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今週のふりかえり_200719

今読んでいる「聴く力の強化書」という本で、印象に残っているところを少し書き留める。

読もうと思ったのは、昔から人の話を聴くことに苦手意識があったからだった。どんな苦手さかというと、大きく2種類ある。

1つは、人が話しているのに、あるワードが頭の中で引っかかって全然違うところに気持ちが向いてしまって、途中から内容が頭に入ってきていなかったり、相手の表情を察せられていないタイプ。

もう1つは、最後まで聴いてはいるけれど、全体の内容が10とすると、そのうちの3くらいに焦点を当てて解釈をして返事をしているタイプ。

共通しているのは、近視眼的に物事を捉えがちで、そこのみを見てしまっているところだと思う。全体像や、色んな要素を俯瞰した上で物事を判断することが不得意なのだと思う。

家族や、親しい友人、会社の仲間など、言葉は違えど多くの人に同じことを言ってもらってきたことだから、とても客観的な事実だと思って受け止めている。(最近は特に)

まだ序盤ではあるけれど、この本を読んでいて特に印象に残っているのは、
「同感」と「共感」は明確に違うのだという話だった。

すごく簡単にいうと、「同感」は、相手の話す"事柄"に「それ私も」と賛成することで、「共感」は、相手が感じている"気持ち"を受け止めることだという。少しだけ具体的にすると「私も経験したことあるから、あなたのその気持ち分かるよ」というのは同感で、「あなたの気持ちは〇〇なんだね」というが共感になる。

少しだけ具体的にすると「私も経験したことあるから、あなたのその気持ち分かるよ」は同感。「あなたの気持ちは〇〇なんだね」というが共感。

同感の主語は"私"であって、共感の主語は"あなた"である点が明確な違いになる。

僕は、これを明確に切り分けることができていないことが多いのかもしれないと思った。同感しただけで共感したつもりになっていたというか。似ているようで全然違う、とても大切なことだと思った。

なぜ、ここでいう「共感」を理解できていなかったのかと考えると、「そもそも人は気持ちを理解してほしい生き物だから共感が大事」、「同感できなくても共感はできる」という著者の言葉に対して、今一感覚的にピンとこない自分がいるからなのかもしれない。

「本当にそうなのだろうか」、「誰しもがそうしてほしいものなのだろうか」と思ってしまうし、そこは自分が捻くれている部分なのかもしれない。

僕は、共感はできなくても相手を尊重する気持ちを持ちたいというか、ある種の相手への無関心さによって、全く異なる価値観の人との関係を作ってきたことも多かった気がする。人と話すことや、話しかけられたりすることも嬉しいけれど、ほっておいてもらいながら一緒にはいるみたいなのが楽なことも多いというか。余計な自意識が邪魔してこうなってしまうのかなと思うときもある。この傾向が僕はちょっと強い気がするし、相手を嫌な気にさせたり、人間関係がうまく行かないときの原因になっているときもあると思う。考え直してみよう。

また本を読み終わったときに、考えたことをまとめてみる。

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