「ひ・よみ」…第6回5.「ひふみのふで」の考察 5-1「ひふみ祝詞」の意味
5.「ひふみのふで」の考察
いよいよ、「ひふみのふで」本文の考察に入っていきたいと思います。
5-1「ひふみ祝詞」の意味
まず、「ひふみのふで」の根幹をなすと考えられる、
「ひふみ祝詞」の意味を探ってみます。
「ひふみ祝詞」は「ひふみよいむなやこともちろらねしきるゆいつわぬそをたはくめかうおえにさりへてのますあせゑほれけ」を文言とし、
「ひふみのふで」では、「ひふみ よいむなや こともちろらね しきる ゆいつわぬ そをたはくめか うおえ にさりへて のますあせゑほれけ」と、三五七に切るように指示されています。
意味を検索してみても、
宗教者がよく行う、わかったようなわからないような形で説明されています。
漢字の音読みをあてて説明しているものがありますが、
「上代やまとことば」の説明が「中国語」いうのは、ありえない話です。
これで良いのでしょうか、もっと簡単に考えてみたいと思います。
まず文言の切れ目を変更します。
これは「イザナギ・イザナミ」の場合と同様に、
日本語は切れ目が異なると、まったく意味が見えなくなってしまうからです。
ここで私は、
ひふみよ いむなや こともちろらね
しきるゆ いつわぬ そをたはくめか
うおえに さりへて のますあせゑほれけ
と切ることにします。
三五七にこだわっていては、いつまでたっても前に進めません。
私は切れ目なし、で覚えていたので、いろいろと考えを巡らすことができました。
これで、大体の意味を推定してみます。
ひふみよ (一二三世)
いむなや (忌むなや)
こともちろらね (事も散ろらね)
しきるゆ (しきる代)
いつわぬ (偽わぬ)
そをたはくめか (其を誰は汲めか)
うおえに (自負え荷)
さりへて (去りへて)
のますあせゑほれけ (飲ます汗得惚れけ)
これを、わかりやすい文章にしてみると、
一二三の世を、嫌うでないぞ、なに事も散ってしまうではないか、
(神の)取り仕切る世は、嘘偽りのない世だ、それを誰が理解しているの か、(お前たちはわかっていたのではないのか)
自分の背負ってきた荷を、取り去ってこそ、飲める程かいた汗をいとおし く感じるだろう。(だからもう少し、こらえて下されよ)
「…誰でも重荷負はせてあるのぢゃ。重荷あるからこそ、風にも倒れんのざ。この道理、涙で笑って汗で喜べよ。それとも重荷外してほしいのか。重い重荷もあるぞ。軽い重荷もあるぞ。…」(黒鉄の巻 第三帖)
と、一緒に考えると感慨深いものがあります。
私は、この意味にたどり着いたとき、
ちょうど外を歩いたのですが、
30分ほど涙が止まらなくなってしまいました。
郊外で、自動車や自転車が通っても、
歩いている人もいないところで、つくづく良かった。
いい年のじじいが、昼間から泣きながら歩いているなんて、
とんでもない光景ですから。
「ひふみのふで」と「ひふみ祝詞」の関係は、
仏教での「大蔵経・一切経」と「般若心経・般若波羅蜜多心経」
のようなものだと考えられます。
この短い文章に、全体の精神が凝縮されているのです。
それなのに、一般の人々に、意味がまったく理解できないものであっては困ると思うのです。
ここまででわかったことは、
「ひふみ祝詞」の意味は、「道半ばの人々への応援」と、
「一二三の世」は「嘘偽りのない世」であるということです。
これは、
「何事も方便と申して自分勝手なことばかり申してゐるが、方便と申すもの神の国には無いのざぞ。まことがことぞ、まの事ぞ、ことだまぞ。これまでは方便と申して逃げられたが、も早 逃げること出来ないぞ、方便の人々早う心洗ひて呉れよ、方便の世は済みたのざぞ、…」(地つ巻 第十帖)
というのと符合しています。
数多くのご批判もあるかと思われますが、
私は、この意味で良いと思っています。
思い込みであっても、他人様に迷惑をかけず、前向きに生きていかれるなら、それが「正解」、だと思います。
「嘘偽りのない世」のために、自分は何ができるのか。
嘘偽りのない情報は、やはり難しくもあり、
正しく理解するために、「学や智」は必要です。
理解しえない人々のために、「方便」というものが発達し、
悪意が含まれれば、「衆愚」という状況になります。
「学や智」を否定する言葉もありますが、
それでは肝心の「ひふみのふで」を読むことも理解することも不可能です。
以下、引用を否定的に評価している場合には「標準」の書式で表記します。
「…ミタマ磨きと申すのは、神からさづかってゐるミタマの命令に従ふて、肉体心すてて了ふて、神の申す通りそむかん様にすることぞ。学や智を力と頼むうちはミタマは磨けんのざ。…」(磐戸の巻 第十六帖)
「身魂磨き」という語が、頻繁に現れるのですが、
実際に内容を説明している部分は、ここだけのようです。
「おおもと」の神諭にも、同様の説明があったと思います。
つまり、「学や智」を否定する、宗教側の発言です。
「洗脳されてしまえ。」と言っているのと変わりません。
このことから、「身魂磨き」を強調している部分には、注意が必要です。
嘘偽りを少しでも遠ざけて、正しい学や智を身につけていきたいものです。
余談ですが、
「123456789」という数列の意味は、「1億2345万6789」と漢字を入れてみると、面白いことに気が付きます。
現在の日本人の人口に近似しているのです。
日本人の人口は1990(平成2)年に、
総人口1億2361万1167人、
前年比増減率+2.1%となっているので、
この数字が1月1日時点とすれば、
前(平成元)年後半に一度、
「1億2345万6789人」を超えていると思われます。
その後、2008(平成20)年の、1億2808万人をピークに減少に転じ、
2020(令和2)年1月1日時点で、
1億2427万1318人なので、
2020年中には、
「1億2345万6789人」を下回ったと考えられます。
ほぼ同時に、外国人を含む総人口も、減少に転じたようです。
この数字は、何を意味するのでしょうか?
失しなわれた30年と、ぴったりです。
「時代の到来」、を考えてしまいます。