見出し画像

志村けんさんの想い出 心から感謝を。

志村けんさんのご逝去、本当に悲しい。

私は小学生の時に小平市から東村山市に転居して、20代まで過ごした。転居して小学校に入ったときには誰も知り合いがいなくて、異星に来たようでずっと馴染めなかった。保育園時代の友達が懐かしくて、勝手に切り離されてしまった感じがずっとしてきた。学童保育の上級生の男の子たちが不良っぽくて、いきなり放り込まれてひたすら怖かった。

昔からの市に新しく人口が流入し続けるベッドタウン、人口的な感じがして、どこにいても「自分がここにいていいのかな?」というような所在のなさを感じてた。戸惑い、調子がつかめず、寡黙になっていった。

そんな時どんな子どもにも平等に、笑いをくれて明るい気持ちにさせてくれたのが「8時だよ全員集合」だったと思う。

いつもは怖いお父さんもお母さんも笑うし、ドリフの面白さには勝てない。加藤茶さんが「歯磨けよ」というと素直にすぐに歯を磨いてた。

共稼ぎの親は忙しくて、私は土曜日の夜もどこかに預けられて、そこのうちの子どもと過ごしたりしていたけど、「全員集合」を見れれば楽しかった。

そしてしばらくして #東村山音頭 が一世を風靡したのだ。

全国テレビで、自分たちの地元がみんなに知られて、志村けんさんが一躍人気者になって、みんなが熱狂してる。

信じられない!!!爆発的な人気がしばらく続き、何回やってもみんなが笑う。

四丁目は東村山音頭をほぼそのままコピーしてるし、三丁目の「ちょっとちょっくらちょっと」というのもオリジナルにある。いつも何気なく身近にあるものが実は偉大なものなのかもな、と思ったものだ。

一躍東村山が注目の場所になってみんなが笑ってくれる。

それは間違いなく私のような子どもの心を明るくしてくれたし、だんだん東村山が自分の居場所になっていった。

「あたしなんて」「この街が馴染めない」と思って所在なく生きている子の街について、爆発的な笑いのパフォーマンスで一躍有名にしてくれて社会現象になる。彼のパフォーマンスは本当に大きいことだった。

まさに郷土のヒーロー。

誰よりもバカなことをやって笑わせ、どんな人の心も明るくして笑わせてくれることがどんなに偉大で大切か、志村さんに改めて心から感謝します。

人生のある時期のBGM的な話ですが、いつも見守って励ましてくれたBGMがどれだけ大切か。

偶然なことに、今のご自宅は、市区は違うけれど私の家から近くて、ほとんど毎日通っているエリア。お会いしたことはないが、私の家族がよく行く近所のお店にもよくいらしていたと聞いている。

近隣も悲しんでいます。

なんて惜しいことでしょうか。  

絶対復活して元気に戻ってこられると思っていたのに。

不死身な感じがしていたのに。新型コロナは恐ろしい病気です。

これだけの才能、まだまだこれからだったのに、ご本人が一番悔しいことでしょう。

心からご冥福をお祈りします。

心から感謝し、合掌。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?