個展カウントダウン<26日>:個展開催を迷っています。
皆さんこんにちは。成瀬です。
今回はパリ滞在中のことについて書く予定でしたが、ちょっといま、今回の個展開催をほんとうに実施すべきかどうかで悩んでいます。
今回の個展は、会場のベルクの副店長のご厚意で実現したと先にご案内しましたが、個展実施には多大な費用がかかります。簡単に見積もっても、20万は必要でしょう。実は、その大半を、私の弟子が出してくれているのです。曰く、「今回の個展は私の案だから責任を取ります」と。なんという厚情でしょう。それほどまでに私の写真を評価してくれた人は、これまでいないかもしれません。甘んじてその厚意に甘えることを一旦は自分に許したものの、それでいいのか? という問いが今になって湧き上がってしまっております。
かと言って定職らしい定職も持たず病に伏せっている私には、経済的にも精神的にも個展を開くだけの余力はありません。実際、もう額は揃ってしまっています。ベルクの発刊誌に掲載する紹介文も上校しました。展示で使うステートメントも詩も書き上がっています。小冊子を作ろうと、印画紙も用意してあります。こうしてnoteを使って告知も進んでしまっています。今更引き返すのは無責任と言えるかもしれません。ちょうど10年ぶりになる今回の個展には、私も期待するところは大きいのも確かです。ベルクで個展、などなかなかできるものではありませんから。
ですが、迷ってしまうのです。いま、それどころではないのではないか、と。いま、アーティストとしての誇りを捨てるように、カメラマンの仕事を探してはおりますが、大した商業写真の経歴もない46歳の私を雇う企業は非常に少ないです。やろうと思えばビルの清掃だっていいわけですが、問題はアメリカ時代から抱えている精神疾患です。日本で、息苦しいこの国の日常で、症状は年々悪化し、入退院を繰り返してきました。妻を怯えさせ、果てに離婚もされました。こんな私が「先生の写真は群を抜いている」と盲信してやまない弟子の言葉と心情のみに頼って個展を開くのは、甘えなのではないか、と感じるのも事実です。
私は日本では社会的弱者かもしれませんが、障害は個性、とも思っています。障害があるからこそ撮れる写真がある、感じる心がある、とも思っています。どこかで、障害そのものを誇りにすら思っています。しかし、そうは思えずベッドの中で踠いている日々も多いのです。写真は、もう何年もきちんと撮っていません。それは、東京、というモチーフが自分の感性に合わない、という大きな問題もありますが、傷病によって気力と精力が大きく失われてしまった、というのもあります。
今回の10年ぶりの個展は、その打開となる大きな一歩と考えていました。いまでもそう考えています。しかし、ここまで他力本願でいいのだろうか、という念が拭えません。皆さんはどうお考えになりますか?
悩んでいる時間は多くありません。決めるならば早く決めなければなりません。皆さんのご意見をお願いいたします。
それでは、また次回。
成瀬功