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ちょっと覗いてみただけなのに

星野源沼に片足が沈みかけている。

どうしてこうなった(自問自答)。

通ってきた作品を挙げると、ドラマは「恋はじ」と「MIU404」。バラエティ系とラジオはほぼ未視聴。歌は「恋」と「うちで踊ろう」と「ドラえもん」。ネットだと「わしゃがなtv」。
世間一般の平均値ではないかなという感じである。

今まで見てきた俳優さんの中でも独特の雰囲気のあるひとだな、という感覚はあった。その確信を得たのは「MIU404」だ。

瞳や口元をはじめとした表情筋の動きで、今どんなことを脳内で思いめぐらせているのか、視聴者にも考える余白を与えてくれるというか、惹きつけられる雰囲気をまとっていた。一見誰よりも理性的で物事を俯瞰的に眺めているようなのに、その実誰よりも情が深く、ひとの心に寄り添える。色々抱えこみすぎて辛いのではないかと、リアルタイムで追っていたときは思わず同情してしまうほどだった。

演技、という雰囲気が伝わってこないのも印象的だった。本当に志摩一未という人物を生きているような。ぴったりの表現が見つけられないのがもどかしい。

ギャップもすごい人だなと思う。普段の佇まいは静かで、人柄の良さがにじみ出ているやわらかな口調もとてもすてき。相手の話を引き出しつつ、自分の引き出しも大きく開いていろんなものを見せてくれるテクニックもお持ちである。

あ、これは沼になるかも、と思ったのは、「不思議」という曲を字幕付きで聴いた時だった。

「不思議」はメロディーが好きで、夜寝る前などに聞いたりしていた。またMVと合わせてみると良さが倍増で、そこそこリピートしている。あと出てくる犬もかわいい。ちらちら星野さんを見ながら一緒に歩くところとか店の出入り口で待ってるところとか抱きかかえられて階段を上がっていくところとか。癒し。

普通に歌だけ聞いているときはそうでもなかった。曲の入りやサビ素敵だなな、恋愛ソングなのに切ないのがいいなとか、まぁそんな感じだった。

先日、自分では全く操作した覚えはないのに、字幕がオンになっていた。たまにはいいかと構わず再生して、歌詞が画面に流れ始めたとき。

え?と、思わず二度見した。

…こんな歌詞だったっけ?

君と出会った この水の中で 手を繋いだら 息をしていた
希望あふれた この檻の中で 理由もない 恋がそこにあるまま
きらきらはしゃぐ この地獄の中で

水の中、檻、地獄

いや普通世界をこんなふうに例えるか?

それこそ恋愛ソングならまず開口一番、世界のすばらしさを強調しない?

息苦しさ以前に生にすら疑問を投げかけるようなこんな比喩を使う?

そこまで考えて、はっとした。

ぜんぶ、現状の私が感じていることだった。

生きていていいと思えることなんて数えるほどしかなかった。何をやっても駄目だなぁ、なんでやることなすこと裏目に出るんだろう。職場と家をただ往復する毎日に何の意味があるんだろう?仕事で心をすり減らして生きる価値があるんだろうか?今日の私何してたっけ?

ふと、今の私は呼吸をしているんだろうかと不安になる。本を読んで、好きな声優さんの作品を見たり聞いて、あぁ生きているんだなぁとようやく実感する日々。

「不思議」の歌詞を目で追いながら、個人的願望の押し付けかもしれないけど、代弁してくれている、と思った。

今まで息苦しかった水の中、誰かと出会ったら息ができるようになっていた。檻のような世界で、あなたという恋を知った。この地獄で、あなたというぬくもりを知った。(個人的な解釈です。)

生きているこの世界の辛さを認めてくれて、ありがとう、と思った。

ちょっと泣きそうになった(今これを書いていてまた泣きそうになっている)。

歌で救われるって、こういうことなんだと。

いやとんでもない人だ。

どんな檻か、地獄か、具体性もないのに、いろんな人が抱えている孤独や生きづらさに、その人それぞれの色を付けてくれた。私にとってはこういう“檻”なんだ、こういう“地獄”なんだと。分かるとまた辛いのに、なぜか見つけてくれたように思えて泣きたくなる。

あんな切ない声なのに、受け手である私たちが取り込んで、さっきのドラマの話と重なるけれど、さらに解釈する余白も与えてくれている。

同時に星野さん自身にっても辛いのではないかと思うのだ。これを文字としてかきおこすだけでなく、メロディーをつけて、さらに声もつけて。

ひとつの作品にしてしまえるのが、もうすごいの一言。

沼にはまりたての俄かが感情のまま書きなぐった感いっぱいで申し訳ない。誰がこんなの読むんじゃいと思うけど、心情整理及び備忘録として残しておく。

もうちょっと、頑張ってみようかなと思った。

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