わたしだけの声で綴る公開している日記の難しさ(声日記200回の節目に)
LISTENというポッドキャスト配信サービスにて声日記をはじめて、2024年7月18日でエピソード数が200になりました。
ただ、この200回に行くまでにすんなりとは行かず、様々な事がありました。今回はそちらを振り返りつつ、いまわたしが声日記を行う上で抱えている葛藤について残していきたいと思います。
これまでの経緯
まず、200回に至るまでの経緯を簡単に記載すると以下になります。
2023年10月20日 声日記スタート
2024年02月18日 エピソード数が100に到達
2024年04月30日 この日のエピソードを最後にLISTENを退会
2024年05月12日 アカウント復活
2024年07月18日 エピソード数が200に到達
この200回までの間に一度LISTENを退会して、再度復活しております。そのときの事情は詳しくは話しませんが、そのときの気持ちをこちらの記事に残しておりますので、よければご覧ください。
この200回までの間に色んな方とつながり、実際にお会いすることもでき非常に有意義な日々を過ごせましたが、一方で疎遠になってしまい、具体的にはソーシャルをブロックした・された方が発生しました。近しい方だったので非常に悲しい出来事でしたが、成るようにしてなったのかな、と今は思っています。その起点となっているのが声日記でした。
ここからはタイトルにもあります、200回を達成して思う、「わたしだけの声だけで綴る、公開している日記の難しさ」について、残しておこうと思います。
①一発録りの手軽さと私だけの判断の難しさ
基本的に、わたしの声日記は一発録りで録音をしています。しっかりと台本を用意して、構成を考えて、話す内容もしっかりと考えて録ることも当然できますが、正直面倒なのと、台本を用意してとなると気持ちが乗らない気がしています。気持ちが乗らない声日記を人が聴いても面白くないと思うので、話す内容はざっくりとは考えますが、話すセリフまでは考えていません。
LISTENはAIによって話した内容を高品質で文字起こししてくれます。辞書機能を使えば自分が喋ったことより自分にあった内容に文字起こししてくれるようになります。公開前にはざっと目を通すこともありますし、なんならもう一度聴き直すこともあります。そうやってもう一人の自分に構成役をやってもらい、「この内容は公開してもいいかどうか」というのは常に考えながら公開しています。
昨今SNSの炎上などもあり、どこでどんな方がわたしの声日記を聴かれている(読まれている)かは分からないので、情報を公開するのには慎重になっています。ただしこの200回までに到達するまでに本当にごくごく少数ですが、不快に思われた方からのご意見をいただくこともありました。
もしかすると2人以上でやっているポッドキャストであれば、「いや、そこまで言う必要はないんじゃない?」「そのことについては公開しないでおきましょう!」といった相互での牽制などのストッパーもあるかと思いますが、自分ひとりでやっているので、そういったことも自分ひとりでやらなければならないので、より完璧な判断にしていくのであれば第三者に見てもらった上で公開するのがいいのかもしれません。
また2024年5月に一度LISTENを退会した頃から、しずかなインターネットというところで日記を書いています。朝起きてから寝るまでの間でのログを残してます。書いて閉じて、書いて閉じて、を繰り返して、書いたことを何度も見ているので、「あ、ここの部分はまずいんじゃないか」「ここは訂正したほうがいいな」ということで必然的に何度も見直す状態になっています。ですが、LISTENの声日記は、文字起こしされたテキストをざっと一回読んで確認して公開しているので、回数としてはしずかなインターネットに比べると少ないです。(テキストを確認しないで公開ということもあります)
②視聴者をどこまで意識するか
視聴者、つまりわたしの声日記を聴いてくれている人、テキスト化された声日記を読んでくれている人をどこまで意識するか、「聴いていて楽しい」「読んでいて楽しい」をどこまで意識するか、はこの200回に到達するまでにずっと考えていました。今でもはっきりとした答えは出ていません。
極端なこと言えば、視聴者のことなんて意識しないで、自分が公開したい内容をアップすればいい、基本はそのスタンスではいますが、あまりにも視聴者を度外視してまで声日記を公開する意味はあるのかな、と少し思います。かといって視聴者の事ばかり考えて、「聴いてくれる人にはこういうことが有益なのではないか」「聴いてくれている人のために次にこのネタを話したらウケるのではないか」とウケばかりを狙ってしまうのも少し違う気もします。
③どの範囲まで公開するのがいいのか
さらに、あくまで私的な日記なので私の私的な内容をどの程度まで話せばいいのか、私に関係する事象をどこまで話していいものか、はずっと悩んでいます。もちろん、住所や本名などの個人を特定できる情報はできるだけ開示しないようにはしていますが、例えば「会社の同僚の人の近親者の方がなくなって、自分も少し悲しい思いをした」ということも、「少し悲しい思いをした」というのは私の気持ちなので良いと思いますが、「会社の同僚の人の近親者がなくなった」という事実は声日記で話していいものなのか、なんとも言えないです。
私の性に関する話や仕事上の立場の話など、「言いたい・吐き出したいけど言う必要があるかでいうと言う必要のない話」などもあるので、そういったものはただ言いたい、残したいだけで公開していいのかは悩んでいます。
とりあえずはフォロワー限定のポッドキャストのほうにアップしていますが、そうなると聴いてほしい人に届かないといったことも発生するので、悩ましいところです。
とりあえずは「引用」で感じたことを残す
200回に到達した今の私の声日記は
ポッドキャストやnoteの記事などの「引用」「言及」で話す
しずかなインターネットで書いたことを「週報」として声で振り返る
というスタイルでやっています。
ポッドキャストで話されていたこと、noteに書かれていることについて、自分ならこう思う、自分が日々感じていることと交えて話していくのが今は楽しいです。noteの記事やポッドキャストはある程度きっちりとまとめられたものであり、「誰かに読んでもらいたい・聴いてもらいたい」「誰かに話題にしてもらいたい」と思われることが多いものだと思いますので、「このことについては私も声で語りたい!」といったことを残すようにしています。
声日記で語られていたことを元に引用(言及)して話すことも、声日記を始めた頃はよくしていましたが、声日記は私的な個人の日記なので、「え、私の日記に言及されているけど、なんか変なこと言ったかな?!」と変に身構えてしまう人、中には言及しないでほしい、ひっそりとやっていきたい、といった人もいるようなので、あまり引用はしないようにしています。(引用するのが0ではありませんが)
日々の細かいことはしずかなインターネットに残していて、そこまで人に伝えるような内容ではないものも含めて書き散らかしていますが、「週報」ということで1週間で書いた日記を声で振り返ることで、「あぁこのときはこう感じていたけど、改めて今冷静になって考えてみると、今は考えが変わっているなぁ」「あのときにこういうふうに感じたことは間違っていなかったと思う」ということで、有意義に振り返る機会を得ています。ビジネス用語でいうと、いいPDCAサイクルが回せていると思います。
私的な日記だけれども誰かに伝えたい、コミュニケーションの手段としての声日記、これからもマイペースに続けていきたいと思います。
クルマの中からこんにちは - LISTEN
https://listen.style/p/16164day
ここまで読んでくださりありがとうございました。