人はなぜ我が子の写真をインターネットに載せるのだろう
私には子どもがいないから分からないことが多い。それを前提にして書いていく。
親になると我が子の写真や動画をインターネットに公開したいと思うものなのだろうか?
身近な人と会った時に写真を見せるくらいなら分かる。
祖父母や身内に、アプリで写真を共有して成長を見守ってもらうのも分かる。
写真や動画なしで、子育てについてほのぼの投稿したりイラスト絵日記描いたり、愚痴を言うのも分かる。
これらは子ども自身が守られた上でされていることだからだ。
なぜわざわざ我が子の写真や動画をネットに公開する必要があるのだろうか?
子どもにも肖像権がある
真正面から正論を述べるならこれだ。
もしも私が令和っ子で、親が私の写真をバシバシ公開するものなら、10年後、思春期になって自分の公開されている写真を見て「何載せてんだクソババア!」と反抗期にマジギレするだろう。
いや、令和っ子は自分で自分をアップさせるからそんな怒り方はしないのかな。
児ポのグレーゾーンな写真を自ら公開する親たち
女の子の赤ちゃんで上半身が隠されていない写真や、男の子で「トイトレ成功!」という言葉と共に便器に座ってる写真を見たことがある。
それまで恥ずかしくもなんとも思うことのない子どもでさえ、さすがに思春期に入れば何か思うところが出てきてもおかしくないだろう。
私は何の気なしに見ているけど、下手したら児ポに引っかかるのでは?とさえ思う。
そのような写真をアップするのは問題ないという感覚で親が過ごすことで、子どももそうした感覚のまま育ってしまえば、いわゆるプライベートゾーンを見せない、触らせないという行動になかなか至らなくなってしまわないか心配になる。
少し話が飛躍してしまった上に、人様の子どもの心配なんてしたってしかたないが、見ていてあまり気持ちのいいものではなかった。
親が「いいね」ほしいだけでは?
人間が幸福を感じるためのホルモンは数種類あるが、その中でも主な「幸福ホルモン」は大きく3つ存在する。
そのうちのひとつが「ドーパミン」いわゆる報酬系である。
甘いものを食べる
かわいいと褒められる
SNSでたくさんいいねがもらえる
これらは一例だが、このようなことで幸福を感じたことのある人は多いはずだ。
現代人はこのドーパミンに依存しているとも言われている。
まさかとは思うが、親のドーパミンのために子どもが使われているということはないだろうか?
かわいい我が子の日常を載せれば、
誰かが我が子をかわいいと言ってくれる。
誰かが自分の投稿に「いいね」してくれる。
拡散されて我が子が注目される。
子どもは親の所有物ではない。
子どもは子ども自身のためのものじゃないのか。
自分から生まれた子どもというのは、親との境界線が薄くなるものなのだろうか。
私には子どもがいないから分からない。
子どものいない私がこんなことを考えるのは杞憂かもしれないけど、良かれと思って載せた我が子の写真が、いつどこで誰が悪用するかなんて分からない。
以前ツイッターで、2歳くらいの子どもがおちゃらけた写真と共にネタツイがされていたのを見かけた。
画像の元はどこだか気になって画像検索をかけてみたら、大量のネタツイが上位に引っかかった。
もしその写真がAIで生成された画像でなければ、どこかにこの子は存在して、何気ない日常の一コマとして親にアップされた写真なんだろう。
ネタツイをしている人もきっと悪意なんてない。
ただ双方に共通しているのは「いいねがほしい」ということだけだろう。
誰かがインスタやツイッターで我が子の写真や動画をアップしているのを見るたびに、そんな考えが浮かぶのだ。
浮かぶたびに、私はその投稿にいいねを押していく。
子どもはかわいい。
このまますくすくと育ってほしい。
悪い人の目に止まらないことだけを祈っている。
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