
新たな音の世界
10年ほど前のこと。
補聴器のきこえに慣れてきたころ、きこえてきた音たち。
特に、わたしの印象に残る3つは…
ひとつめは、炭酸水の「シュワーッ」の音。
はじめてきいたとき、ものすごく、胸が弾んだ!それからは、炭酸水を飲む前に、グラスを耳元に寄せ、微かな音を楽しむようになった。泡が弾ける「ぷつぷつ」もゆっくりと味わう。頬に当たる「ぷつぷつ」が、冷たくて、気持ちがいい。
「シュワーッ」と「ぷつぷつ」を味わうために、炭酸水をよく飲むようになった。子どものころ、炭酸のジュースは、「骨が溶けるから」って、飲ませてもらえなかった。炭酸水や炭酸のジュースを飲めるって、それだけで、大人な気がする。
ふたつめは、衣擦れの音。歩くときなどに、着ている服が擦れて、微かに出る、その音。
衣擦れという言葉は知っていたけれど、きこえたことはなかった。だから、とても驚いた。自分の服から、こんな音がしていたなんて!その音を確認するため、行進するみたいに、腕を交互に上げ、うちの中を歩き回る。
十二単を着ていたころなら、衣擦れの音は、かなりしたのではないかな。平安時代にタイムスリップして、耳をすませたら、わたしにもきこえたかも。そんな妄想までしてしまう。現代のわたし、お隣の人の衣擦れまでは、さすがにきこえない。
最後は、虫の音。これは、少しはきこえていたけれど…
秋の夕方、薄暗くなってから、散歩に行こうと、うちの玄関を出て、固まった。虫の音に囲まれている。足元にいるみたい。しかも、いっぱい、いるみたい。虫は怖くないけれど、踏んでしまうのが、怖い。そこから、一歩も動けない。
そんなへっぴり腰のわたしをみて、娘と息子が大笑い。「いないよ、大丈夫」「行こう!」そう言って、娘が手を引いてくれる。
恐る恐る、歩き出した。懐中電灯で、足元を確認しながら、歩く。虫、踏んでない?ほんとに、大丈夫?
立ち止まると、畑から、草むらから、もう、あちこちから、虫の音がきこえる!こんなにも、きこえる!うちのまわり、虫だらけだったんだなぁ。40年近く生きてきたけど、全く、知らなかった。
少し歩いただけで、やたら疲れて、うちに帰った。窓を開けたら、部屋にいても、虫の音はきこえる。うるさいほどに、きこえる。
補聴器をつけたら…
新たな音の世界。
扉が、ぱたんって、開いたみたいだった。