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家系図を作りたいじいちゃんに頼まれて戸籍をたどって家系図を作ってあげた時の話。



たまたまTwitterで、自分の家計をたどって、
またそのたどり方が『言い伝え』レベルまでになり、現地へ赴いて当時の村の方に話を聞いて…とまるでRPGをしているかのように楽しまれているつぶやきを読んで思い出した。


私も過去、じいちゃんに頼まれて家系図を作ったことがある。

できあがったとき、それはそれはもうたいそう喜んだうちのじいちゃん。
今は亡きじいちゃんのことを今朝見たTwitterで思い出した。


家系図を作るに至った経緯



うちのじいちゃん、多分に漏れず昔話が好きで、
戦時中に生まれているので、出兵はしていないものの戦時中に疎開して、今私たちが住んでいる地域に来たそう。

若い時はその当時から?疎開の時にお世話になった方のところで働いていたりしたそう…だったような話を聞いたこと覚えがある…

もう亡くなって15年以上たつので細かい話は忘れてしまいましたが、
なんせその疎開の当時の話や、田舎の話をよくしていました。
(今思えば、私がほんとに幼いころはまだまだ”戦争から帰ってきた人”が何人かまわりにいらっしゃったなぁ。足を撃たれてそのケガで足が不便だという話を聞かせていただいた記憶がある)


じいちゃんはいつも

「じいちゃんには本当はお兄さんがいた。でもすぐに死んでしまった。」
「じいちゃんは橋の下から拾われてきた。」
「でも本当の母親だ」

???

橋の下から拾われてきた?
でも本当の母親?
どういうこと???

と、なんとも幼い子供にはよく理解できない話を繰り返し聞かされていて、
飽きることなく私が20歳を超えてもまだまだその話は繰り返し聞かされました。


そこでじいちゃんに提案してみました。

「じいちゃん、家系図作ってあげようか?」

というのも、前に働いていた仕事柄『戸籍謄本』を読める能力(能力・笑)がついたので、じいちゃんの家系も戸籍をみればわかるし、戸籍をさかのぼれるだけさかのぼって、調べてあげようか?と言ってみたら、


「やってほしい!」


とわくわくした表情で言ったじいちゃん。
その頃は脳梗塞でほとんど動けなかったこともあり、ずっと家に引きこもっていたので、私ができることでそんな喜ぶのなら、と作ってあげることにしました。


じいちゃんの昔話と戸籍の整合性


まず、じいちゃんが言ってた

疎開してきた

というのは本当でした。


家系図を作るのに私はまず、じいちゃんの戸籍を取り寄せて、情報を集めて、そこからさかのぼることを始めました。

そもそも戸籍というのは住所と関係なく、本籍を置いた市区町村で取得することができるもので、

閲覧だけすることはできないので、戸籍そのものを取り寄せて、中身を読み、そこから家系図を作っていく、という作業になります。

昔は、
住んでいる所=本籍(戸籍の置いてあるところ)

が多く、

今の戸籍は親と未婚の子、だけで構成されていて、
子が結婚なり養子縁組なり、誰かが死亡するなり起こるとその戸籍から”除籍”し、戸籍にのってるメンバーが減っていく、という流れになっていますが、
昔の手書き時代の戸籍は、除籍すると名前に”×バツ”がされるので、離婚するのを””バツイチというのは、ここからきています。

昔は『戸主制度』という制度があり、いわゆるその家の”家長(父親や祖父、長男が多い”を筆頭に、住んでいる人がすべてひとつの戸籍に書いてある、という時代もありました。

その『戸主制度』の時は、多いとめちゃくちゃたくさんの方が一つの戸籍にに記載されていて、もうそれは家系図を作りたい人からしたら情報の宝庫。
中には出たり入ったりしている人もいると、『人に歴史あり』をまざまざと感じられます。


そんな”戸主”の時代までさかのぼれるだけさかのぼって、
すべての戸籍をとりよせてみると、

じいちゃんの言ってたとおり、
疎開してきた、ということ
その疎開元の地区はぴったり合っていました。


でも、


兄、なぞどこを探してもいない。

じいちゃんが”長男”と書いてある。


「じいちゃん、ほんまにお兄さんいた?」
と聞いてみたけど、
じいちゃんが生まれる前に亡くなったそうで、じいちゃんから聞く話しか今は無い、と。


なのでこれはもう、当時の、戦時中の状況からして
本当に生まれてすぐ亡くなったので、届けすら出していないのでは…と考えました。

そして、
「橋の下から拾われてきた」
と言っていた話、
子供ながらにそんなアホな、と思って聞いていましたが、これってもしかして、昔話でよく”拾ってきた子は強い”という言い伝えで、
本当の子供だけれども、強く育てたいから一度”捨てて”それを母親が拾いに行く、という行為があって、その話を聞かされていたのではないか?
と考えました。

実際にじいちゃんの”母”欄には、じいちゃんから聞いてたじいちゃんの母の名前が書いてあったし。

(まぁそれも時代が時代なので、そういうことにした、という考え方もあるかもしれないけど、もうわからない)
(当時の出生届も、線の引いた紙にお医者さんの手書きで必要な事だけが書いてある、と聞いたことがある。実際ばぁちゃんのじいちゃんの当時の死亡届を見たことがあるけど、確かに線の引いた紙に、お医者さんの手書きで必要なことが書いてあっただけだった。そんな時代なので、何が正しいのか今となったらわからない。ちなみにばぁちゃんのじいちゃんの死因は”痔”思わずホンマかい!とツッコミを入れてしまった。おそらく大腸の病気だろう:余談)


とにかくじいちゃんには、
”兄”がいたという記録は正式に、戸籍にはなかった。

さみしい話かもしれないけど、
時代が時代、当時、男の子は大きく育ってから役所へ届けていた、というような昔話もよく聞いたので、おそらくそんな感じなのではないだろうか。



じいちゃんの家系図はじいちゃんの古い記憶を思い出させた


戸籍の歴史をさかのぼれば、
明治時代初期に編成された『壬申戸籍』にさかのぼり、
当時は士農工商が記載されていた、と学んだ覚えがある。

士農工商、いわゆる”身分制度”が記載されていたので、差別につながるから、ということでこれまた明治時代の明治の終わりごろ、士農工商の書いてある戸籍は封印(閲覧できない)され、そのときにまた新たに戸籍が整理された。

さかのぼれる戸籍はその、士農工商が書いた戸籍を封印された後、の戸籍からだったのですが、

じいちゃんちって、家族多かったのねぇ。


「〇〇さんっていう女の人いた?」
「いたいた!」
「この人は?」
「聞いたことあるなぁ…」
「○○さんは結婚して、名字が○○に代わってて…」
「そうやそうや、そんな姉さんいたなぁ」


なんて昔を思い出し、とてもうれしそうにしていた。
そしてわかったことがある。

うちの父はいわゆる”婿養子さん”で、
じいちゃんの本当の子は母。
じいちゃんの子は2人とも娘だった。

そしてじいちゃんの家系をさかのぼると、とても女系で、そもそもの始まりも”婿養子”でできた家(戸主)というところから始まっていた。

それはもうたいへん女性の意見がとおる家庭だっただろうし、
今もちょっと、その雰囲気のある実家だったりします。笑

そしてそのそもそもの婿養子にこれられたご先祖様がどこから来た人だったか?その人の旧姓はなんだったか?
もわかったので、じいちゃんはすごく楽しそうでした。


過去は戸籍だけでなく、地域のお寺の”過去帳”にもある



戸籍がさかのぼれず、それ以上のことは?
となった場合とかは、地元のお寺に”過去帳”というものを保管されていると、それでわかることもあります。
亡くなった日や戒名、俗名などがわかるそうです。
見たことないけど。


これまたなぜか、私の夫の両親が家系図?か過去帳?みたいなのを仏壇から引っ張り出してきて、きれいに保存しなおす、という詳しくはよくわからないけど、そんなことをやっていたことがある。

夫のご先祖様に戦没者がいて、その方たちのなにか…だったような気もする。

その時は地元のお寺の”過去帳”を見て、お坊さんと相談して家系図を作っていたけど、

そこに登場した”過去の古い戸籍”

夫の母が

「古い戸籍は字が独特で読めない」

と悩んでいたので、代わりに読んであげることに。

思わぬところで役に立った過去の私の知識でしたが、
ここで問題発生!

戦没者が2人いる夫のご先祖様の、過去帳に書いてある命日と戸籍に書いてある命日が2人入れ替わっていました。

過去帳 Aさん 3月1日死亡
    Bさん 8月12日死亡

戸籍  Aさん 8月12日死亡
    Bさん 3月1日死亡

みたいな。


これは私個人の考えですが、
戦没者は、戦争で亡くなったことが家族に知らされるのにとても長い時間がかかり、亡くなった日と届け出日に大きな開きがあることが多いと聞いています。
なので、その記録が、戸籍か過去帳に記録するときに入れ替わってしまったか、
当時は戸籍も過去帳も手書きなので、書くときに書く人が間違えたか。

どちらかだろうと思いました。



「どうしたらいい?」

と夫の母に聞かれましたが、
私が何かできることもないし、かといってもう戦争で亡くなったことを証明できる何かもないし、修正したところで…なので、

過去帳を信じるか
戸籍を信じるかはもう信じたいほうでいいんじゃない??
ただ、公的に証明されているのは戸籍のほうになると思うよ。
と伝えておくにとどまりました。




家系図、といっても”ぺらん”とした紙に私の手書き、
そして取り寄せた戸籍も当時生きていたじいちゃんに預けましたが、
じいちゃんがなくなった今、それがどこにいったかはもうわからないそうです。
ばぁちゃんは…捨て魔だからな…きっと捨てただろうな。


作ってあげた当時は、連絡の取れる親戚にかたっぱしから連絡して、

「孫が家系図を作ってくれて…」

と自慢していたそう。
そしてそれを「見たい!」という親戚もいたそうです。
家系図って、そんなに調べたいもんなんだな。


私は私で、昔の戸籍は人生がいっぱい詰まっているので、読んでいるととてもおもしろいと感じるので、今度はばぁちゃんの家系図を作ってみたいな…とも思いますが、


ばぁちゃんの性格上、絶対に作りたい!って言わんだろうな。笑


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