流通事件簿VOL.4 移動スーパーの台数拡大
移動スーパーの現物は見たことはなくても、テレビなどで目にしたことはあるだろう。いくつかの事業社が存在するが、最も有名なのは徳島県で生れ、現在はオイシックス・ラ・大地株式会社が買収して一事業部にした「とくし丸」だろう。2012年にトラック2台で始まった「とくし丸」は2023年10月12日現在1150台まで増えている。
移動スーパーはこのとくし丸のほか、生協や大手コンビニでも自前のトラックを走らせているので、全体の台数は現在1500台前後まで行くはずだ。今となっては、さもありなんだが、11年前に事業が始まった時、誰が現在の隆盛を予想しただろうか。
とくし丸をはじめとする移動スーパーが、ここまで伸びてきたのは、「ローカルエリアを中心に増えている、買物難民がたくさん存在すること」、「失われた30年に働く場を得られなかった潜在失業者がかなりいたこと」、「ネットスーパーなど新しい販売手法既存スーパーが売上の一部を侵食されたこ」などいくつかの要因が考えられる。逆に言えば、ネガティブなこれらの要素をポジティブに転換し、「三方よし」のビジネスモデルにしえたからこそ、移動スーパーはここまで成長したのだ。
住友達也という人物の存在が重要
移動スーパーの成功は、それだけの時代背景があればこそだ。前述したように、高齢者を中心に顧客がいて、販売パートナーになりたい人がおり、商品を提供するスーパーがいたからこそだ。
ただ、もう一つ言えば、現在もオイシックス・ラ‣大地の取締役ファウンダーとして残っている住友達也氏抜きにその成功はなかった。同氏は高等専門学校を出た後、1981年に徳島県でタウン情報誌を創刊、やがて吉野川第10堰を可動堰にする計画に対する反対運動に関わりを持つようになる。2003年には46歳で情報誌をリタイアし、個人事務所で仕事をしてい過程過程で、鳥取県に移動スーパーを10年以手掛けているスーパーがあると聞き、教えを請いとくし丸の原型を作り上げる。
そして誰も手を上げなかったため、住友氏は2台のトラックを買って移動スーパー仕様に改造し、自分でビジネスモデルづくりを行った。その中で現在の移動スーパーの根幹をなしている施策が確立していく。それを整理すると以下のようになる。
①販売パートナーは、参加するスーパーの社員ではなく、あくまで自営業者として、初期投資約300万円を負担してもらう。
②販売パートナーは商品を借りるスーパーの販売代行に徹する。
③販売する商品には10円を上乗せし、通常の粗利益以外に販売パートナーとスーパーが5円ずつ分け合う。商品を購入する側からいえば、そのスーパーの店頭価格より10円高い価格で購入する。
④とくし丸が受け取るロイヤルティは、1店舗当たり月3万円とする。したがって10店舗展開しているスーパーが、全店でとくし丸を導入したとすれば、月30万円のロイヤルティが発生する。つまり、住友氏は商品を仕入れてそれを販売するという発想をハナから持たず、販売代行業に徹したのだ。
見ようによっては、住友氏は自分が起こした事業に執着せず、その時その時でよかれと思う事を行動に移す「凄み」のある人物であり、だからこそ「無」から「有」を生じさせることができたのだ。