街探シリーズ<10>石神井川沿いの低地から石神井台の高台を歩く(前編)

平安時代から戦国時代初期にかけては、まだ江戸(東京)という地域概念がなかった。そのころは現在の石神井当たりに、豊島氏が石神井城を作り支配していた。西から来た軍勢や商人を改めるために、現在の武蔵関に関所が置かれていたとい。その、見ることはできず大関、小関という地名だけが残っている。
なぜ、このような構造になったかといえば、武蔵関あたりには石神井川が流れ、それと並行して湧き水を集めた富士見池があった。つまり、石神井川が谷底に流れ、そこから石神井台地が続いており、砦を築きやすい地形に石神井城が築かれたのだ。台地の始まりに関を置いて、外から来る人を検問したのだ。
それが明治維新以降、中央線が東京から山梨を結ぶ大動脈となると、武蔵関は吉祥寺や三鷹に出るほうが便利になり、石神井台地と武蔵関の関係はあまり意識されなくなっていった。

自然豊かな武蔵関公園

しかし、実際に石神井エリアを、低地から高台へと歩いてみると、かつて豊島氏が石神井城に拠ってこのエリアを領有してきた理由が見えてくる。つまり、高台を抑えにらみをきかせることによって、一定の武力で支配できたのだ。
今回は伏見稲荷を勧請して東の伏見稲荷とした、東伏見稲荷神社下から、整備されている石神井川遊歩道を武蔵関公園まで、まず歩いた。石神井川は下水の浄化水を流しているようだが、途中までほとんど水が流れていなかった。最近雨がほとんど降っていないことも影響しているようだ。ただ早稲田大学野球部の練習グラウンドを過ぎたあたりから、水が戻りやがて武蔵関公園が現れる。平日の午後2時過ぎということもあり、歩いているのは、散歩を日課とする地元の高齢者か、外から来た高齢女性のグループばかりで、若い人はいなかった。
ところが、3月になり様々な花が咲き始めると、桜の名所である武蔵関公園には若いグループも殺到、年齢層はぐっと若返る。逆にいうと、来場者が少ない冬場こそ絶好の季節といえる。ケヤキをはじめ落葉広葉樹が葉を落としているため、富士見池の見晴らしがよく、水面も泳ぐ鴨もよく見える。
やはり武蔵関公園の見どころの一つは、富士見池の長大さだ。この池のすぐ近くの石神井池や井の頭池と同じく、湧き水を源流とするが、その長さにはびっくりした。井の頭池もかなり長いと思っていたが、それどころではない。西武新宿線の駅でいえば、東伏見駅から武蔵関駅ほぼ一駅ある。
犬を散歩させている男性に武蔵関駅への道を聞くと「池のそばをずっとたどり、トイレのところから外に出て線路沿いに行くと武蔵関の駅です」と教えてくれた。そして公園を出てすぐ「茶の子」という名前のおにぎりやおはぎを売っている売店があり、1個120円のおはぎを2個買っておやつにした。昔風にいえば茶店ということになるのだろうが、そこまでの風情はなかった。
しかし、武蔵関公園に向かう人が、お昼におにぎりを買ったり、公園から出てきた人が、おやつを食べたりするので、結構利用する人は多そうだ。

いいなと思ったら応援しよう!