芸術写真とは? 写真を撮るということは?
変な時間に目が覚めたので、前回の投稿以来考えていることをまとめていきたいと思います。
心理学の勉強が仇となって神経症を患うに至り、そこからの脱却として写真を学ぶことを選んだわけですが、写真を始めてみて気づいた意外なメリットとデメリットがあります。
まず、メリットですが、そもそも外の世界との接し方を見失った私にとって、写真は何よりの救いになりました。つまり、私が写真を撮る、誰かがそれをみて何かを感じる。そこに、これまで得られなかったコミュニケーションが生まれたわけです。外の世界との接触が生まれたのです。
また、カメラのファインダー越しに見る世界は、私が恐れていた無防備な接触とは異なり、カメラという媒体が私を守ってくれる、という点でもメリットは想像を超えていました。カメラがある限り、私は安全だ、と感じることができました。
以来、私は写真の虜になりました。撮影時だけでなく、暗室で浮かび上がる写像としての外の世界は、ある意味私のフィルターを通して理想化されており、それは愛すべき世界であるという失った感覚を取り戻してくれました。いったい何カットの写真を現像したことでしょう。それまでパーティアニマルだった私が、一転して暗室に閉じこもりになり、友人たちは心配して暗室まで私の様子を伺いにきたほどです。彼らは、突如姿を消した私が、ドラッグに走ったと思っていたのです。笑
しかし、写真というプラシーボには、副作用もありました。渡米して以来移民の国アメリカで、それまで小学校の頃から転校生として扱われていた疎外感から一気に解放され、その自由のためにパーティアニマルになる程の変化があったのですが、その裏で、常に自分の中に問いかけがありました。
それは、「本当のお前は誰だ」という容赦ない根源的な問いかけで、転校生、という殻に閉じこもっていた私にとっては、アイデンティティクライシスとも言える厳しいものでした。私は衣類を剥ぎ取られ丸裸にされて放り出されたような感覚を常に抱えていました。それが神経症の発症につながった大きなカルチャーショックでした。
写真は、そんな私を守ってくれましたが、決して「答え」はくれませんでした。写真とは、芸術写真とは、自分自身と対峙することだとわかりました。自分の投影である写真と自分が向き合い、これが私か、という疑念に耐えなければ芸術にはなりません。芸術写真とは、己を知ることが必要条件にあります。このアンビバレンスに、私は救いも感じる一方で、苦しみもまた、大きく感じていました。
それでも、写真を止めることはできなかったばかりか、どんどんとのめり込んでいきました。非常に危険なことです。それから数年後、東京に戻った私に待ち構えていたものは、日本、という国で生きることの非情な現実にまたしても無防備になってしまう、2回目のカルチャーショックだったのです。この話は、追って詳しくお話ししましょう。
アメリカの片田舎の大学の芸術学部で、私に敵はいませんでした。もちろん学んだのは写真だけではありません。グラフィックデザインも、彫刻も、彫金も勉強しました。そのどれにおいても、私は一目置かれる存在となりました。彫金のクラスで私が作った作品は、いまでも資料として授業で使われているほどです。
しかし特に写真においては、私は完全に群を抜いていました。ありがたいことに、教授補佐の仕事ももらい、授業で教えることも度々でした。卒業制作では、最優秀芸術賞を受け、作品は大学に収蔵されることになりました。バイトでやっていたマスコミ学部が発刊していた新聞の写真編集者として、毎月のように賞を受け、私の作品はテキサス州全州大会で2位をとりました。
こうしてアメリカ留学を終えるに至り、意気揚々と帰国した日本、東京で私に待ち構えていたものは、悪魔のような非情さと冷酷さを持つ、ジャパンというもうひとつの避けられない現実だったのです。
次回からそのことについてお話ししていきましょう。それでは、また次回。
成瀬功