マイフェイバリットフーズ/食でたどる70年第24回「白瓜の雷干し」
高校の時、司馬遼太郎を読み始めてすっかりはまってしまった。特に坂本龍馬は、個人の成長物語と明治維新がクロスしてダイナミックすっかり魅せられた記憶がある。以降、次々に司馬遼太郎の作品を読み漁った。
大学に入ると、大衆文学的な作品ではなく、いかにも大学生という著作に向かった。当時よく読んだのが、吉本隆明をはじめ、村上一郎、橋川文三、磯田光一、桶谷秀昭などの論考が中心になる。私が大学に入ったのは、70年安保直後の1972年で、転向論全盛だった。そんな中で、坂本龍馬的な明るさではなく、挫折が当時の大学生をとらえたのだ。それは私も例外ではない。
しかし、社会変革など、それほど簡単にできるものではなく、転向あり屈折ありというのが、人生だと思い始めたとき、大学を卒業して社会人になる年齢を迎えた。就職活動はそれほど熱心ではなかったけれど、一応マスコミ関連の新聞社、出版社などを受け軒並み不採用になって、出版の川下である書店に就職した。
その頃よく読むようになっていたのが、池波正太郎だ。「鬼平犯科帳」「剣客商売」などから始まり、「真田太平記」などのいわゆる真田ものまで、一通り読んだ。池波正太郎は株屋から始まり、新国劇の劇作家となり、さらに作家となった、その生きざまにも惹かれた。劇作家だったことから歌舞伎にも造詣が深く、そうした関りから生まれた「又五郎の春秋」は何度読み返したかしれない。
幸四郎一門と一緒に、松竹から東宝に移って苦労した名優が、歌舞伎修習生を育てる中で語る、うんちくはどんな歌舞伎論よりも読み応えがあった。その又五郎の芸にほれ込み、「剣客商売」のテレビドラマ化にあたって、主人公の秋山小兵衛に抜擢したのもうなずける。
池波正太郎のもう一つの顔は食通
池波正太郎のもう一つの特徴が、江戸時代の流れをくむ「食通」であったこと。しかも池波が凄いのは、単にうんちくを語るだけではなく、浅草生まれの江戸っ子として、代々受け継いできた蓄積があったこと。「鬼平」であれ「剣客商売」であれ、そこに出てくる料理は、実際に食べているから、読む方にも伝わってくる。
そうした、池波正太郎の料理で私が実際に試してみたのが、「白瓜の雷干し」だ。これは名前のごとく、代表的な夏野菜の一つである白瓜の料理だ。白瓜の種を、スプーンなどでかき出し、後は5㎜程度の厚さにらせん状に切っていく。このらせん状になった白瓜を、水と昆布を入れたボールに入れ、しんなりするまで待つ。しんなりしたら、水気を切り棒状のものにつるして、陰干しする。
だいたい、午前中にこの作業をしたら、後は夕方まで干し、適当な大きさに切って三杯酢で食べるだけ。この「白瓜の雷干し」の魅力は、なんといっても、その歯触りの良さ。少し陰干しただけで、口内で「パリパリ」と音が広がる。この音から「雷」と名付けられたという説もある。
しかし、うだるように暑かった夏の夕方に、白瓜の雷干しの歯ざわりと音を楽しみつつ、適度に冷えた日本酒を飲む醍醐味は、何ものにも代えがたい。この雷干しとみょうがを、ポン酢で和えるのも一興だ。