自分で、自分を直すこと
2月に書いた記事が、すっかり古くなってしまった。
だけどあの時の気持ちはまだ覚えている。
夏、秋のカナダは知っているけど、冬は見たことがない。バンクーバーは、今どんな表情をしているのだろう、と思ったら直航便チケットを買っていた。平日出発+シーズンオフなのに20万円の往復券。
重たい荷物は苦手だけど、寒いよりもマシだと思って、とにかく暖かい洋服をスーツケースに詰め込んだ。一度行きたい、と思ったら割高の航空チケットも、残り3日の有給もどうでもよかった。
羽田空港から、午後10時に出発した機内で書いたやりたいことリストにはたくさんの項目があったけど、一番最初に書いたのは一行。
「ゆっくりすること」
ゆっくりする、というのは時間を気にしないこと。
贅沢はしないけど、お金を使うことに罪悪感を感じないこと。
予定も立てずに、何もしない時間を過ごすということ。
だから5日間ある旅では、「ゆっくりすること」だけに徹した。
変な言い方だけど。
昼過ぎまで寝て、気が向いた日には少し街をプラプラした。
旧正月を祝う、マーケットの赤い装飾。グランビルアイランドでは、飴細工職人の女性がパフォーマンスを行っていて、大人も子供も興味津々に覗いていた。
Tim Hortons、Blenz Coffee、Starbucksとほぼ毎日違うコーヒー屋に立ち寄って、一番大きいサイズのアメリカンコーヒーを頼んだ。内装がティファニーブルーに近い色をしたベトナム料理屋で、美味しいフォーを食べた。
そして日が落ちる、午後5時半前には部屋に戻って、シードルを舐めながらひたすら料理チャンネルを見た。
籠の中に入っている食材を使って料理の腕を競い合うシェフや、ヒゲの生えたいかついフードコメンテーターがお勧めするアメリカのダイナーを、ずっと見た。
東京のことも、仕事のことも、一度も考えなかった。
澄んだの空気、線の細い飴細工、白い山頂。頬に当たる食べ物独特の暖かい湯気と、油で艶々のダイナーが、私の現実だった。
バンクーバーでの時間はまるで止めていた息を、水面に戻って思いっきり吸う感じに近かった。東京を離れて初めて、知らないうちに息を詰めていたことに気づいた。
バンクーバーへ行く前に書いた下書きに、こんな出だしのモノを見つけた。
"自分の頭で分かっていても、私には時々、他の人からその言葉を聞きたい時がある。"
おぉ、と思った。面白いくらいに、その言葉が何だったのか全く思い出せなくて。そして今ではその下書きを、少しもったいないと思う。あの時の私は、どんな言葉を聞きたかったのだろう。
きっと肩に力を入れて、考えだけが頭の中をぐるぐる回って文章にできなかった、疲れ切ったその時の自分の教えてあげたい。
大丈夫。ここでの現実は何ひとつ変わっていないけど、自分自身にかける言葉が、ちゃんと自分の心に届く世界を取り戻してるよ、と。