「Rewind feat. ZORN」からMACCHOに思いを馳せる
客演のMACCHO
「Rewind」の話に入る前にMACCHOが近年客演として参加した曲から探ってみようと思う。
2019年に発表されたこの曲のMACCHOのバースでは、
自問自答しながら生き、自分でも説明がつかない感情を抱えている様に見えた。
たまにちょっとグサッとくる事も気にしていなかったが、見過ごせないほど傷口に触れた時に自分はまだ生きたいと思っている事を自覚したのでは無いだろうか。
「蔵う」は本来なら「仕舞う」となりそうだが、自分の感情を奥深くに置いてあったことを表現するためにこの表記を選んだように思えた。
この曲は2021年に発表されたが、この曲でもMACCHOが自分の中の矛盾と向き合っている様に見えた。
14歳でHIPHOP界隈では最年少でデビューを果たしたものの、その割に確かに作品は少ない。いわば天才肌だった当時から考えられないほど自分に対してネガティブになっている。
ただ、歩みは止めずにずっと歩いている、休んでいる訳では無い。
納得のいくものを作りたいから寡作なんだろう。もう小説家みたいだ。
土砂降りの中で亀がここまで歩いてきたからこそ見えた美しい朝があった
とMACCHOは言うが、一体それは何のだろうか?
MACCHOが思う「人間」とは
「Rewind」は、そもそも人間は気分屋であることを前提に置いた始まり方だった。これまでの曲を踏まえると、必死にもがいていた様に見えたからこそ、気分屋というのはちょっと拍子抜け感がある。
でも、やっぱり単純簡単かと思いきや自分でも説明がつかないモヤモヤを抱える事もある。
そんな時に大自然の中に身を置いた時に愛しいという感情が芽生えた。
何に対してそう思ったのか?
季節と人間の感情を重ね、
自分の感情が移りゆくのは自然な事であり、人間はそういう生き物であると。憂鬱な気持ちも持つけれど、陽気な気持ちも持っている、
これが、MACCHOが歩みを止めずに見えた人間であり、
その不安定さが美しく愛おしいと思ったのかもしれない。
この愛を多くに届けたくて、数少ない信頼できる仲間であるZORNとこの曲を出したのかもしれない。
矛盾を愛おしく
「なんで自分はこんなにダメなんだろう」と、とことん落ちる時もあるけれども、いつしかそんな事も忘れてケロッとしていたりする。
これは人間が元々持ち合わせている感情なんだ、だから憂鬱になり過ぎないで良い。それが矛盾していたって良い。神ですら説明出来ない事もあるのだ。そんな自分を愛してくれ。
そんなことを言っているのかもしれない。
約30年前にHIPHOP界に突如として現れた若き天才が、
人は気分屋だけど憂鬱になる生き物なのだから無理をするなというメッセージを出しているのは、意外性がありながらも波瀾万丈の彼だからこそ発信ができることだと思う。どの口が何言うかが肝心。
最後までありがとうございました。
OZROSAURUS / Rewind feat. ZORN
https://www.youtube.com/watch?v=wGjMyd6Y2M0&list=RDwGjMyd6Y2M0&start_radio=1