自分を好きになること
私は、自分自身が嫌いだ。
いきなり何を言うかと、読んだあなたは面食らうだろう。
自分に対する嫌悪感ばかりが積みあがっていくのは、私の日常の中ではごく当たり前のことだった。
外見はもちろん、服のセンスもなく、仕事も近頃ミスばかりで、リカバリーしようと先んじて準備を整えたら裏目に出る、家族からの注意にいらいらし、それをぶつけてしまう。
あとでそれを後悔して自己嫌悪の海の底に深く沈み、就寝前にこっそり涙を流し、好きな本を読んだり、twitterのTLを眺めて多少回復。
今日こそ大きな波を起こさずにしようと思うものの、やはりうまくいかない。
私はこんなものなのだと、どこか諦観に似た感覚に身をゆだねて、毎日を過ごしていた。
でも、こうして書き出してみると、分かっていたこととはいえ、やっぱり傷つくなぁと、ぼんやり思う。
手の甲に爪の痕が刻まれるほど食い込ませたりと、心の痛みを自分の身体に転化して。
そうすると、少しほっとするのだ。
その気持ちに変化をもたらしてくれたのは、twitterで目にした、ある声優さんの言葉。
ここ数年でファンになり、昨年ついに直に朗読劇を観劇することが出来、人生初のファンレターを送った。
お名前や詳細は伏せさせていただくが、後輩の人たちに対する、厳しくも真摯な言葉の最後に添えられた、「自分を好きになりますように」という言葉に、はっとした。
嫌い、という感情は、僅かな切っ掛けや出来事さえあれば、容易く膨張していくものだ。
時間軸は”今”に限らず、過去を遡ればそれこそ「なぜ自分はあの時あんなことをしたんだ?」「だからお前はダメなんだ」と、際限なく膨らみ続ける、実に始末に負えない、厄介なものだ。
自分の内面は、自分だけしか覗くことは出来ない。
他の誰でもない、自分で自分を好きにならずしてどうする?
そんな思考が頭をぐるぐる廻り出して。
胸にずしりと重く響いたのに、ふっと心が軽くなった。
そもそも、これが「始末に負えない」、「厄介」なものという意識すら、今まで私の中にはなかったものだ。
「自分を好きになる」というのはどういうことなのか、まだはっきりとした正解は掴めていない。
今までの自分を在り方をどう変えればいいのか、輪郭は極めてあやふやで。
不可視の海にそっと流された、「誰か」に向けられた言葉を、私は受け取った。
手さぐりででも、少しずつでも、変わっていけたら、変えていけたら。
手始めに、自分にそっと、エールを送ってみる。
頑張れ、私。
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