衝動で走って夢を見ていただけの彼らが、夢見た大きなチャンスを掴んで世間に注目される存在になっていく。そんな現実と直面する中でありのままではいられない時もあり、失われていくものに気付きながらも、大人になっていくことを受け入れる。そう考えると、実に生々しく彼らの成功の裏側にある寂しさや喪失感が吐露されているようにも感じる。まるでこの後に訪れる「混沌期」を既に予感させていたかのようだ。

しかし、この曲は救いの曲だ。前述した通り、「流星」が無ければ『HORIZON』という傑作アルバムは完成しなかっただろう。

より多くのファンから好きになってもらえるような様々な挑戦と、自分たちが少年の頃からやりたかった音楽。前者の割合が後者を上回ったことがこの作品の大きなハイライトではあるが、後者に対する切実な想いを曲として真っ直ぐに表現してくれたことが素晴らしい。


冒頭のCMを見たからレミオロメンのことが懐かしくなって書いてみたが、やはり昔ずっと聴いていた音楽というのは何年たっても自分の根として残っているものだ。こればかりは色褪せない記憶だと思う。

そろそろ復活してくれないかな。

いいなと思ったら応援しよう!