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台南で、第二次大戦時代の防空壕を見かけた
台湾は、かつて日本だった。
1895年、中国から日本に「割譲」されたのだ。
きっかけとなったのは、戦争だ。
日清戦争である。
清国に勝利した日本は原住民・漢人の激しい抵抗を鎮圧し、統治した。
その島は日本国台湾県となった。
日本人としても生きた彼らは、本省人と呼ばれる。
1945年、台湾は日本ではなくなった。
およそ50年間にわたる台湾の領有権を、日本は少なくとも「放棄」した。
きっかけとなったのは、戦争だ。
第二次世界大戦である。
日本に勝利した中華民国は、大陸での内戦の末、台北に亡命政権を打ち立てた。
その島は中華民国台湾省となった。
中国人として亡命した彼らは、外省人と呼ばれる。
台南は第二次大戦で大きな空襲のあった地区だ。
この防空壕のあった一帯にも工場があったから、ずいぶん被害にあったそうだ。
かつて、本省人系の台湾人が、この暗く狭い地中で身を寄せあったかもしれない。
空の上、爆撃機に描かれた旗は、もちろん星条旗だったろう--。
だが、米英と並ぶ連合国の主翼は中華民国であったことを、僕らは忘れがちだ。
※大戦時のポスターの連合国国旗群、ユニオンジャックの下には中華民国国旗。
あの戦争を、別々の「対岸」の中で生き抜いた本省人と外省人。
今日、空っぽの防空壕の上に爆撃機の代わりに轟くのは中華民国空軍機の轟音だ。
その仮想敵は言うまでもない。
新たな「対岸」の脅威の下、人々が再び防空壕で身を寄せ合う。
彼らの和解の瞬間が、そのような皮肉なものであってはならないと思った。
何にしろ、この島の美しい空はどこ知らぬ風だ。
歴史など、人の作るものに過ぎないと。
追記:
台湾という名称の由来は不明瞭ながら一説には、原住民の言葉Tayouanとされる。
その語義は「来訪者」である。