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庭声

まえがき

いまから三年ほど前に写真意匠担当の西田が庭師として歩きはじめた道を辿るようにして、思いがけず自分も庭師となってからの三ヶ月ほどを、土地土地の庭にはたらきつつ庭という言葉を転がしていると、ときに初心に帰るというのか、一つの春が過ぎてから一巡りあって、そうしてまた春がやってきたときのなつかしさとあたらしさの綯いまぜになったような気持が時々する。どういうことかと遡ってみれば、それは微花の創刊時の気持と重なっていることに気付く。

「雑草という名の草はない、すべての草には名前がある。」

創刊のはじめにこの言葉を掲げたのは、まずもって「雑草」という響きに違和感を抱えていたからで、それに代わる名前をと思い、微かな花と名づけ直したのが『微花』の最初だった。また響きへの違和感とは音の如何にとどまらず、ようは世間で話されているような雑草が、自らのもつ最も陳腐な意味に余りに密着していること、つまり正確であると同時に不毛であることの息詰まりをどうにかしたい衝動で、雑草という言葉を、草とその名を識らない私との距りということに読み変えて、その距りに微花と名づけ直した。これが微花の由来であった。

そうして今また、雑草に似た違和感を覚える言葉こそ、「庭」である。世間で話されているような庭が、自らのもつ最も陳腐な意味に余りにも密着していること、つまり正確であると同時に不毛であることの閉塞感を、庭師として土地土地ではたらきながらつど感じずにおれない。

そこでこの二月から微花として、『庭声』というあたらしいラジオをはじめることにした。あたらしいといっても、これまで微花として続けてきたこと——目ざましいものではなくてかすかなものを、他をしのぐものではなくて他がこぼすものを、あらしめるもの、またあらしめようと目ざすこころみ——に変わりはない。

『庭声』の由来は、ちょうどラジオの名前を考えていたときに偶然手にとった小山田浩子さんの短編集『庭』に収録されている「庭声」という小説からの直接の引用で、ラジオ『庭声』のプロフィールにある「庭がどこまでも広がって、スウスウと流れ込んで来る」とは、その小説の中の庭で、少女がかくれんぼをしているときにいつもより深く呼吸をする場面の引用で、この文章を読んでいるときの体感が、想像していたラジオの体感にひたと合ったので勝手ながら拝借した。思えば「目ざましいものではなくて〜」は黒田夏子さんの小説『感受体のおどり』からのこれも勝手な引用で、そんなことまでなつかしさに通じているのかもしれない。

2月9日に収録した初回には、友人でもある東千茅の初単著『人類堆肥化計画』(創元社)を庭の視点から読み合わせた。この本には、第四章で微花が言及されており、それに応えて、微花から庭へ、という初回らしい『庭声』になったと思う。

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「庭師が読む『人類堆肥化計画』」の音源

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註記

『つち式』
人類堆肥化計画の著者である東千茅が主宰する里山制作団体。同じ名を冠した雑誌「つち式」の創刊号には、編集・デザインとして微花も参画している。

『月白にて』
2019年12月の「絵本的、その後」を第一夜として、以降、月の最終日曜の夜に月白を座として続けてきた石躍個人による口語連載。2020年11月に行われた第九夜「庭にて」を区切りに、現在は不定期連載。

『里山ニニニ〇』
つち式の舞台である田畑を覆う杉山を、今後二百年かけて雑木山にしていく計画。

『おむすびラジオ』
つち式制作以前から、主にその制作メンバーで続けているPodcast。

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