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私の運命はこの曲に。大澤誉志幸「そして僕は途方に暮れる」

〜一五一会10年記〜

背景ジャンケンしたら結構いいとこまで行けそうかしら(笑、嘘です)背景ジャンケンなんかしませんよ。
ん?これは?はい、いつぞや大澤誉志幸サマのライブに伺ったときに一緒に撮った写真。右がユビコで…。
そうです。今回から2回か3回位この大澤誉志幸さん絡みの話が続きます。何しろこの曲では、いろいろありすぎて。話したいことがちっちゃい頃から、この52歳になるまでありすぎる。

初めて彼の曲に出会ったのは、小学校5年生か6年生位の頃だろうか。途方よりも先に実は「その気×××(mistake)」という曲が大好きで、次は何かな?と思ったときに「そして僕は途方に暮れる」が出てきたのであります。
出てきた当初は、何かこの緩やかな感じが、ただ感覚的に好きだっただけですが、年齢を重ねるに従って、この曲に対する気持ちが色々と変わってきた曲でもあります。10代ではただ大人っぽく感じ20代ではそんなこともあるよねと共感し、30代の時は少し聞くのが辛くなったこともあったけど、そして40代になってから、それは私の曲としても向き合わなくてはいけない曲になっていきます。2023年、一五一会世界大会のためにソロでオーディション参加したときの曲でもあります。今見ると、あまりにへたくそなので、オーディション落ちるわけだと思うのですが。当時はそれなりに必死だったんですよ。
それでは、46歳で、初めてこの楽譜をもらった日にさかのぼってみましょうか。

体調を崩しているマエさんの様子が伝わらない中、次の発表会の新曲選びが始まった。
当時、曲選びではマエさんや、むーさん辺りが主導権を握っていたと思う。そのうちの1人、マエさんがいない。
何を思ったか、それをチャンスだと思い込み、私は大澤誉志幸さんの「そして僕は途方に暮れる」がやりたいなどと抜かした訳で。
しかし、むーさんに「それはソロでやってみようか」と言われ、一旦はソロなんてまだまだと手を振り、普通はそこで先生は楽譜を作るのはやめるはずだった。
ところが何を思ったか、どんなにB'zをやりたいやりたいと言っても、首を縦に振らない先生が、翌週のレッスン前に大澤さんのこの曲の楽譜を書いてきてくれたのであった。
途方である。大澤誉志幸さんの♡
先生がコピーどうすると聞いたが、ムーさんたちが「いらないよ、よかったらユビコもらっとく⁈」と言われ、嬉しくて、そのままもらってしまったのが運命が変わる最初だった。

途方をもらったからだろうか。
今まではできなくても、まぁいいや、練習できる時間がなくても何とかなるかで済んでいたこと。
この日を境に、ほんの少しだけ、自分の中でやる気が生まれたような気がする。一五一会をもらったから受動的に習うのではなく、好きな曲がやりたい、その能動的数分間(三分間だと椎名林檎さんになってしまうが、途方は5分と言うことで数分間と言う単語を使わせてもらうことにした)のために、一五一会を習うと言うようになんとなく方向が変わってきたのだ。ちょうどその頃、へバーデン結節(リウマチでは無いのですが、指の関節が腫れる病気です。どうしても指の太さが太くなるので、フレットのサイズが小さい家内は物理的に弾くことが難しくなっていた。)を発症して、流石に奏生を弾くのがつらいのと、2年頑張ったから続くかも、と何となく確信を得て、音来(にらい)を手に入れたため、ますます練習に身が入ると言うもの。
普段、人にものを聞くのがあまり得意じゃない私(ADHDからの躁鬱病で障害持ちです)は、どこの会社でもお荷物になりがちだったが、この出来事以来、わかんない事はわかんないと聞くことが少しずつ、できるようになってきたような気がする。40代になってからそれでは遅すぎるような気もするのだが、それでも一生できないよりはマシだとは思う。
それでは、一五一会で「そして僕は途方に暮れる」を人前でソロで弾く51歳の冬までの話を綴ることにいたします。
暫しお付き合い下さいませ。

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一本柚美子
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