AIが書いた文章とか画像とか動画とかの温度
ホットアイマスクをはぎ取らずに起きた朝に季節を感じました。
(寒くなってきましたね、と言いたいんです。)
(寒いからごっそりふとんをかぶって寝たままピクリとも動かず起きたんだな、という予想)
毎朝、朝ごはんを食べながら習慣で聞いている『ながら日経』で、いつの日か
AIが書いた文章の著作権
について話している日がありました。
誰に評価されたいわけではなく、
ただただひたすらに自分の話を書いているnote、
(でもいいね♡いただくのがめちゃくちゃうれしいです)
良いか悪いかは別としてお仕事で文章を書くこともある私も、考えなかったことはないんですよね「AIがある程度文章を書いてくれたらもっと良いものもできるし、楽なのではないだろうか」と。
そんなことを考えていたとある日、前に夫が
「ちょっとこれ見て」
と見せてくれたYoutube。
「なにこれ?今はやってるやつ?」
と聞いてみたら、
「AIに徹底的に80年代の曲を覚えさせて、
80年代の曲をAIに作らせた曲らしいで」
と言う夫。
これ↓
初めて聞いた時、
「なにこれやばいわ…」
と思いました。
そして、
「この曲、昔どっかで聞いたことない?」
と思いました。
でも聞いたことないんです、だって今、2024年にYoutubeに更新された曲ですから。
コメント欄にも私と同じような、そんなコメントが並んでて、
この感情は私だけではなかったのか!
とそれもまた、おどろきました。
AIを仕事に取り入れているか?
と言われたら、まだまだ取り入れてはいないのですが、
ながら日経でも言っていた『AIが書いた文章の著作権』なんて話が話題になるほど、私以外のまわりではすでに話題になっていて、
ちょこっとネットで調べてみれば、わんさかでてくるAIの取り扱いについての話。
これ将来、私も仕事の中でどうしてもその『AI』使わないといけない日がくるのでしょうか?
使いこなせるのだろうか?
という不安と、
それに付随してくる”使い方のお約束”(法律的にダメみたいなもの)を、把握して守れるのか…?
という不安を感じました。
ただこの感情に「なんとかなりそうかもしれないな」と思わせてくれるのが私のおばぁちゃん。
私のおばぁちゃんは昭和の戦時中生まれで、
戦時中は子どもだったけど、戦後の貧しい暮らしを経験したり、
親が戦争で亡くなっていたり、戦争を感じていない世代ではないと思うんですよね。
当時の話も聞いたことあるし。
そんな戦後を経験してきているおばぁちゃんが今、iPhoneを使ってLINEしてきて、LINEで電話をかけてきてますからね。
LINEで友だちと連絡を取り合って一緒にグランドゴルフに行く約束をしてますからねぇ。
(今はゲートボールの時代じゃないそうです。グランドゴルフのほうがイケてるらしいです)
早々に免許を返納して、ネットスーパーで買い物をして、食材を届けてもらったりもしてるおばぁちゃんをみてると、
あ、私も将来いつの日かAIをちゃんと使えるような日もくるのかもしれないな
と間接的に励まされています。
(おばぁちゃんから受け継ぐDNA)
ただ、昔母親が言った一言が心にひっかかっていることがあったりします。
オンラインゲーム大好き人間の弟が、
オンラインゲームを介して女性と知り合ったという話があった当時。
母親はそれなりに心配をしていて、
「オンラインゲームで知り合うの、そういう方法もあるかもしれないけど、できたら、
温度を感じる距離にいる人
と知り合ってほしい」
と言っていたんですよね。
「少し手を伸ばせば触れる距離に居る人と知り合ってほしい」
とも言っていました。
(オンラインゲームで知りあうなんて…!という若干否定的な考え方もある母ですが)
この、
温度を感じる距離
少し手を伸ばせば触れる距離に居る人
という言葉が頭から離れなくて、いつの間にか私の中で人付き合いにおける大切な言葉になっていたりします。
なので、
noteとか仕事で書く文章も、”書く人のことが見えてきそうなところ”がおもしろいのかな?
と思っていて。
特に仕事で書く文章は、がっつり顔出しでやっていて、すでに知り合いのお客様とは文章をとおしてすでに現実でも温度を感じる会話をしているし、
もしかしたら私の文章を読んで「会いたい」と温度を感じに来てくださった方もいらっしゃったかもしれない。
noteはまったく顔を出してもおらず、
なんなら親にも家族にも、同僚にも友だちにも、知り合いにも話していない。(夫だけご存じ)
でも、コメントをくださる方やいいね♡をくださるとうれしい気持ちに温度を感じています。
AIも、AIが”個”として自分として認識し、
承認されるとうれしいという気持ちが生まれるのでしょうか?
もちろんどんどん学習はしていくでしょうけど、
感情から生まれる温度を感じるようになるのでしょうか?
そこまでいくと、どうしても手塚治虫の『時計仕掛けのりんご』とか『火の鳥』の世界観を思い出してしまい否定的な感情が生まれそうになるのも私の正直な思いです。
…ん?『時計仕掛けのりんご』ってそんな話やったかな…(忘れちまった!)
なんか自由に話すロボットの話があってめちゃくちゃ怖くなった思い出があります。
火の鳥も。
子どもなりに結構トラウマレベルのマンガだったので記憶を改ざんして蓋をしてるかもしれませんが。
今のところ仕事や生活にがっつりAIと触れ合う機会はないので、
今は私の温度を感じてもらえるような文章を書いていけたらいいなと思っています。
でもこういうこと言うと、新しいことについていけない人!と思われるのもなんだかアレだな!しゃくだな!(自分に正直)笑
まぁ将来、どうしても使う日が来るでーーーーーしょう!
そんな日が来たらきっと、文章の最初に
『ホットアイマスクをはぎ取らずに起きた朝』
なんて書き出しは無くなるかもしれないな。