懐かしい
学生時代の友人と一緒に大阪で晩ごはんを食べた。ちょうど1年ぶりくらいだった。懐かしい友人に再会すると、なぜだかとても安心するし、元気が出る。今日も生きててよかったなぁとふわりと思う。
これまで、父の仕事の都合もあって、静岡、神奈川、大阪、京都と移り住んできた。引っ越しするときは、馴染みのある土地や友達と離れるのは寂しいものではあったけれど、だからこそ「また必ず会いたい、また訪れたい」という気持ちを抱えながら別れたものだ。
それぞれの土地に今でも付き合いのある大好きな友達が少しずついる。小学校のときの友達に会えば、小学生のときを思い出すし、中学校ときの友達に会えば、中学生のときを思い出す。彼らと過ごした時間は、今もそこで止まっている。だから、再会するとその頃に戻ったような感覚を抱く。
それともう1つ思う。時間が止まっているからこそ、そして長く会わない時間があったからこそ、今のような再会があるのだろうと。
もし引っ越しをせずに、ずっと同じ土地で過ごしていたらどうだっただろうか。今も付き合いのあるそれぞれの土地の友達と、また違った距離にいたかもしれない。一緒にいる時間が長ければ長いほどにたくさんの物語が生まれる。その物語は、どんな過程を辿って、どんな結末を迎えるかは分からないものだし、時に途中で途切れてしまうことさえある。だから、会わない時間が紡ぐ心地よい関係だったり、気持ちのようなものも、たしかにあるように思えてならない。
「あの人は今どうしているだろうか」とふと思える、そんな人を大切にしたいし、友達だと思っている。「友達」ってなんだろうかと時々考えるけれど、出会ったその日から「僕らは友達だよね」なんてことはないわけで、一緒に過ごした時間や、お互いを想った時間に対して、ふと気づけば「友達」というラベルが貼ってある、そんなものだと思う。
変わろうと思おうと思わなからろうと、何事も緩やかに移ろう毎日だ。昨日の自分と今日の自分が違うように。そんな色々が移ろう日常の景色の中、懐かしい友人との再会は、あの時と変わらないあなたや私の何かを見るようで、何よりもほっとする心の良薬である。