年明け早々口座に1万円しかない人
現金がないんです。
なにかを崩せばあるんだけど。
パソコン買っちゃったからね。
「途方もない苦労は良い経験になる」的なことよく言うけど
苦労はしなくていいならしない方がいいじゃん派。
あの時より辛くないからいけるわ~ちょろ~~っておもうことがないわけではないが、苦労なんてしないほうがいい。
猫には苦労とか辛いこと全部しらないまま全うしてほしいと毎日思う。
今日ドアと壁にしっぽを挟んでしまって申し訳なかった。
猫は「え!?今なにが起こった!?」みたいな反応だった。
幸いしっぽは無事だったけど毛がいっぱい抜けてた。
冬毛がクッションになってくれたのかもしれん。
まじですまんかった。
閑話休題。
苦労経験のおかげかもしれんが、
ここ3年くらいだいたい何が起こっても
「あーはいはいそのパターンの最悪ねOK」ぐらいの受け止め方になってきた。
だいぶ最悪だけどとりあえずやりたいゲームやるかあとか
まあなるようにしかならんから大丈夫やろって思える。
動じないというより諦めが早いのかもしれん。
自分に何ができてなにができないかがこの歳になって理解できて
その範疇を超えたものはどうしようもないと諦めることができる。
そのための苦労経験を老害たちは推してるのかも。
そもそもできないことはしないというのが功を奏している説もある。
できないことを願うな精神。
できることだけやって棚ぼたがあればラッキー。
そのぼたもちを掴めるような積極性は持っておく。
割とぼたもち掴んで波に乗る形の生き方してるから
私には合ってるんだろうな。
最近寂しいと感じるのは、
昔仲良かった友人と価値観が合わなくなってきていることに気づいた時。
こればっかりはどちらが良い悪いではないから
仲良くしていくために今一度歩み寄るのか、
そんな手間をかけるくらいなら切ってしまうのか。
価値観が全く違うのに一緒にいられる友人は
どれだけ器がでかいんだと尊敬する。
私に振り回されることを良しとできる人なんやなあ。
お年玉として(?)ケーブルまとめるやつをいただいて今いろんなケーブルで使い心地を試しています。
一緒にもらったカメラは自動給餌機にビタ付けして
飯食う猫を正面から見れるようにしてみてる。
人生一度はやりたいリストにガチ占いがあって
機会をずっと探していたけどいい経験でした。
当たる当たらないはおいといて、
生きることについてそういう見方もあるのかあってなった。