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「ひ・よみ」こぼれ話その7…10年ぶりの「麻賀多神社」3(完結)

今回の訪問の目的は、
1.久しぶりの稚産霊命様へのご挨拶
2.最初の天日津久神社址の上下確認
3.「お告げの木」の存否確認
の3つです。

今回の話の内容は、本人はいたって真面目なのですが、
オカルト的と思われる方もあると思うので、
話半分でお読みいただければ幸いです。

ふーん、こんな人もいるんだ、という感じで…。


・今回の目的の成就

「稚産霊命の神様へのご挨拶」は最初に済ませましたので、本殿の右手に向かいます。

現在は神楽殿の前の空き地になっていますが、ここに「最初」の天日津久神社がありました。

当時の場所を確認しようとした所、土を替えてきれいに整地されてしまったようです。ただ、それらしき場所に日が射していました。

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祠と一緒に「依り代の木」があったので、上を見れば林冠にギャップを生じています。

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薄曇りだったためか、思いの外、境内は暗くて、周囲の様子は私の目ではよくわかりませんでした。

「依り代の木」まで即座に片付けられてしまったのは私には理解できません。残念です。


本殿の左に戻って今度は境内を一周します。

末社の神々様や大杉さんに軽くご挨拶。
大杉さんの梢の見える場所がないものかと、以前から探しているのですが、まだ見つかりません。大杉の形状は上半分がなくなってしまったような形をしているのです。
ドローンの動画が揚がっていましたが、肝心の大杉さんの梢は映っていませんでした。

新しい天日津久神社さんには、あまり興味はありません。
敬して遠ざける、といったところでしょうか。
例によってカルトさん達が何かやっていました。
初代、二代目の
天日津久神社には鳥居が無かったのに、
三代目にあるということは、逆の意味の結界なのだろうと理解できました。
内にこもった念が外に拡がらないように、ということです。

天日津久神がいない今、どなたが留守番をされているのかと思ったところ、
速佐須良姫様でした。最適の人選というか神選び、さすがです。
祓戸は真正面の方向にあります。何より近い、遠くから来なくとも良い。

罪穢れを消滅させる神様。


最後の「お告げの木」の存否確認です。

YouTubeにもいろいろと麻賀多神社の動画が掲がっていますが、
「お告げの木」のはっきりと映っているものが皆無で、
どうしてしまっているのか、とても心配でした。

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周辺は改装されていますが、幸い残っていました。

最初は、「これでいいんだっけ。」と思いましたが、
昔に比べれば5~10cmは太くなっているでしょうから、
こんなものかな、というところです。
もう少し間隔も近かったように思いましたが、気のせいでしょう。


この木たちには古い思い出があります。

私が初めてここにやって来たとき、初老の男性が、
「すごいだろ、ここの神様は。左の木には大きな猿の姿が、
右の木には着物を着た女の人の姿が出ているんだ。」
と教えてくれました。

そのとおりで、猿はキングコングをニホンザルにしたような形、
女性は上村松園の「序の舞」そのまま、という姿でした。
両方とも本殿の方を向いていました。

なかなか、何を意味しているのかわかりませんでしたが、
のちに「サル」→「申」(神の古字)(※)、
つまり天日津久神は女神ということだとわかりました。

※ 白川漢字学でいうと「口(さい)」は祝詞を入れる器、
これに中身が入っている状態が「曰(えつ)」、
これを神が上下に貫いたものが「申(しん)」となります。
のちに、この文字が「申す」という意味に変化したため、
「口(さい)」を載せる台を表わす「示(じ)」を加えて、
「示+申」→「神(神)」、という字ができあがります。


私が初めて麻賀多神社にやって来た時は、平成6年7月、
最初の土日のどちらかだったので、2日か3日。多分2日。

当時、情報としては「成田の麻賀多神社」しか知らなかったので、
とりあえず成田へ行けばどうにかなる、といった感じでやって来ました。

駅前商店街の書店で文庫版の分県地図を見ると、左端に麻賀多神社の文字。
これだ、と購入してそのままトコトコと西へ歩いて行きました。

まだ「公津の杜駅」は影も形もなく、道路沿いではヤギが昼寝をしていました。

よくあれでたどり着けたものです。

「…天明九十六才七ヵ月、ひらく。…」(黄金の巻 第十五帖)

という一節が「ひふみのふで」にあることを知ったのが2年ほど前。
それまでは、「ひふみのふで」全文に目を通したことはありませんでした。

最初は気にしていませんでしたが、あれっ、と思い計算してみると、
1897/12/4+96/7=1993/19/4=1994/7/4(平成6年7月4日)
直前でした。


教えてくれた人も、参拝している時には気付かなかったのですが、
私が参拝を終えると、本殿の右手にいて、
私が木をじっと見て振り返ると、もうそこにはいませんでした。
駐車場に自動車は無いし、鳥居の前のお寿司屋さんの大将なのかな?と思っていました。


その2、3年後、同様のことが起こります。

この時は、初老の男性が「放火されちゃったんだよ。」と悲しげに声をかけてきて、私が振り向くと最初の天日津久神社はなくなっていました。
祠と一緒だった「依り代の木」だけが、下の方が少し焦げた状態で立っていました。
この時も私が振り返ると、もうその男性はいませんでした。

いろいろと神様に聞いてみたところ、双方とも大杉さんの化身だったようです。


・帰り道(宗吾霊堂方面へ行く場合の注意)

目的としていたことも一通り済んで、帰途につきます。
ゆっくりもしていられないので、一番近い宗吾参道駅を歩いて目指します。


YouTubeで見たのですが、麻賀多神社前の道路を、そのまま宗吾霊堂西まで行かれる方がいるようなので、注意させていただきます。

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麻賀多神社前の道路は旧道なので、歩道が整備されていません。

交通量の増加している現在では、この道を歩くことは危険なので避けてください。
道幅も狭く、道路脇は藪の茂った急斜面で、避ける場所がありません。
歩行者本人が平気と言っても、大型車も通るので、運転者に対して大変迷惑になります。


麻賀多神社前の道を行く場合には、神社南の丁字路の信号を東に曲がって、
歩道の整備されている道を歩いて、次の角を南に曲がり小学校前の道を通ってください。

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麻賀多神社裏から行く場合には、そのまま小学校前を通って、宗吾霊堂東に出てください。

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私は高い場所を通るこの道から見える景色が大好きなのですが、藪がずいぶん邪魔をするようになってしまいました。

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麻賀多神社と宗吾霊堂西間をまっすぐ歩くことに比べて、5~10分ほど遠回りになりますが、安全面から見て致し方ありません。

以前に比べて、住宅地が開発され周辺人口が増加していることもあり、どの道路も交通量は格段に多くなっています。
藪も密度を増し、薄暗くなっている場所も少なくありません。

不用意に歩道の無い道路を歩きませんように。

ネット上の国土地理院の地形図を見れば(商業用の地図では記載がありません)、歩道の有無(マウンドアップ型のみ記載と思われます)も確認できます。

以上、注意でした。


やっと宗吾参道駅に着きました、ここから各駅停車に乗って寝ながら帰ります。

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長い文章にお付き合い頂き有難う御座いました。

何かのお役に立てれば幸いです。

(完)


#ひふみのふで #麻賀多神社 #天日津久神社 #宗吾霊堂 #宗吾参道駅


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