個展カウントダウン<30日>:心理学から写真へと転向した理由
皆さんこんにちは、成瀬です。
さて、前回はアメリカへ渡った経緯と、私と心理学の関係についてお話ししましたが、今回はその心理学への情熱が写真にとって変わった経緯について簡単にお話しいたします。
米国へ渡って2年目と3年目は、パーティの年でした。私は留学生サークルの会長を務め、会長の仕事と言ったらいかに楽しいパーティをいかに多く開催できるかに尽きていました。私はパーティアニマルになりました。
とは言ってもクラスで単位も取らねばならず、それは決して容易なことではありませんでした。自分でもよくやってたなぁ、と感心してしまうほどです。しかし、その無理が3年目の終わる頃に突然やってきました。
突如起こる呼吸困難、手足の発汗と痺れ、鼓動の激化、これらが突然起こり始めたのです。当時心理学部にいた私は、アドバイザーの教授に相談しました。そしたら、「パニックアタック(パニック障害・不安障害)の兆候に酷似している」と言われ、私は神経症患者として治療を受けるようになりました。それが、以後今日まで私を悩める精神疾患の始まりです。
私は発症当初、部屋から出られなくなりました。自分の内面世界と外の世界との接点を失ってしまったのです。それがちょうど年度替わりの休暇中だったからよかったものの、授業は3日休めば単位がもらえませんから、大ごとになっていたかもしれません。とにかく、二週間ほどの間、私は外部との関係修復の手段を必死で考えました。その結果として、心理学を諦めたのです。内面世界に没頭していては治らない、抜け出せない、と恐怖に近い思いで知るに至りました。
そこで、卒業後の就職とか進路とかを考えている余裕はない。とにかくこの状態を脱せねば、と思い、興味のあることだけやろうと決めました。そして思いついたのが、写真です。かつて、高校の頃、父親のカメラを借りて熊本の草千里で草を食む野生馬を写真に撮ったことを、そのイメージを思い出し、なぜか写真に強く惹かれていったのです。
しかし、大学に入学して心理学で単位を貯めて2年が経っていますから、今から芸術学部専攻にすると必要な単位が膨れ上がり、4年では卒業できないことがわかりました。そこで、芸術学部は副専攻として写真のみに集中することにし、専攻を文学部に変更することにしました。文学なら、いくらでも論文を書けます。
これが私が写真に至った大まかな経緯です。非常に病的な出発でした。
長くなりましたので、それから卒業までの二年間に何が起こったかは、次回からゆっくりとお話ししましょう。
お読みいただいてありがとうございました。それではまた次回まで。
成瀬功拝