吃音と臨床心理学と私
こんなタイトルですが、本文を要約すると、「私の人生の心の面において吃音は非常に大きな位置を占めており、それは私の進路にも影響を与えた」という話です。
先日、大学での研究分野配属があり、無事希望の臨床心理学分野に進むことができました。この分野は希望人数が多かったら試験と面接で選抜するよ!とのことだったのですが、結局選抜は行われませんでした。その対策のために大学2年の夏休みをかけて考えたものたちを放っておくのも可哀想だと感じたので、その際に考えたことを一部つらつらと書いていこうと思います。あと友人のnoteに触発されました。
まず吃音について、名前は知っているけど実際よくわからない方のために説明すると、「話し言葉が滑らかに出ない発話障害」らしいです。私は障害だという意識はないのですが。私の症状を紹介すると、「常時ハ行が出にくい」、「流暢性には波があって(数週間〜数ヶ月周期)、良い時はハ行も割と流暢で、悪い時はほぼ全ての言葉が出にくい」、「初めの音を出す前に黙る時間がある」、「出づらい言葉を他の言いやすい言葉に頭で変換して話す」、「どうしても言葉が出ないと、頭には浮かんでいる言おうと思っていたことを忘れたことにする」などなど。また、これらに伴う不都合はあげたらキリがありません。人に話しかける勇気が出ないとか、発表の場が本当に憂鬱だとか…
私は小学校低学年頃から吃音があったので、21年間の人生の中で吃音が無かった時の記憶がほぼないです。小学校3年の時、転校する際にクラスでお別れの手紙を一人一人から書いてもらったのですが、その一つに「なんで話すときにつっかえるの?」という手紙がありました。子供の純粋さって怖いですね。大学でも英語のプレゼンなどで初めの声が出なくて泣き出し、先生や他の受講生に励まされたこともありました。無機質に思えるオンライン授業でもこんな時に人の温かみを感じることができるなんて新たな発見ですね。また、声が出せないと怒られるんじゃないかと思って長期バイトをする勇気も出ません(←あまり声を出さなくていいバイトがあったら教えてください)。高校までは友達に対して吃音のことを一切話題にしたことがなかったのですが、大学では仲良くなった子にはぽつぽつ話せています。なんででしょうね。人科の安心感ですかね。
そんな吃音と共にある人生の中でも、ごくたまに非常に流暢に話せる時期が来ます。何にもつっかえないで話せることがこんなにも自由なのか、素晴らしいのか。吃音がない人はいつもこんな気分を味わって生きているのか。なんて羨ましいんだ。私のカウンセリングへの興味はこの感覚から来ているのかもしれません。吃音と共にある私の心は常に薄曇り空でした。この天気がずっと晴れないのは私に晴れをもたらす素質がないからだ、と思っていたのかもしれません。しかし、何かのきっかけで晴れることもあります。私のこの場合は一時的に症状が「取れる」ことがきっかけですが、症状と上手に付き合う方法を見つけることも心が晴れるきっかけになり得るのではないだろうかとも思います。これは吃音に限ったことではなく、他の精神障害や身体障害など、また誰もが感じる日常のストレスについても同じことが言えると思います。
つまり何が一番言いたいかというと、人間には辛い状況にあっても前向きに生きる力が素質として備わっているのではないか、ということです。そしてこの考えのもとで、本当は力があるのに、前向きに生きたいのに、それができない人々のことを私は「もったいない」と感じてしまいます。先日の某授業で、「性犯罪を繰り返す知的障害者がいたのだが、何回刑務所を出入りしても一向に直らない。なんとその人は今まで更生のための福祉サービスに関わる機会がなかったのだ!そこで福祉サービスに繋げたところ、居心地のいい居場所を見つけたようで性犯罪の再犯は止まった。」という話がありました。それを聞いた時に、あぁこの方は犯罪に手を染めないで居心地良く暮らせる力はあったのに、そうなるきっかけがたまたまなかっただけなんだな…と、喜ばしさと同時に物悲しさを感じました。このように「きっかけ」を作り、それを本人の人生のために有効活用する道標を示すことができるのが心理師、カウンセリングの場なのかなぁとなんとなく思っております。一人一人を見つめ、本人たちのマイナスをゼロに、ゼロをプラスにできるかもしれない、全力でそれに取り組むそんな職に憧れています。かっこいい〜〜〜〜!!!!!!
公認心理師や臨床心理士になれたとして吃音のせいでうまく仕事ができなかったらどうするんだ!という不安もありますが、そんな場合は資格の面接で落とされると思いますし、資格を得たのなら私を止めるものはいない!というマインドで図太く生きていこうかなと思います。それができれば何も困ることはないんですけどね。
ここまでこの超駄文を読んでくださった方は本当にありがとうございました。