蝉の死骸を数えていた
今日もいつもと変わらない憂鬱な朝を迎えた。僕は朝が苦手みたい。
空気は夜のうちに陰鬱を纏っていってどんどん吸収していって、朝になる頃にはそのシャボン玉が破裂しそうになるから。朝になると少しずつ陰鬱という空気を放出しているんだ、また夜を迎えられるように。そんな気がする。
朝が嫌いなのってなんでなんだろ、ちゃんと考えたことないかも。寝ている間にはシャットアウトできていた無駄な思考も、嫌なことも。朝になると僕は再起動して否が応にもそれらが頭に入ってくるから。考えないといけないからなのかな。よくわかんないけど。結局は僕たちみたいな暗い気分を抱えて生きている人にとって、朝は少し眩しすぎるのかもしれない。カーテンから差し込んだ陽光は床に歪な形を作っていた。この先数百年生きたとしても、再現不可能な、二度と見れることのない形を。その一瞬の形を。僕は必死に頭に焼き出していた。
しょうもないことでも深いことでも、頭に情報が入ったらそれについて考えてしまう癖があるのかもしれない。街中なんか歩いてると目に入るもの全てが情報となって、色々な思考が頭の中を駆け巡る。それを変だという自覚がないまま生きてきたけれど、二、三年くらい前に発達障害者の頭の中っていう一人称視点の動画がSNSで流れてきて”ああ、おれって発達障害者なんだな”って(笑)でも特別驚かなかったかも、妙に合点がいったというか納得できた。今まで人と違うことだったり生きづらいなって思うことだったり上手くできないことたちを”発達障害”という言葉に集約することができたから。今まで理由が分からずに感じていた漠然とした生きづらさが、根拠がある生きづらさに変わったような。だからといって、楽になるとかはなかったけど、生きづらいのには変わりないけど。でも理由があるってだけでどこか安心感があるよな。ほんとすこしだけど。
この世界にうまく順応できないんだ、ぼくは。踏切でギリギリまで前に立って電車が通り過ぎるのを待つ。それより前には出ないけど、僕には死ぬ勇気がでないから。痛いのが怖いから。もういいかもなって、消えたいなってなっているのに恐怖感に勝てないや。情けないなあ。自ら死を選んだ人たちって死ぬ時の痛みや怖さよりも、生きている痛みの方が勝っちゃったんだよね多分。そこまで行けてないのかなおれは。生きづらい気持ちや暗い気持ちを抱えながら生きているけれど。俺なんかよりももっと死について深く思量している人がいて、思い悩んでる人がいて。なのに俺は中途半端な死への渇望で死にたいなんか言っちゃって。死ねないのにな、きっと。ごめんなさい。ごめんなさい。
死ぬときの痛みよりも生きていく痛みの方が強かった?どうしようもなく不条理な世界に嫌気がさした?世界に溶け込んで生きることがもう既に手遅れだった?心を壊された?焦燥感?絶望感?孤独感?虚無感?否認?解離?諦観?
どうして君は自死を選んだのだろうか。僕は未だに君の希死念慮を見つけられないでいる。明確な理由じゃないんだよね、きっと。死ぬ理由なんて、漠然としたものなんだ。生まれてくるのにも理由がないように。そうだよ、はっきり言語化できる理由じゃなくてもいいんだよな。
無機質な物質が僕の前を通り過ぎていって僕の髪の毛をなびかせた。一歩前に出るだけで今までの生活を無かったことにできる、死ぬことができる。そんな分かりきった自然摂理がどこか僕に快感をもたらした。通り過ぎていった後に、思い出したくなるような、どこか寂しくなるよな、俺はそんな人になりたかった。
君が僕に言って欲しかったことを、僕はうまく見つけられなかったみたい。前に話したことあるんだよね、それってたしか。君の表情をみてそう思った。でも僕は思い出せないや、こういった話をしているのは君とだけではないから、それに僕は記憶力が乏しいのだと思う。元から記憶のキャパが小さいから、ペットボトルの蓋を開けて飲もうとした筈なのに、その3秒後に蓋が空いたまま背伸びしているような人だよ俺って。だから意識しているわけではないけれど、覚えておきたいことだけを頭の中にしまって、それ以外の出来事や言葉は僕に入って通り過ぎていっているんだ。無意識下でそういう構造になっているのだからしょうがないよね。うん、しょうがないんだよ、きっと。だから僕にこれ以上求めるのはやめてほしいな、それにもきっと応えられないから。だからもう無理だよ。これ以上僕に関わらないでください。君の分の憂鬱も抱えて生きていけるほど僕は強くないのだから。だから。今は無理だよ。また、いつか、どこかで。
なんて。抽象的な言葉に逃げてきた僕の人生。面倒臭くなったら放棄して逃げ出して思考をやめる、そんな生き方。考えるべき事象を思考せずに、どうでもいい絵空事ばっかりを膨らましているから、21歳になっても中身が何もないままのがらんどうなんだ俺は。このまま、何もないままで大人になることが何よりも怖い。もう大人なんだから出来るよね?もう大人なんだからわかるよね?実際にそう言われてるわけではないけれどそんな圧力を感じるようになって、でも俺はそれらが上手く出来なくて、分からなくて。普通に生きてる(普通に生きるってなんだろう)奴らが出来ることが俺にはできなくて。不文律なんて分かんねえよ。文字にしろよ。言葉にしろよ。
でもこの世界はそういう弱者に向けて作られたものでは無いから。表現合ってるか分からないけど、この世界は生まれてきてからの強者がより強くなるような構造になっているから。だから僕たちはレールから摘まれて籠に捨てられた弱いもの同士で馴れ合って舐め合って生きているんだ、その方が楽だから、その方が落ち着くから。
「あたし達って病気だよね、きっと」
本来は悲観的な方向性のその言葉が、どこか嬉しくてどこか肯定的に感じた。それを嬉しく感じているうちは弱いままなんだろうな。でもそんな類の言葉はこの世界に順応できない僕の救いになっているんだ、たぶん。だから、ありがとうって伝えなきゃ。伝えられるうちに、形があるうちに。
桜のような人ってどんな人なのだろう。死ぬまでに仰向けになった蝉の死骸をあと何匹見られるんだろう。あの時君は何を考えていたんだろう。生きる意味ってなんだろう。人はどこから来たのだろう。なんて、死ぬ時まで、あるいは一生分からないことばかりを考えている。現に直面している出来事からは目を逸らして、答えの見つからない事ばかりを考えている。答えがないから的を得てないことを言っても間違いでは無いから、非難されることがないから。
部屋を出ると蝉が仰向けで死んでいた。
”ああ、まただ”
今年になってから五匹目の蝉の死骸だった。
もし運命というものが決まっていて、僕たちはその終着点に向かっていくだけなのだとしたら
君は少し生きやすくなるのだろうか、決まっている点に向かうだけの人生に絶望感を覚えるのだろうか。”はい、これがあなたの人生です”って訳も分からないまま電車に乗せられて、決まった順路で、決まった時間で終着駅に向かっていく、ような。もしこの世界で生きるってことがそういうことなのだとしたら、僕は真っ先に死を選ぶんだろうな、きっと。自死を選んだ人達って、これに気づいた人達なんじゃないかな、分かんないけど。
何を書きたかったんだっけ
何を残したかったんだっけ
分からない分からない分からない
もうわかんねえよ、なにもかも
俺は俺で生きていくから
世界は世界で勝手に
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